花守綺譚  〜 だから僕は楽園を夢見る 〜 1


1.
 早耳の颯斗(はやと)――
はじめにそう呼んだのは姉の朱音(あかね)だったと聞く。決して褒め言葉ではない。好奇心旺盛の出しゃばり具合を揶揄したのだという。けれど、それでもやはり颯斗が耳聡い少年であることに変わりはなく、今回の件も一番に聞きつけてきたのは颯斗だった。
「省吾が“繭ごもり”に入ったらしい」
 そう言った口で颯斗は茹でたてのとうもろこしをかじった。さも美味そうに二口三口と続けざまにかじった。いつものことながら……と、猫舌の早智(さち)は感心する。皿にのせた自分の取り分は、まだ薄っすらと白い湯気を放っている。指の腹でふれてみると、当然のこと、熱い。
「でも、省吾は今年から中学生じゃないか。あれはだいたい小学生の、それも低学年のうちにしてしまうものだよ。中一にもなってだなんて……少し、遅いんじゃないかな?」
 早智は手持ち無沙汰に皿の淵をなぞった。颯斗は、そ、そ、そ、そ、と相槌を重ねて、
「問題点はそこだ」
 と、答えた。
“繭ごもり”とは、彼ら一族の成長過程にある長期間の睡眠状態のことをいう。早智も五歳と八歳のときにそれぞれ十日間ほど眠った。
 彼ら一族には、その幼少期において“萌芽(ほうが)”と呼ばれる特殊能力の目覚めがある。時に能力の発達は脳の許容範囲を大きく上回ってしまうことがあり、そうなると脳は、ひとたび身体機能の働きを最低限におさえることによって、情報処理に徹しなければならない。
「俺は四度目が十一歳の時だったけど、それでも遅いほうだって言われた」
「うん。いい加減、安定してもいいころだと思うよ」
 早智にもおぼえのあることだが、年齢が二桁を数えるころになると、身体も精神も互いのバランスを取ることに重点を置くようになる。“萌芽”以来どことなく宙をさまようかのようであった感覚が次第にその起伏も幅をせばめ、やがてすべてがそれなりの形で器の中に納まってゆくのだ。つまり、コントロールを会得したということである。
 早智はようやく適温にまで下がったとうもろこしを口に運んだ。山吹色の果肉は思ったとおり肉厚で甘い。颯斗は一本目を四分の三ほど食べたところで、早くもテーブル中央のザルの中から二本目を物色する素振りを見せた。
 八月も下旬。山の夏は短く、あたりはそこかしこに秋の気配を漂わせはじめる。
 宿題は厄介なものばかりが残った。残りの日数を思うと、いい加減先のばしにばかりしてはいられない。現実に背を押され、朝から図書室ごもりと決めこんだ少年ふたりだったが、こういうのはやはりやる気がものをいうのであり、共に進捗状況ははかばかしくないようだ。
「だったらなんで省吾は眠ってるんだ? ほかに理由って考えられるか?」
 うーん、と考えるふうの颯斗は、大きく首をのけぞらせて天井の一角をあおいだ。
 いつもならおやつの時間でにぎわう食堂である。けれど、今日は小学生の子供たちが不在のためがらんと広く、ただただ開け放しの窓から差し込む陽光が、ゆらりと漂うばかりだった。壁も椅子もテーブルも華美な装飾をされることなく木の肌をむき出しにしていて、暖かな色合いで調和している。
「そうだなぁ。ほら、麻疹やおたふくっていうと子供の病気だってイメージが強いけど、大人でもかかる場合があるじゃないか。少し強引だけどそういうオチがつくってことは?」
 早智の推測に颯斗はいやいやと首をふる。
 颯斗は次の手札を開いてみせた。
「省吾だけならそれでもいいさ。でも、美月と和馬もだって言ったらどうする?」
「ああ……」
 たしかに。それだとまた話が変わってくる。
 美月は小五で和馬は小六になるはずだった。
「規格外ばかりってことか」
 そ、そ、そ。と、颯斗は相槌をうった。
「繭ごもりの異常発生だ」
 異常発生……早智は、オタマジャクシの異常発生だとか、テントウムシの異常発生だとか、何故かそんな面妖なイメージばかりを次々と思い描いたのだが、あえて茶々を入れることはしない。
「さっき塾頭室の前を通りかったら、中の話声が聞こえたんだ」
 どうやら積極的に盗み聞いてきたらしい颯斗である。三人の身に起こった出来事は大人たちのあいだでも問題になっているのだろうか。
 和馬の不在については早智も気になっていたのだが……
「それで昨日の稽古にはいなかったのか」
「和馬と美月は一昨日の夜から眠っているらしい」
「そうか。でも、和馬ねぇ……」
 うーん、と早智はうなる。
「ほかの二人はともかく、和馬はもうそんな段階じゃないと思うな。最近組み手をやらされることが多かったからわかるんだけど、安定しているよ。コントロールも上手い。あの調子なら下山の許可が下りるのもそう遠い話じゃないと思うね」
「みんなそうさ。和馬も美月も省吾も、みんなもう、そういった歳じゃないんだって」
 颯斗は頬杖をつき、空いた右手でとうもろこしの軸をいじった。話をふったのはいいが、颯斗自身がその答えまで持ち合わせているわけではないようだ。無論、早智にもわからない。ただの偶然か、はたまたどこかに端を発する必然なのか。
「これってさぁ、まだこの先も続くのかな?」
「さぁてなぁ……あと残ってるのは誰だ? 弥彦と与彦か? 史也に恭平もいるな」  颯斗は小学生の高学年から中学生にかけての面々を、ひとりひとり指折りながらあげていった。
「案外、僕らにまで及ぶのかもしれないね」
 などと、早智が冗談交じりに言うと、颯斗は途端に顔を歪め、
「やめてくれよぉ。この前だって俺、十一歳にもなって有り得ねぇだとか、オムツの取れ具合まで引き合いに出して散々言われまくったんだから。この上また記録更新か? 俺の場合省吾と同じ十三でも学年はひとつ上なんだ。最悪じゃねぇか」
 大仰な仕草を交えわめいた。つまり、今回の出来事は颯斗にとってかつての汚名をそそぐ絶好の機会になるわけだ。それこそ自分まで一緒に眠りこけてしまっては本も子もない。
「まあ、風邪がうつるのとは訳が違うんだから」
 なだめるように早智は言った。
「そうだよな。伝染病じゃないもんな」
「うん。まだ連鎖反応の可能性を考えた方がいいと思うよ。精神面の問題とかさ」
「精神面? だったら何か? 気をしっかり持っていれば大丈夫なのか?」
「え? さあ……だって、話の根っこがわからないし、今の段階では断言できないけど……」
 早智は曖昧にして言葉をにごした。どうやら下手な憶測は颯斗の心にいらぬ波風を立てるだけのようだ。
 時計が三時半を打った。
 颯斗はため息混じりに言う。
「どっちにしろ妙な話だ」
 やがて裏口の開く音がした。小夜が帰ってきたのだろう。茹で上がったとうもろこしをザルに上げてくれ、十分ほどで戻ると言い調理場を出て行った。あれからすでに三十分近く経とうとしている。訪問先での雑談が思いのほか長引いたのだろう。
「小夜さん、ありがと。美味かった」
「ごちそうさま、小夜さん」
礼を言って食器等を配膳カウンターに戻した。いつもならここで「はーい、お粗末さまでした」、とでも返されるのだろうが、かわりにカツカツカツという軽やかなサンダルの音が近づいてきて、勢いよく小夜がカウンターから身を乗り出した。
「ちょっと待って、あなたたち」
 健康美あふれる笑顔。長い指が手まねく。
「ねえ、これからまだ勉強するの?」
 颯斗と早智は互いに顔を見合わせた。勉強なら朝から嫌というほどしている。当然、それで終ったわけでも、目処(めど)がついた訳でもなかったのだが、いい加減やる気の方が枯渇していた。
「いや……」
 と、颯斗は困惑気味に笑った。これには、あまり突っ込んでほしくはない、という意思表示も含まれている。小夜の方は最初からそう返されるのがわかっていたのだろう。満足そうににっこりと笑った。
「だったら、お使いを頼まれてくれない?」
 九郎といい、鷹虎といい、里の大人たちは子供たちのあつかい方が上手い――早智は常々そう思っている。
 五分としないうちに少年たちは遣い物のとうもろこしとさつま芋を持って花守塾を後にしていた。

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