花守綺譚
 〜咲くや、この花〜 16



 時を同じくして、こちらは事務室。
 時間を気にせず話し合えるようにと、わざわざ二人分の食事が運び込まれていた。
 だがしかし、
――何故親子丼?
 今日の昼食は野菜コロッケだったはずだ。
――取調べ室の演出か! そういう冗談か、小夜!
 笑えねぇえええーーーーーっ
 けれど、こういう時でも笑ってしまうのが橘高嶺。そして、その鉄壁の笑顔をもってすれば、どうにかなってしまうことは、案外多かったりもする。
 駄菓子菓子菓子、強面の髭面はゆっくりと煙草に火をつけると、
「まあ、食え」
 紫煙を燻らせながら言った。
 笑顔、瞬殺にあう。高嶺君のHPに1500のダメージ。
 曖昧に済ませてくれるつもりなど更々ないようである。相手は言外に語り、余裕の眼差しで、高嶺を見据える。
「で? 手前はいったいどういう了見でいるんだ。きちんと進学なり、就職なりするっていうなら、相談に乗らんこともないぞ」
「いやぁ、まあ、そこんとこはねぇ……」
 下手に語ると墓穴を掘りそうな雰囲気がそこはかとなく……
 とりあえず、食って時間を稼ぐことにした。親子丼は美味いが、この状況と共に、記憶の奥底に染込み、一生忘れられなくなりそうな味でもあった。
「ようやく帰って来たと思えば、もう一度出て来るだ? いったい何を考えているんだ。子供らに示しがつかんだろうが。女のところにでも行くつもりか?」
「どういう理屈で女が出てくるんだよ。無茶苦茶じゃねーか」
 半ばヤケになって返す。けれど、
「大きさは然程でもないが、形のいい胸」
「その話、後引くなぁ」
 高嶺は顔を背けると、少々げんなりした様子で茄子の柴漬けを齧った。
「子供らの前でそんなことを口にするからだ。あいつらの伝播能力を侮るんじゃない」
「みたいだな。今度から自分のガキの頃を思い出してものを言うようにするわ」
 懸命だ。鷹虎が深々と頷く。
「だいたい胸なんて即物的なものを持ち出すから悪いんだ。腰とでも言っておけばいいものを。ガキ共にはまだあのラインの良さは理解できん」
「そういう問題かぁ?」
 仮にあの時腰と言っていれば、今、自分の置かれている状況は、何か変っていたとでもいうのだろうか?
 いっそのことこれを期に煙に巻いてしまえればと思うのだが、如何せん相手が悪すぎる。ひと癖もふた癖もある子守り役を前に、高嶺はどう切り抜けたものかと思案に暮れていた。
 と、そこへ、話を更にややこしくするような言葉が降ってきた。
「女はやっぱり脚だろう」
 パーテーションの上からのぞきこむようにして顔を出したのは九郎。
「脚か」
「脚は……綺麗にこしたことないよなぁ」
 納得顔の男が二人、相槌を打った。
 三者三様、それぞれが理想の女について語ること、しばし。
 もう、何が何やら……


「悪かった」
 十数分後、頭を下げることになったのは、高嶺。
「俺、まだこの面子で三者面談ができるほど、人間できてねぇや」
 向こう側の席に九郎が加わり、鷹虎とふたり、腕組みのまま高嶺のことを見ていた。
「だったらもう少し、ものごとを真面目に考えるんだね。確かに"答えが出るまで"とは言ったけれど、際限なくふらふらしていてもいいなんてこと、一言も言った覚えは無いよ」
「別にふらふらしていたわけじゃねぇ、って」
 長の付き合いである。相手もある程度は理解してくれた上での言葉なのだろう。それでも、いい加減潮時だということは自分でも承知している。
「来年も再来年もこのままでいるつもりはねぇよ。ただ、ちょっと気になることがあって、そいつがどうなるかを見届けたいだけだ」
 半眼の九郎が真意を確かめんとして、まるで値踏みをするかの視線で見ていた。ここで目を逸らしたら負けだ。じっと力を込め、相手を見返す。
「まあ、なるべく手短に切り上げることだね。こちらにも事情があるのは理解しているだろう? お前の決断を待っている人たちがいるということを忘れないように」
「……わかった」
 鷹虎にも異存はないようで、腕組みのまま、無言で視線を伏せている。
 高嶺の長い昼食が終わろうとしていた。


「で? 何か用があって来たんじゃないのか?」
 ようやくひと呼吸ついた高嶺が、食べ残していた林檎を齧っていると、向かいの席の鷹虎と九郎が話をはじめた。
「早智のことなんですけどね」
 然程深刻な話題でもないのか、九郎の声もどこか砕けた調子だった。ならば妙な気を利かせて席を外す必要はないだろう。高嶺はそ知らぬ顔で、少し色の変った林檎を食み続けた。
「様子がおかしいのは知っていましたし、時期も時期ですから、しばらくは静観しようと思っていたのですが……」
「いつもの"夏が来れば治る病"じゃないのか?」
 鷹虎の方もそれらしい調子で返している。
「ええ、そうは思うんですけど……それにしては少し酷いような気もしますし、加えて、どうやら颯斗の方に限界が来てしまったみたいで……」
「そっちが先に崩れるか」
 わからんもんだなぁ、と少々驚いた様子だった。
「はい、そのあたりになると、もう、外野にはなんとも」
 実際のところ、颯斗に止めを刺したのは、誰あろう彼の実姉である。弱りきって助けを求めに来たところを、叩いて、叩いて、叩いて、なおも叩いて踏みつけにした。けれど、残念ながらその事実を知るものは、この中にいない。
「高嶺、お前何か気付いたことはあるか?」
 鷹虎に問われ、高嶺は「ん……」と首をかしげた。思い当たる節はあるが、それについては九郎も気付いているだろうから、そうではないもっと別の何か。
「そういや、夜中に隠れてビデオ見てたな」
 堂々と談話室で見ていたわけだが、時間が時間なだけに、”隠れて見ていた”、と言われてしまっても仕方あるまい。
 男の子が夜中に隠れてビデオ鑑賞――
 多くを聞かなくても充分に黒である。
「そういう年頃になったか」
「婆たちが泣きますね」
 九郎と鷹虎、共にしみじみと頷く。
「いやー、なんか違うみたいだけど? 俺もそう言って茶化したら、こーんな顔して睨まれた」
 高嶺は即座に否定すると、切れ長の目を印象付けるべく、指先を添えて早智の顔つきを真似てみせた。
「まだまだガキってことかねぇ」
「お前が言うと、妙に生々しく聞こえるからだろう」
「さっきから、ひっでぇ言われようだな、俺」
 鷹虎と高嶺が馬鹿話の応酬を繰り広げる中、ひとり考える素振りを見せた九郎は、
「本体に録画されているやつか」
 思い至るかにして言った。
「何故そう思う? 自前のディスクを見ていた可能性だって無くはないだろう」
「早智はノートを持っていますから、夜中にひとりで見ようとするものを、わざわざ共有スペースで再生するとは思えませんよ。それに、談話室のあれは、少し前から調子がおかしくて、録画は問題ないんですけど、データをディスクに落とすことができなくなっているんです」
「ああ……」
 高嶺が得心したとばかりにこぼした。
「つまり何か、早智が見ていたのは、本体のハードに入っているやつということか」
「まずはそう考えてみるべきかと」
 鷹虎は低く唸ると、再度腕を組みなおした。
「録画なぁ……何かあったか? 最近」
「さあ。どうでしょう? とにかく確認してみます。話はそれからですね」

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