花守綺譚
 〜咲くや、この花〜 14



 女の顔が映るのはほんの一瞬……
 もう何度それを見たことだろうか。確かめんとして、幾度と無くリモコンを操るのだが、残念ながら確信を持つには至らないでいる。
<このように、近隣に歴史的名所を多く持つ木ノ守地区は……>
 ナレーションと共に映像が切り替わった。苛立ちの混じる溜息がこぼれ、親指がどこか投げやりに停止ボタンを押した。
 画面は青一色になり、明かりをつけないでいる部屋を、淡く照らし出した。
「ひとりで何見てんだよ」
 別に振り向かずともわかったのだが、声のする方を見ると、談話室の入り口に高嶺の姿があった。
「ここの生活は悪くないけど、基本ガキ共のためのものだからな。育つとあれこれ支障が出て来る」
 さらりと放送禁止用語を並べ、同意を示すかにして笑った。
……が。
「お前の顔でその視線はやめとけ。マジ凍るぞ」
 軽口が滑ったことに気付いたらしい。高嶺は真顔で忠告を寄越した。
「眠れないのか?」
「ちょっとね」
 素っ気無く答え、眼差しを伏せた。ふむ、と短く言い置いて歩き出す。そのまま部屋を出て行くのかと思えば、窓際に立ち、外の様子を眺めたりしている。
 早智は、しばらくの間、何をするでもなくリモコンを弄んでいたが、やがてその青い画面すらも落とした。
「ここにいるのが辛いのなら、連れて行ってやろうか?」
 おもむろに言われ振り返る。窓の桟に腰を下ろした高嶺が、片膝に頬杖をついた姿勢で見ていた。以外にも雲は晴れていたようで、儚げな月明かりが幽くも差し込んでいる。
「あいつ、悪い奴じゃないんだ。ただ、場合によっては厄介っていうか」
 あいつとは、言わずもがな、颯斗のことを差しているのだろう。
「学者の血筋なんだよ。両親共そうだし、《雪柳》っていうのは代々、古文書の管理や歴史の編纂に携わってきた家系だ。人にはそれぞれ向き不向きっていうのがあってだなぁ……」
 論旨は曖昧だが、高嶺が何を言わんとしているのかはわかった。
「このままだと、着いて来るって言いかねない勢いだろう?」
 たとえばこの先。早ければ中学を出たその先。互いの道はそれぞれのはずだ。自らの適性を踏まえ選んでいけばいい。自分のやりたいことを見つけ、自分の生きたいように生きる。いくつかの制約はあるものの、それでも最大限の自由が許されている。そういった立場にあるというのに。
 それなのに颯斗は……
 早智は軽く頭を振ったのちに言う。
「そういうのを望んでいるわけじゃないんだ。向かないってわかっているから。辛い思いをするに決まっている」
 確信にも似たものがある。颯斗は、きっと早智に着いて来ると言うだろう。早智と共に、彼が行こうとしている方へ、足を進めようとする。
 でも、それではいけない。そういったことを望んでいるわけではない。
 苦しげな声が漏れた。
「自分の好きなように、してくれたらいいのに」
 颯斗は颯斗らしくあればいい。そう思っているというのに……
「お前の方はどうなんだよ。何かほかにやりたいことは無いのか?」
 早智は高嶺の顔を見上げる。
「《青桐》に生まれ、《譲葉》を母に持ち、他に何処へ行けっていうのさ」
 小さく笑うと言った。
「別に、卑屈に思っているとかじゃないよ。あのまま両親が生きていたなら、もっと抵抗無く行けたんじゃないかとは思う。ただ、ここへ来て少し考えるようになったのは確かかもしれない」
 颯斗の存在もある。それ以前は父の仕事に伴い各地を転々としていたから、様々な人との出会いこそあれ、そこで得た関係というのは、稀薄というに相応しいものだったような気がする。
 颯斗は異彩を伴い駆け抜けた一陣の風。最初のころは戸惑い、正直煩わしく思ったこともある。けれど、いつしか彼は、早智の内側深くに入り込んで、ちゃっかりと自分の居場所を作ってしまった。無論、それを許したのは、他ならぬ早智自身であったのだけれど。
 でも、もう終わりにしなければと思う。
 もう、充分なものはもらったから。たとえ道を別ったとしてもやっていける。
 颯斗は颯斗の道を行けばいい。自らの風を得て、大空へと舞い上がる。果てしないまでの高みを目指し、どこまでも昇って行けばいい。早智にひきずられ、可能性の芽を摘んでしまう必要など、どこにも有りはしないのだ。
「あんたは何で出て行ったのさ。まさか、颯斗を振り切るためとか言うんじゃないだろう?」
「まさか」
 高嶺は笑った。
「俺が子供の頃の一時期、お前の親父さんの世話になっていた理由……わかるか?」
 疑問形を取った割に、早智が知っているのを承知しているような口ぶりだった。だから、あえて答えずにいることで肯定をあらわす。父が幼い高嶺と関わりを持った理由など、それ以外には考えられないのだから。
「親父とお袋、そして妹の三人をやられた」
 高嶺は苦笑いと共に言い捨て、そして口の端の笑みを一瞬で噛み殺した。 「俺一人だけが助けられたんだ。あの日のことは今でもはっきりと覚えている。嫌な月が出ている夜で、生温かい風が吹いていた」
 肌が、覚えている。あの感覚を忘れることなど、容易にできるものではないだろう。獲物として位置づけられた彼らが、いつしか備え持つようになった警戒本能の表れでもある。
「ガキだからな。すぐに復讐だの敵討ちだの大騒ぎだ。実際、あの頃はそれしか考えられなかった。だから、親父さんは俺の適性を見ていたんだよ」
 使えないようなら早めに妙な感情を摘んでおく必要がある。戦場に弱者の居場所など有りはしない。暴走に巻き込まれ、逆に被害を被るような事態だけは、なんとしてでも避けなければならない。
 圧倒的な能力差を前に悟らせるか、それでも引き下がらないようなら、暗示の力を頼る場合もある。
 そして、彼は父の目に適ったのだ。父が基礎を教え、九郎が鍛え上げたというなら、この男の腕は相当なもの。模擬とはいえ一戦を交えた早智もよく理解している。高嶺ほどの素材であれば、《譲葉》は、何の異論もなく彼を、《星狩》の一員として迎える入れるだろう。ゆくゆくはその実力でもって、五指にまで数えられるようになるかもしれない。
 そんな彼が……
「迷ったんだ」
 迷った。そして未だに迷っている。それが彼に、三年にも渡る空白を持たせることとなった。
 見抜かれたことに何か思うところでもあったのか、高嶺は、軽く眉を上げると、しばし言葉を選ぶかの素振りを見せ、やがて低い声で言った。
「俺の両親と妹、あの三人は多分、まだこの世のどこかに存在している」
 犠牲者たちは、《ナナツ》に食われた者たちは、
――死なない――
 そう、そう完全には、死なない……
「記憶や意識を残したままだっていうじゃないか。無論、そいつを制御をするのは相手の方だから、厳密に言えば別人ということになるんだろうけどな」
 手足を食えば五年の寿命を得ると言われている。が、それのみで人並みの時を生きようとすれば、依然として足りない。
 心臓を……
 伽羅の心臓を口にする必要があった。
――だがな……よいか、これだけは覚悟しておかねばならぬ。確かに、心の臓を食すれば寿命は飛躍的に伸びよう。けだし、その代償として我らは、父母から与えられた真の姿を、永遠に失うこととなるのだ――
 伽羅の心臓を得て、伽羅の寿命を得て、伽羅の姿形を得て、生きる。獲物の寿命を得んがために、獲物の姿と成り果ててまでも、生きる。それが、自らを《北斗》と称する、七つ星が民の定めだった。
 高嶺は、酷薄としか言いようの無い笑みを浮かべた。
「両親と妹の顔をした赤の他人。そいつらが、だ。俺の知らないどこかで、今、この瞬間も、三人仲良く家族ごっこをしていやがるのさ」
 この手が血に染まるのを厭うのではない。今まで散々《譲葉》に守られながら、この期に及んでそれを拒絶するつもりなど、微塵たりともなかった。同胞を守るだけの力がある。早智の父親や、九郎が授けてくれた。
 けれど、自らの肉親と遭遇した時、それを狩ることができるか否か――
 無論、やるつもりではいた。すべてを承知の上、腕を磨き続けてきたのだ。ただ、判断を下す最後の段になって迷いが生じた。
 やつらは上手に声音を使い、高嶺を呼ぶだろう。甘い思い出を語り、彼の意思を遮る。母の顔で、妹の声で命乞いをされ、果たしてそれを屠ることができるのか否か。
「わからないって言ったら九郎に蹴り出された。決心がつくまで帰ってくるなだとよ」
 三年かかった。三年かかって、彼は……
 ひと通りを語り、深く吐息するこで、高嶺はようやく表情の強張りを解いた。
「まあ、最後にもう一度行っておきたいところはあるけどな。それでも揺るがないようなら、俺は《譲葉》に行くよ」
 天敵を狩る者として、また、同族を葬る者として、長きに渡り敬意と共に畏怖の念を抱かれ続けてきた《譲葉》。その一葉に身を捧げると、彼は言う。
「ま、そんなところだ。もうしばらくしたらまた出かける。良かったら来な」
「考えておくよ」
 早智は微かに笑んだものの即答はせず、高嶺も強いて答えを求めようとはしないままに立ち去る。
 時は四時をまわり、既に空が白みはじめていた。

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