花守綺譚
 〜咲くや、この花〜 15



《譲葉》が山に入った。
《星狩》が動く……

「大丈夫。あいつら、星神山の《気》には弱いんだ。だから、ここまで来れやしないって」
 なだめても、すかしても、一度恐怖に捕らわれた者は、なかなかその淵から抜け出すことができない。ひとり、ふたり、涙する子供たちが増えてきていた。不安は確実に伝播し、負の連鎖を引き起こしている。
 朱音が伊都世の前に立った。既に涙は枯れ、声もかすれ果てているというのに、なおも泣き狂う子供は、見下ろす朱音を凝視し、更なる恐怖に顔を引き攣らせたかと思うと、そのまま意識を失い倒れこんだ。訳もわからずに、他の子供たちが退く。
「お前なぁ、落とすなら落とすで、もう少し丁寧にやれや」
 伊都世を抱き起こしながら、高嶺が批難の声を上げる。
「私にまだそこまでの余裕があるはずないじゃない」
 そんなこともわからないわけ? と、朱音が忌々しげに噛み付く。
「とりあえず、その子が原因だから。しばらくは寝かせておいて頂戴。これで収まらないようなら、あとは婆様にでもお願いしないと」
 苛立ちのままに髪をかき上げると、朱音は踵を返し遊戯室を出て行く。数人の子供たちが即座に動いて、彼女の通り道を開けた。
 腕の中の幼子は、とても安らかとは言い難い表情で眠っている。深く吐息し、高嶺は、
「どうにかならんのか、あれは」
 まったく……
 独り言ちて立ち上がるのだった。
「仕方ないさ。尋常じゃ無い感度のレーダーを持たされているようなものだ。持て余しもするだろう。まあ、そいつを制御せんことには始まらんのだから、後は本人の努力次第ということになるんだろうが」
 終始、事の成り行きを見ていたらしい鷹虎が、高嶺から伊都世を受け取りながら言った。
「《巫覡》に《花凪ぎ》ねぇ。俺そっち方面の力、からっきしだからわかんねぇや」
 高嶺は両手を開いて、お手上げの仕草をしてみせる。それでも朱音はわかれと言うだろうが、無理なものは無理であって、どちらかが歩み寄る姿勢を見せない限り、この問題に関しては平行線を辿るものと思われた。
「残念ながら、うちの一族は"繊細"が売りでなぁ。その恐竜並に図太い神経は異端も異端だ。有難く思えよ」
「えぇぇ、俺だって色々とあるんすよぉ〜」
 心外だぁ、と嘯き、その場から立ち去ろうとする高嶺を、髭面の山男が「待て」のひと言で呼び止めた。
「まだだ。手前はこれか一寸付き合え。よもや、時間が無いとかほざくんじゃないだろうなぁ? ええ?」
 説教する気満々。高嶺の方としては、されたくない気持ち満々。けれど、残念ながら現状、逃げ場らしきものは用意されていないようだ。
 子供たちが興味津々の眼差しで見ている。高嶺は大口を開け、噛み付こうとするジェスチャーで牽制をかける。咄嗟に逃げの体勢を取る子供たち。きゃっきゃらという笑い声が、遊戯室の重苦しい空気を払った。

* * *


 颯斗がかぼちゃコロッケに入れた箸を戻し、考え事でもするように、意識を宙に漂わせていると、向かいの席に座る和馬が話しかけてきた。
「あのさ、ものを食べるのにも体力を必要とするんだって。消化にね、エネルギーを使わなくちゃいけないから」
 何の脈絡もなく言い、彼は指についたソースひと舐めにした。そして再度、颯斗に目を向けると、
「しんどいのに無理して食べない方がいいんじゃないかな?」
「ああ……」
 どうやら食が向かないのを見透かされていたらしい。
「じゃあ、次からは量を減らしてもらうよ。今日はせっかくよそってもらった訳だから、勿体無いしな」
 あっさりと受け入れ、「良かったら食え」、と手付かずのままでいたヒジキの小鉢を和馬に差し出す。
「今回のは長いね。去年も辛そうだったけど、特に今年は、なんていうかな、ヤバそうな感じ?」
 話題は移り、今度は早智のことを言っているらしい。”ヤバそう”だなどと、穏やかではないが妙に的を射ている。
「時間が解決してくれるとか、そういう問題じゃないんだ」
 持論が崩れたのか、少し意外そうな口ぶりだった。日にち薬とは言うが、日々忘れていくのではない。忘却ではなく、感じ方に違いが出てくるだけだ。だから、ふとした瞬間に、最初の地点にまで戻ってしまうことは、ままにしてある。幸いにして去年は、夏が近づくにつれ、感情の整理もできるようになっていたのだが。
 けれど今年は?
 梅雨の、この肌にまとわりつくような風さえ去ってしまえば、いつもの早智が戻ってくるのだろうか? また、これまでのような関係に戻ることができるのだろうか?
 知り合い以上、友達未満。たとえそうであったとしても、今の状態に比べればずっといい。
 多くは望まないから……
「僕は嫌だな」
「え?」
 思考を寸断され、颯斗は声を上げた。やはり、途中を聞き逃していたようで、和馬がもう一度言い直してくれる。
「早智君のお母さんってさ、お父さんを助けに行って、戻らなかったんでしょう? 早智君の方だって、どうなるかわからなかったって言うのに。僕なら自分と一緒に逃げて欲しいって思うよ」
「まあ、そりゃぁ、なぁ……」
 自分を取るか、父親を取るか。選択の末、自分でない方を取られてしまったとなれば、子供としてはどこに感情の落としどころを見つければいいのか。
 和馬が言わんとしていることはよくわる。
《星狩》と《花凪ぎ》、共に対外の特務機関であり、守護としての責務を担う彼らは、あの一件を期に、各々がナンバー2を失うことになったのだ。次代を継ぐものの喪失、それが伽羅の未来に落とした影は、依然として大きい。
「母親だよ? やってらんないよね」
 どうにも言い足りないらしい和馬が、なおも語気を強め続ける。
「うん……」
 颯斗は曖昧に答えるに止めた。
――曲がりなりにも二親揃っている私たちに、何がわかるって言うの?――
 姉に言われた言葉が、不意に脳裏をかすめたりもする。
「でも、仮に子供が選ばれたとしても、うちなんて兄弟の数が多いから、僕が選んでもらえる可能性ってどのくらいあるんだろう? 颯人君ちなんてどう? やっぱり男の子ひとりだから颯人君が選ばれるのかな?」
「え……?」
 仮に、選択基準が「男」などというものであった場合、そんなことにでもなろうものなら、颯斗は間違いなく朱音に呪い殺されるであろう。断言しておく。たとえ彼が選ばれたにしても、その先の未来は無い。絶対に無い。
「自分を選んでもらうのって、難しいよね」
 最後にそれだけ言って、和馬は話を括った。
 確かにそうだ――
 選んでもらうというのは……
 選ばれるというのは……
――難しい……――
 颯斗はグラスの淵を指の先で撫で、ひっそりと思った。

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