花守綺譚
 〜咲くや、この花〜 4



(2)
 その日、花守は朝から喧騒の中にあった。
 まあ、騒いでいるのは大半が子供たちで、大人たちは思っていた以上の反応が上がったことに対し苦笑を隠せないでいるのだったが。
「テレビ出るんだって、テレビ」
「何時からだっけ?」
「八時からだよね」
「えー? 七時半からじゃなかった?」
 別に、花守のことが映るという訳ではない。テレビクルーが入ったのは木ノ守の里。花守とはまた別に設けられた、彼ら伽羅が各地に持つ隠れ里のひとつである。
 某国営放送が誇るご長寿番組、「百歳さん、いらっしゃい」。そこから出演依頼を受けたのが木ノ守のご長寿、糸杉陣作さん。けれどこの糸杉さん、実際のところは赤松春衛門さんだったりする。御歳とって百七十八歳。本物の糸杉さんが見た目二十代の若者でしかないため、代わって赤松さんが十年ほど前からその戸籍を使わせてもらっている。
 それ自体は決してめずらしい話ではない。そうすることで彼らは、その尋常ならざる寿命をひた隠しにし、そ知らぬ顔をして普通の人間の如き毎日を営んでいる。
 テレビ局から連絡が入った当初は、当然のこと「何か裏があるのでは?」と疑う声も多く上がった。けれど伝手を駆使してあらゆる方面からの探りを入れてもそれらしいものが出てくる気配はなく、ならば「かえって堂々としていた方が良いのではないか」という意見が主流を占めるようになった。
 何も無いなら下手に隠さず……
 姿形に違いはないのだ。ならば……
「長寿の秘訣は“芋”です。裏の山で取れる“自然薯”です。あれさえたらふく食っとりゃぁ、病ひとつかかりません。あとは馬鈴薯も美味いです。奥山連山の岩清水で育つ芋、長生きしたけりゃこれを食いんさい。一日一個の芋は医者いらずと言いましてな……え? 嘘なんぞ申しません。その証拠に、今日は村の美女たちが腕によりをかけて芋料理を用意させていただきました。ささ、騙されたと思って食いんさい。ひと口食べれば十年は命が延びますぞ、さあ、」
 大嘘ばっかり……
 年端もいかない子供たちはともかく、ある程度事情がわかる者たちは、いけしゃぁしゃぁと喋る赤松爺の二枚舌を少々冷めた視線で見守っていた。ちなみに村の美女たち、一見したところ六十代の平均年齢はというと……いや、皆までは言うのは無粋だろう。
 かくして、木ノ守の大自然と芋の連呼で綴られた二十分番組は、終わった。
 颯斗は子供たちと談話室のテレビを囲んでいたのだが、それの終盤になって、見ないと言っていたはずの早智の姿があることに気付いた。もっとも、フロアの端にいただけだから、自室へでも戻ろうとした途中に足を止めただけだったのかもしれない。その証拠に番組が終わるや否や、いち早く立ち去って行ったのも彼だった。

 その日、何かあったかといえば、強いてそれくらいだろうか。後は思い出そうとしても思い出せない。
 ただ、その日を境にして、早智の機嫌が悪くなった。元より良かったとはいえないのだが、ついにレッドゾーン突入という感じにまで、なってしまった。
――鉄のカーテンが下りた――
 触ったら殺す、ならまだしも、近づいたら殺す、とくれば、勘がいい者はそのオーラを読み取っただけで退く。逃げる。固まる。
「子供たちが怯えてるじゃないのよ」
 忌々しげな朱音の視線を受けて、颯斗は「わかった」と頷く。
 早智のやらかしたことは颯斗の責任。そんな無茶苦茶を言うのは朱音だけだが、朱音に言われてしまえば颯斗は頷くほかない。姉弟間でのみ通用する暗黙の了承、それは共に育った十数年のうちに有無を言わせず決められてしまっている。
 原因は何なのだろうか――?
 と思う。何も無いのに刺々しいというのは……どうだろう……生まれ持った性格というのは確かにあるだろうが、早智の場合は少し違うような気がする。一週間ほど前、梅雨の訪れと共に感情を持て余すようになっていたのともまた違う。あれなら、あの程度なら去年にも似たようなことがあったからわかる。
 でも違う。今年の早智は違う。
 切欠があるはずなのだ。必ず。でも、それが何なのかわからないでいる。
 学校やその登下校時、一緒にいる時間はそれなりにあっても会話は最低限しか交されていない。聞いたことへの答えは返るが、向こうから何か話しかけて来るということはほとんど……いや、全くと言っていいほど無いのではないか?
 まるで最初の頃に帰ったみたいだ……
 すぐ側にいるのにひどく遠い存在のように思えた。友達になりたくて、追いかけて追いかけて、やっとの思いで自分という人間が存在していることを理解してもらえた。
あの二年前の時に感じていたような溝が、今ふたたび姿を現そうとしている。
 どうすればいいというのか――
 颯斗は吐息し、ひとり空を仰いだ。

 部屋にいない時はひとりになりたい時なのだと……
 わかってはいるが探してしまう。雨は降ったり止んだりだから、そう遠くへは行っていないはずだ。また、裏山の方だろうか? けれど、颯斗を避けているのは明白なので、一度見つけられたところにはいないだろうと踏んだ。
 ひと通り建物の中を見て周り、外へ出る。ふらふらと歩くうちに、自然と足は沢の方へと向かった。昨夜はよく降ったから五割りほど水かさの増した濁流の淵で、それを眺めながら歩く早智の姿を見つけた。
「落ちるんじゃねぇぞ。助けてなんかやらないからな」
 半ば強引に、冗談じみた口調で話しかける。反応が薄いのは承知の上。一瞥をくれただけで黙殺にも等しい扱いを受けたが、いちいち怯んでなどいてはやっていけない。心が痛まない訳ではないが、颯斗が躊躇う様を見せてしまえば、早智はさらに距離を置くようになるだろう。
 そんな悪循環などいらない。
 絶対にいらない。
 颯斗は戸惑いを笑顔で押さえ込むと、斜面を下り早智の元へと駆けて行った。
「どっか行くつもりなのか?」
 当たり障りの無い言葉でかまわない。とにかく、自分に裏がないということを示さなければならない。こちらが心を開けないでいるのに、相手が心を開いてくれるはずなどない。そんな都合のいい話なんてあるわけがないのだから。
「別に」
 答えは予想通り小さく返ったに過ぎなかったが、
「そっか」
 気にする素振りは見せず、颯斗は早智の横を歩いた。元々早智は寡黙な方だし、状況が許すなら取り止めのないことを喋り倒すなどして、空いた間を埋めるという手もある。けれど、五感をフルに働かせ読み取ろうとした空気が颯斗にそれを躊躇わせた。だくだくと流れる水に気を取られるふりで、戸惑い、逡巡を重ねるしかなかった。
 ほんのひと言、「どうかしたのか?」と聞いてみたいだけなのに、そのタイミングひとつ計ることができないでいる。
 どうしたらいい?
 どうすればいいのか?
「別にさ、放っておいてくれればいいから」
 答えを見つけられないでいるうちに、小さな溜息があって、そう言われた。
 最悪――
 解決の糸口を探していたはずなのに。
「でも……でもさ」
 突き放され、それでも離れたくなくて言葉を繋げる。
「俺、何かやったか?」
「自覚があるの?」
 冷たい声。早智は視線を川の対岸に向けたままで言った。
「いや……でも、何か気に障るようなことやらかしたんだったら俺、」
――きちんと謝りたい――
 許されるかどうかはわからないけれど。
 そんなことを言えば、所詮自己満足だと返されるだろうか? でも、颯斗はまずそこに立たないと前へ進むことができない。自分に非があると言われたのなら、きちんとそれについて考えてからでないと、気持ちを前に送り出してやることができない。これはもう、持って生まれた性分なのだから仕方がない。
「何もしていないんだったら、自分が悪いかもしれないなんて、そんなこと、最初から考える必要もないだろう?」
「そりゃあ……そうかもしれないけど、でも……でも、俺、変なとこ無神経で色々とやらかすから」
 誰もが皆、朱音のように感情をあらわにする訳ではない。傷つけてしまったとしても、それを内側に抱え込まれてしまったとしたら、自分は気付くことすらできないままでいたのではないだろうか? そうやって知らぬ間に終わった関係がなかったとは言い切れない。どうして言うことができるというのだ、そんなこと。
 だから、もしも自分に非があるのだとしたら正したいと思う。仮にそれが相手のわがままだとしても、自分にできる範囲のことであるならなんとかしたいと思う。
 もしもこのまま、早智との関係が終わってしまうようなことにでもなったとしたら、それはあまりにも悲しすぎる。きっと自分は耐えられないだろうと思うから。
 だから……
「考えすぎなんだよ、颯斗は」
 心もちやわらかな声が返った。聞きようによっては、呆れているかのようにも思われたが、事態はそれ以上悪くなる気配を見せているふうでもなかった。
「そうかな……?」
 完全に納得できたわけではないが、けれど、この場はそういうことにして収めてしまった方がいいのだろう。
「そうだよ」
 ほんのわずかにだが、軽くなったような気がする空気に颯斗は縋った。
「帰るか?」
 そう問うてみると、
「うん」
 早智が頷く。
 二人、無言で帰路に着いた。


 手離してしまえば楽になれるのだろうか。
 もういらないと言って、他の違う何かを求めてしまえば、この心……
 楽になれるのだろうか?

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