花守綺譚
 〜咲くや、この花〜 13



 《伽羅》の目は人の心を読む。実際には心が放つ感情の色を読むのだったが、それが見えるからこそ、彼らは早いうちに自身の色を消す術を教え込まれる。
 己を御してこそはじめて人である――と、まだもの心がつくかつかぬかの頃からそう教えられて育つ。
 だから、先のように、感情のまま自らをさらけ出すというのは、恥ずべきことであり、まるで幼子の癇癪と同様……いや、自身の年を思えば、それ以下の行いであるとしても過言ではなかった。ひたすらなまでに己を責めた颯斗は、深く悔恨の海に身を沈めた。
 眩しさに目を細めた早智。あの時彼は侮蔑の表情を浮べていたのではないだろうか。
 そう思うと、怖くて確かめることもできず、揚句の果てには逃げ出すという失態までやらかしてしまった。
 最悪にして最低……
 違うのに。
 こんなふうになってしまうことを望んでいたのではない。
 ただ、わかりたかっただけだ。辛いと言うなら、苦しいと言うなら、ほんのひと欠片でもいい、その痛みをこの身に受けて分かちたい。
 どれほどのことができるかは、知らない。でも、ほんのひとすくいでもいいから、その悲しみを自らの手に受け、流してしまえたらいいと思った。
 吹き抜ける風に、溶かしてしまえたらいいと……
 興味本位に動いたことなど、ただの一度として無かった。
 なのに、それを思い上がりだと言われてしまえば、もう、どうすることもできない。
 望んでもらえないのなら、もう……
 もう、どうすることもできない。


「俺……だめかもしれない」
 朱音の部屋を訪れた颯斗は、収納横の壁を背に座り込んでいた。
 勉強机についていた朱音が、斜め上から見下ろすようにしている。
「もう、どうしたらいいのか、わからなくなった」
 膝を抱きかかえ、ともすると泣きそうになる声で、小さく告げた。  別に、同情を期待していた訳ではない。けれど、朱音の眉が剣を帯び、うっすらと放たれた怒気を見た時、颯斗は、自らの判断が過ちであったことに気付いた。いや、姉の性格を思えば当然予想されるべき展開だったのだろうが……
「アンタ、あたしのことを何だと思っているわけ? そういうのをあたしに言ってどうするっていうのよ」
「聞いてくれるくらい、したっていいじゃないか」
「それで? アンタの心は軽くなるっていうの? 吐き出してすっきりするんだったらいいでしょうよ。でも、感情をぶつけられた私はいやーな気持ちになって、いい迷惑なんだけど、それについてはどう思っている訳?」
「姉ちゃん、酷い……」
 先刻の早智がまだ可愛く思えるのは、果たして気の迷いか否か。朱音の手厳しい言が容赦なく飛ぶ。
「だいたい、思い違いも甚だしいのよね。曲がりなりにも二親揃っている私たちに、何がわかるって言うの? あたし、もしもアンタにこの気持ちわかるなんて言われたら、その面張り倒す。力で敵わないのなら、どんな手を使ってでもいい。足腰立たなくなるくらいのこと、絶対にする。必ずする。間違いなくする。覚悟しときなさいよね。思い知らせてくれるんだから」
 本気だと言わんばかりに突き刺さる視線。鋭いそれに睨め据えられ、どうしたらいいのかわからない颯斗は、ただただ蒼白の頬を強張らせるばかりだった。
 朱音は忌々しげに吐息したものの、そうすることであえて声のトーンを落とし、なおも語った。
「ひとつだけ言っておいてあげる。この程度のことで音を上げるのならね、今のうちにその気持ち、捨ててしまいなさい」
 聞き返せば怒られる可能性は高い。けれど、わからないことをそのままにしていたと知れば、それはそれで怒ってくるだろう。厄介極まりない性格をした姉を前に、颯斗はおずおずと問うた。
「捨てるって、何をさ?」
 案の定、失望を滲ませるかにして、視線が逸らされた。
「早智君や、高嶺に対して抱いている気持ち。"友情"なんて言うと安っぽく聞こえるかもしれないけど、アンタがあの二人のことを大切に思っているっていう気持ち」
「なんでだよ。どうしてそれを捨てなくちゃいけないんだ」
 盾突くことがいかに危険かを知りながらも、流石にこればかりは捨て置くことができない。
 掛け替えの無い思いだった。颯斗を支えてくれるもの。それが大切であるからこそ、今、自分はこんなにも揺らいでいるというのに。
「やっていけなくなるからよ。アンタだって、いつまでもこのままでいられるとは思ってないんでしょう? これしきのことで潰れそうになっているアンタが、その時になってどうなるかなんて、考えないでもわかるわ。だったらさっさと諦めるべき。お互いのためにもね」
「……何か、見えているのか? 姉ちゃん」
 しばしの沈黙を経て、颯斗は問うた。朱音は煩わしげに、頬にかかる髪を指の先で払った。
「見えてやしないわよ。ただ、その程度のことくらいならわかるって言っているの」
「そっか……」
 それなら。
 未来が決まっているわけじゃないなら、まだいい……
 颯斗はわずかに表情を和らげると、膝を抱き寄せ、足先を見つめた。思考は未だ定まらぬまま。考えようにも、それをするだけの気力が、今の颯斗には無かった。
 朱音は既に背を向けており、さらさらと、書き物をする音だけが聞こえている。
「捨てちゃいなさいな。その方が楽よ」
 膝を抱く腕に頬を落とし、しばらくの間沈黙に身を委ねていた颯斗は、不意の問わず語りにゆっくりと顔を上げた。朱音は書き物の手を止めることなく、また、颯斗の方を振り返るでもなく、言った。
「今ならまだ間に合うでしょう? 下手な苦労を背負い込む必要もないじゃない。楽な方を選ぶ権利だってあるのよ。誰も咎めやしないわ」
 いつになく優しげな声。だが、どこか投げやりにも聞こえる。真意を量りかた颯斗は、じっと姉の後ろ姿を見つめ、続く言葉を待った。しかし、端から彼に向けたものではなかったのか、独り言のようしただけで、その後彼女が何かを語る事はなかった。

* * *


 曇天に暗む廊下を子供たちが行く。
 ひとり遅れた子が、
「待ってよ」
 涙声を滲ませ追いすがった。
「びびんなよ。不安は伝染するから良くないって、塾頭先生が言ってたぞ」
「電線? 何で電線なの? 不安と電線にどんな関係があるの? わかんないよ」
「俺だって、わからないよ。でも、やめろって言われたことはやめとけ」
 話は微妙にかみ合わないでいたが、誰もそのことに気づいている者はいない。
「これ以上、おかしなことになったら困るもんね」
 別の子の言葉に「うん」と頷き、彼らは手を取り合って廊下の角を曲がった。
 次なる難関は、壁の染みがなんだかヤバイ形の階段。そこもどうにかクリアすると、
子供たちはようやく、目的地である図書室へとたどり着くことができた。
 普段ならなんでもないような場所も、非常体制が敷かれているとあっては、ちょっとした移動にも神経を使うのだ。学校は元より、里の外へ出ることも禁止とされている。自由を許されているのは、学び舎と寮舎の中だけという、なんとも息詰まる日々が続いていた。
「大丈夫だって。《譲葉》が来ているんだろう? 《星狩(ほしかり)》が出ているんだったら、心配ないよ。誉さん、あんな綺麗な顔して、もの凄く強いっていうじゃないか。きっと《ナナツ》の奴らなんて一発だよ」
 星を持つ者を刈る。故に《星狩》という。武門の名家《譲葉》を中心に組まれた戦闘集団である。彼らは長きに渡り、同胞を天敵から守るための戦いに明け暮れていた。
「爺婆の中にも《星狩上がり》はいるし、花守の守りはダテじゃない、アツイってよ。これも、塾頭先生が言ってた」
「小夜さんと九郎さんも……だよね?」
「えー、そうなんだ。ちょっと意外。もっとガチムチなのかと思ってた、《星狩》やってるような人って」
「うん。誉さんも違うよね。小夜さんは大きいけど」
「あ、でも小夜さんはまだゲンエキだって聞いたよ」
「原液? 何の? カルpiス?」
「カルピスと《星狩》にどんな関係があるんだよ」
「わかんないって」
「えー、そうしたら九郎さんは?」
「知らなーい。それより僕、カルpiス飲みたくなった。本借りたら、食堂に行って小夜さんにお願いしよう」
「あー、あたしも飲む〜、濃いのがいい〜」
「えー、あんまり濃いと、後で喉渇くんだよなぁ。僕は薄いのがいい」
「早く、早く、カルpiス〜〜〜」
「だったら、さっさと本選べよ。俺も飲みたくなってきたじゃないか」
 カルpiス。
 行きとは打って変わり、まるで心躍らせるような足取りで、子供たちは食堂へと向かった。

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