花守綺譚
 〜咲くや、この花〜 7



 夏草が生茂る給水搭の丘。眼前にそびえる星神山の大岳は、その頂をすっぽりと厚ぼったい雲に覆われている。
 陸の孤島にも等しいというのに、空まで低く垂れ込めて来ているとすれば、
 息苦しい――
 早智は忌々しげにそれを睨むと、腕を後ろ側に投げ出し、傾けた上体を支えた。
 もどかしい日々が続いている。答えを求め、けれど見出すこともできず、自らを持て余しているのがわかった。
 どうすればいいだろうか?
 ありもしないこと――そう一笑に付してみても、唯ひとつの可能性が、全てを無かったことにしてしまうのに躊躇いを覚えさせる。
 だから、確かめなければと思う。
 けれど、どうして?――
 手段ひとつ選べず、身動きすらままならないでいるのが現状。
 子供だからか。
 それとも、無力だからだろうか?
「……」
 既に癖になっているのかもしれない。やり場のない感情が溜息となって毀れた。
「よう」
 不意にそう言われ、馴染みのない声に視線を向けると、うねるようにして続くアスファルトの小道を登って来る男の姿があった。
 まるでひと足先に夏へと行って来たかのような褐色の肌。暑くったらしいようでいて、けれど、どこか乾いた笑みを浮べた彼は、早智のそばまで来ると、当然のようにしてその傍らに腰を下ろした。
「湿気た面してんだな」
 勝手にやって来て、図々しくも人の領域に入り込み、おまけにその言い草ときたか。
けれど言い返しはしない。試されているのがわかるからだ。それが彼のやり方なのだろう。
 無反応の早智に何を思ったのか、軽く肩をすくめると、彼、橘高嶺は、片足だけをコンクリートで固められた階段の一段下へと伸ばした。
「親父さん、亡くなったんだってな」
 早智は顔を上げる。
「昨日聞いたんだ。ガラにもなく気持ちを整理するのに時間がかかって、それで、お前のところに来るのが遅れた」
「別に……」
 それはわざわざ断りを入れてもらうような事柄ではない。
「やっぱり似てるな、お前」
「知り合い?」
 高嶺は早智と視線を合わすよう顔を動かすと、
「ガキの頃ちょっとな」
 そう告げた。
 母とはほとんどの日々を共に過ごしたが、父とは仕事の都合上別行動を取ることも多かったから、その時に何かあったのだとすれば、事情を察するのは想像に難くない。
 彼は多分……
「ここに連れて来られるよりも前の話だ」
「そう」
 だから、仔細を問うこともなかった。
「どんな理由だったかは忘れたけど、お前らの合流が遅れなければ、案外一週間ぐらいは一緒に暮らしていたかもしれないんだけどな。俺、親父さんの子供に会えるっていうの、楽しみにしていたからさ、だからその話がぽしゃって、正直がっかりしたのを覚えている」
「それならきっと《繭ごもり》のせいだ。五歳の時に最初のやつをやったから」
「ああ……そんな感じだったかもな」
 高嶺は記憶を辿るようにして、笑った。
 それが十年後まさか、こんな形で顔を合わせることになろうとは思いもよらなかった。
 彼はそう言い、しばし瞑目する。
 父親の記憶は母親のそれと比べ薄い。苦手意識があるのは、彼女が最後にやらかしてくれたあの大馬鹿のせいだとわかっているから、今更嫌うとかいうのではないが、その存在を思う時、ざわりと蠢く得体の知れない感情を覚えるのも確かだった。
「そうそう、いずれ耳に入るだろうから、先に言っとく。明日の昼から、俺とお前で模擬試合だってよ」
「え?」
 模擬試合――
 正直なところ、その言葉に対する印象はあまり良くない。いや、模擬にも試合にもこれといって含むものはないのだが、ここでいうところのそれは、どういう訳だかいつも馬鹿騒ぎに直結する。
 老いも若きも、里中が総出。
――いやあ、お互い若い頃は腕を鳴らしたものですなぁ――
――ほんに、ほんに。あの頃が偲ばれまするなぁ――
 なんというか、爺婆にとってはいい酒の肴である。そのために催されているのではないかという噂もちらほらと耳にするくらいだ。
「まあ、いいけどね。別に」
 見世物にされることには抵抗を覚えるが、だからといってどうにかなるものではないのも、また、現状。
「しょうがねぇ、っていうか、田舎で娯楽らしい娯楽も無いからな。義務だと思ってちょっくら付き合ってやってくれや」
 早智の気持ちを汲んだ高嶺が苦笑を浮かべる。
 お手柔らかに、と言われたので「そっちこそ」、と返した。

* * *


 天気予報では少し降るようなことを言っていたが、空は斑に晴れ間を浮かべたりして、素知らぬ顔で持ちこたえている。
 広場を埋め尽くすかの歓声。それがどちらへ向けてのものかわからないほど、目の前で繰り広げられる光景は「見事」の一言に値していた。
 いつの間にあれほど強くなっていたのか。
 個別に九郎から指導を受けているのは知っていたが、よもやこれほどまでになっていようとは思いもよらなかった。
 もう、どれだけ足掻いても、颯斗が早智に勝てる日など来ることはないだろう。
 どうにかこうにか置いていかれずに済んでいるのは、ほぼ同じ状態を保っているこの背丈くらいだろうか。お互い細身ではあったが、更に細いのは早智のほうで、華奢と言っても過言ではない。
 それなのに……
 どうやら二人ともまだ余裕があるようで、時として綺麗な型の動作を保ったまま流したりしている。そうとわかっているのに、気づけば目を奪われている。無駄の無い動きに魅せられ、感嘆と焦燥とが綯い交ぜになって颯斗を襲った。
「そっくりね、あの二人」
「え?」
 朱音にそう言われても、何のことかわからず、間の抜けた声で聞き返した。
「わからないの? 動きよ。あの二人、体の使い方が驚くほどよく似ている」
 時々舞を舞っているかのような錯覚に陥るのはそのせいだったのかもしれない。同じ動き。同じ体の使い方。間合い、呼吸、それら全てが絡み合い、そして見せる。
「ああ……言われてみれば……」
 似ている。どうして気付かなかったのかと思うほどに、似ている。
「当然よ」
 答えを与えてくれたのは、朱音の横で見ていた小夜だった。
「高嶺を鍛えたのは九郎だけど、それ以前に基礎を教え込んだのは、早智君のお父様だもの。要素として持っているものがね、同じなのよ」
 早智と高嶺が似ている。姿形も、まとっている雰囲気も、全く違うのに似ている。ずっと前からひっかかっていたものの答えはそれだったのかと思った。早智に初めて会った時感じた、どこか近しい者と触れたような感覚。あれの正体は案外そういうことだったのかもしれない。
「強かったの? その、早智君のお父様っていう人」
 小夜の瞳に浮んだものを読み解いた朱音が問う。憧憬と呼ぶに相応しいだろうか。ほんの一瞬のそれは、颯斗の目にも印象深く映った。
「ええ、とても。あれだけの人、そうそう現れはしないでしょうね」
 再度、小夜の眼差しを追うようにして二人を見た。そこにいるのは颯斗の知らない高嶺と、颯斗の知らない早智。込み上げる思いを否定するかにかぶりを振った。

 優劣をつけるつもりはあったようだ。確かにふたりとも一瞬はそういう動きを見せた。
 けれど、結局は申し合わせたかのようにして動きを止めた。
 当然のこと周囲の面々は呆気にとられたものの、すぐにその意味を悟り喝采の拍手を送った。
「勝敗を求めればどちらも無傷では済むまい」
 どこからか、そんな声が聞こえた。
 去り際に高嶺が早智の肩に手を置き、何か語りかけていたようだ。相手の健闘を褒めたたえてでもいたのだろうか。
それを受けて、早智は笑った。
 久しく見ていないような笑顔だな、そう思った途端、颯斗の心はちくりと痛んだ。

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