花守綺譚
 〜咲くや、この花〜 11



(五)
 県道から折れた道は、依然として深緑に覆われたまま。昼尚暗き山道が、うねるようなカーブを描き続く。
二つの隧道を抜けると、道は更に狭まり、挑むかにして傾斜を増した坂は、まるで行く者の非力を嘲笑うかの如く立ちはだかる。
 花守へと至る道。近隣の宅配便業者からも難所としての呼び声が高い、――通称”黄泉の細道”――そこを一台のフルサイズSUVが上がった。
「へぇ、よくこの手の車を上げましたね」
 九郎の問いに、
「何事も気合ね」
 事も無げに答えたのは、ベージュのパンツスーツを一部の隙も無く着こなしている女。一見したところ、キャリアウーマンたるや斯くあらん、敏腕の女経営者とでもいった出で立ちだが、けれどひとたびその装いを変えると、見るからに体育会系で、元自衛官と嘯いても異論は出ないであろう一面が顔を覗かせたりもする。
  里香子は軽やかに車から降りると、いつまた降り出すとも知れない鈍色の空を仰いだ。
「少々厄介なことになったわ」
 足早に行き、九郎がそれに続く。
「突然のお越し、皆、何事かと気にかけております」
 移動途中であるらしく連絡は手短であった。ただ、重要な用件とだけ告げられており、既に座敷がある別棟の方には、里守の面々が顔を揃えている。
「先日の狩で少々狩残しが出たのだけど、その一団がこの近くの山に入ったとの報告がありました」
「……それは」
 また……と九郎が言葉を濁らせる。
「よりにもよってですか? 星神山は我らが領域。なれば、あちら側にしても容易に足を踏み込める場所ではないはず」
 いったい何を血迷っているのやら。
 いまひとつ事態を計りきれないで言う。
「手負いの上、多くの仲間を失ったことで判断能力が鈍っているのでしょう。その分見境がなくなっている可能性があります」
 なるほど、報復戦というわけか。
「無謀もいいところですね。それしきのことで落ちるほど、ここの守りは薄くありませんよ」
 やや呆れ気味な声がこぼれた。里香子は梢から降ってきた雨の名残に顔を上げると、ゆるやかなカールを描く栗色の髪を、指の先で揺らし払った。
「相手も殲滅戦に持ち込めるとは思っていないでしょう。けれど、こちらとしては同胞(はらから)の血、ただの一滴さえも、あやつらにくれてやるつもりはありません」
 ひとりでも多くを道連れに……そんな思惑を抱いているのだとすれば、それがいかに愚かなことであるかを思い知らせてくれよう。きつく語尾を結び、黙することで激情を飲み下すかにする。
 九郎は、怒気を孕んだかの里香子の背を見つめ、続く言葉を待った。
「だから九郎君、まずは手始めに、子供たちを里から出さないようにしてもらいたいのだけど。できるかしら?」
「はい。それでしたら……」
 ここが隠れ里である以上、有事の際のシナリオは当然のこととして用意されている。季節柄、集団食中毒を装うことも可能だったが、後々保健所やら何やらの立ち入りにまで発展するとなると面倒である。特に今回のような場合は、なるべく後腐れの無い手段を取った方が無難だろう。
 ならば、
「道でも崩しますか。幸い今年は雨が多いですし、そう不自然でもないでしょう。下りの一本道が通れなくなったとなればどうしようもありませんから」
 町道は奥の空木邸に突き当たったところで終点となる。残念ながら、このまま星神山を抜けて行くような作りにはなっていない。半ば草にうずもれた小道ならあるにはあったが、誰もあの道を子供の足で行き来できるとは思わないだろう。
 不意に、九郎は何かを思いついたかにして口の端を上げた。
「時々いるんですよ。秘境探索だか何だか知りませんが、興味本位で乗り込んで来る輩が」
「まあ……」
「無論、自由にさせたりはしませんが」
 道には常に監視の目があり、ふらふらと迷い込んで来た野次馬たちは、爺婆の巧みな誘導により、集落に辿り着くよりも前に回れ右をさせられてしまう。
「だから、不案内な車がですね、己の大きさを顧みずに、少々無理をしたということにでもしてしまおうかと」
「あら、私のせいなの?」
 里香子が振り返り、冷やかし混じりの視線を投げかけて来た。嘘か真か、九郎は意味深に笑んでいるだけで、核心を語ることはしない。
 人の気配に気付いたのだろう、学び舎の脇に設けられた別棟の入り口には、里長とその他数名が里香子を、――譲葉の御前――を、出迎えるために顔をのぞかせていた。

* * *


 夏休みを前に、突如として与えられた休日である。状況が状況なだけに、子供たちは落ち着き無く行き交い、それだけを見えれば、まるで台風の訪れを待つかのようであった。不安半分、そして期待半分。被害さえなければ、きっと好奇心の方が勝る。そんな具合に。
「人食いだって」
「鬼だよ。鬼が来ているんだ」
「違うよ、《ナナツ》っていうんだ、あいつら」
 得たばかりの情報を自慢げに出し合うと、その後に訪れたのは、重苦しい沈黙だった。
 鬼、人食い、ナナツ……
 それらすべてはひとつのものを表している。
 鬼、人食い、ナナツ……
「ねえ、角とか生えてる? 見たらわかるんだよね、だって鬼だもん」
「いや、それは……」
 年少者の問いに、少しばかり年嵩の少年が答える。
「角は無いよ、多分。牙が生えてるとは聞くけど……でも、きっと、普通にしていたらわからない」
 そんな……と落胆に怯えの混じる声が響いた。
 外見にこれといった特徴が無いのは、彼ら《伽羅》にしても同じである。人でありながら人と違う面を持ち、そ知らぬ顔をして人の群れに隠れ潜んでいる。
 ただ、《ナナ》または《ナナツ》と呼ばれる者たちには、体のどこかにそれと示す黒子があるとされている。
 七つ星……天に浮ぶかの星になぞらえたのだろう、自身では《北斗》を称しているようだが、彼ら伽羅の者が、その名でもって自らの天敵を呼ぶことはない。
《ナナ》または《ナナツ》……
――それ、人にあって人に非ず――

「この世界は全て《対》でできているという話がある。嘘か真か。ただし、光には闇が、天には地が、そして有には無がある。それだけは紛うことなき事実。ならば、命長き者には命短き者を。誰かがそう運命を配したとしても、不思議ではなかったのかもしれぬ」
 花守の年寄りたちは、時として子供らにそんな話を語り聞かせる。
 長命の一族に対し短命の一族を。
《ナナ》は……《ナナツ》の者どもは……己が短き命を補うがために、対極に位置する長き命の《伽羅》を捕らえ、食す。
「僕らを食べないとさ、二十歳にもならないうちに死んじゃうんだって」
「でも、だからってさ……」
――食べられちゃうのは嫌だよね――
 ひとりの言葉に誰もが頷く。
「おまけに心臓が一番いいんでしょう? 手でも足でも寿命はのびるけど、心臓を食べた場合が一番長く生きられるって」
「やだ、心臓なんて食べられたら死んじゃう。嫌だよ、私。そんなふうに死にたくなんてないよ」
「いや、心臓の場合は違うって聞いた」
 低く言った声に視線が集まる。
「違う?」
「うん。心臓だと死なないんだ」
「そんな馬鹿な話、あるはずがないじゃないか。心臓だよ? それを食べられちゃうんだから」
「うん。だから厳密な意味では違うんだろうけどさ……」
少年は声をひそめ、子供らはじっと息を殺しその続きを待つ。

 七月の花守に雨がサアサアと降っている。

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