花守綺譚
 〜咲くや、この花〜 5



 寮舎に足を踏み入れた途端、いつもと違う雰囲気に気付いた。
 来客だろうか?
 様子を探るかにして進むと、何かを伺っているらしい子供たちが三人、廊下の端で屯しているのが見えた。
「どうかしたのか?」
 颯斗の問いに幼子たちがふり向く。けれどそれに答えたのは彼らではなく、後からやって来たもう少し年嵩の一団だった。
「高嶺だよ、高嶺。高嶺が帰ってきたって」
 話を聞きつけてきたのだろう。我先にと脇をすり抜けて行く。
 躊躇い無く足を運ぶ子供たち。対して、好奇心とは裏腹にいまひとつ戸惑いを隠せないでいるのは、ここ二年のうちに花守へと来た子供たち。その中でも特に引っ込み思案とされる数人だった。
「颯人君、高嶺だよ、高嶺」
 高嶺――?
 まさか。
 大きく脈打った鼓動に、まるで突き動かされるかにして足を早めた。
 高嶺、高嶺が帰ってきた。
 二年前、ひとり出て行った颯斗の幼馴染。兄であり、友だちであり、何よりも大切だった、颯斗のよき理解者。
「高嶺……」
 嘘だと思ったわけではないが、無防備に信じてしまうのは何だか怖いような気がして、颯斗はほんの少しだけ期待をおさえるようにすると、食堂の中に足を踏み入れた。
 変らない……いや、確かにニ年の歳月は存在していた。けれど、そこにいたのは他の誰でもない、間違いなく、
――橘高嶺――
 彼本人だった。
「高嶺!」
「よう!」
 何が「よう」だ、あれからいったいどれだけの時間が経ったと思っている? 一度も連絡を寄越すことなく、人をどれだけ心配させたと思っているのだ。
 それがひょっこりと帰ってきて、何事も無かったかのように「よう」、ときた。
 あまりにも変わりなくて、あまりにも彼らしくて、思わず、
――泣きそうになってしまったではないか――
 決まりごとを破っていると重々承知しながら、テーブルの上に腰掛けている。その横には、腹に何か一物抱えているらしい、不敵な笑みを浮べた朱音が立っているという構図。
 そして、高嶺を知る者も、初顔合わせの者も、大きな子も小さな子も色々混じり合った子供たちが輪を作り取り囲んでいる。
「大人気じゃないか」
「まーな」
 浅黒い肌が更に色よく焼けているようだが、どこか南の方にでもいたのだろうか。
 猛禽を思わせる鋭さの中に、抗い難い人懐っこさを同居させて屈託なく笑う。
「でっかくなったな、お前」
「そっちこそ」
 伸ばされた高嶺の腕に体を預けると、容赦ない力で頭を撫で回された。
「イテテテ、少しは加減しやがれ」
「柔なこと言ってんじゃねーよ。このくらいは有難く受け取っとくもんだ」
 大口をあけて笑い、更に羽交い絞めをしかけてきやがった。抜けようともがいても叶わず、高嶺に縫いとめられた状態のままで颯斗は問うた。
「で? 本当に帰ってきたのか? またどっか行くつもりじゃねぇだろうな?」
「行くつもりらしいわよ。ちょっと寄ってみただけとか抜かしてるから、この馬鹿」
 吐き捨てるかにして言われた言葉に、瞬時にして子供たちの笑顔が引き攣るのを見た。
 早智のあれがブリザードなら、朱音のそれは灼熱の炎か。
 自分だって、子供怖がらせてるじゃねーかよ――
 そうは思っていても言えない。颯斗は言えないのだが、
「おい、朱音。チビ共がびびってんぞ。何、恐怖政治敷いてるんだ。そんなんじゃこの先ろくな男が寄り付かんぞ」
 それを平然と言ってのける男が帰ってきた。
「あんたにだけは言われたくないっ」
「ちったぁ、成長しているかと思えば。相変わらずか、お前は。女は胸だぞ、胸。大きさは求めんが、形がいいにこしたことはない。凹凸が無いのは論外だ。今からでも遅くはない、育てろ」
「なんで、そうなるのよ! わけわかんない。無茶苦茶もいいところじゃないの。だいたいどうしてアンタの好みなんか聞かされなくちゃいけないわけ?!」
 ギギギギギッ、と。擬音をつけるならそんな感じで。
 朱音は拳をわななかせながら言った。
「退避だ。和馬、子供たちを連れて外に出ろ」
 鬼の形相の朱音と満面の笑みを浮べた高嶺。
 こうなってしまってはもう……
 そろそろ夕食時だから、給仕を穏便に進めたい小夜がなんとかしてくれる……おそらくは力ずくで排除してくれる……だろう。他力本願ではあるが、人にはできることとできないことがあるのであって……
 幼い頃から嫌というほどの時を三人で過ごしてきた。
 だからわかる。
 あれは無理。
「朱音ちゃんの髪が揺れてるよ。すごいね、ゴーゴンみたいだ」
「睨まれると石になるぞ。こっち来い、夏帆」
 子供たちを全員食堂から連れ出し、とりあえず時間になるまでは各自部屋で待機するよう指示を出した。
「そういえば早智君は?」
 共に歩いていた和馬に問われ、颯斗ははたと我に返った。
「あ……」
 いつからいなかった? 一緒に玄関を入ったところまでは覚えている。その後、颯斗は騒動の気配に引かれ、早智は……
 実際に見たわけではないが、興味なさげに立ち去る様ならありありと思い浮かべることができた。
「やべ……」
 まだ微かに残っていたと思った。だからこそしっかり繋ぎ止めておかなくてはと、 そう思っていた。
 ふたりの間を繋いでいるもの。
 ニ年の歳月をかけて、少しずつ築いてきた、許されるならば“絆”とでも呼びたいそれ。
 一方的に早智の方から断たれようとはしていたが、けれど颯斗は、なんとしてでも無くしたくないと思っていて……
「大丈夫……だよな?」
 不安を紛らわすかにして言う。無意識のうちに目を向けた窓の向こう側では、零れ落ちた雨粒がひとつふたつ、筋となって硝子を伝うのが見えた。

* * *


 夕暮れの静寂は、重く深緑を打つ雨音によって破られ、花守はこの日三度目の雨に沈もうとしていた。
 自室の窓から濡れそぼつ様を眺めていた早智は、気だるげに頬杖をつきつつ、呟くかにしてそれを口ずさんだ。

 ひらいた ひらいた
 なんの花が ひらいた

 ひらいたと思ったら
 いつのまにか


 つぼんだ……

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