花守綺譚  〜 だから僕は楽園を夢見る 〜 3


「ねえ、外に行こうよ。いいでしょう? 颯斗君」
 虎太郎が颯斗の腕をひいて言った。体に似合う高い声だ。
「外って、お前体の具合はいいのかよ」
「うん。今日は平気。ねぇ、いいでしょう?」
「あら、今からなの? こっちの用意もできたのだけど」
 操が入ってきた。盆の上にはグラスがふたつのっていて、オレンジジュースと思われる明るい色の液体が注がれている。
「だって、暗くなったら嫌だよ。せっかく颯斗君が来てくれたのに」
 颯斗と操は互いに顔を見合わせた。何やら手短に二言三言ことばを交わし、そして颯斗はグラスを両手に取ると、一方を早智に向かって差し出した。
「早智」
 飲んでしまえ……ということだろう。
 そして、一緒に来い、という意味でもあるのだろう。
 颯斗は鈍感ではない。けっして鈍感ではないのだが……少々感覚が大らかにできている。
「行ってらっしゃい」
 朱音は他人事のように右手を振った。
 幸い、早智の側からでは虎太郎の顔は見えない。早智も一緒であるということに虎太郎がどういった反応を見せたのかは……知らないでいることができた。
「じゃ、行くか」
 連れ立って歩く颯斗と虎太郎のあとを、早智は少し遅れて追いかけた。


「真っ赤だ」
 虎太郎はひまわりを指さすと言った。
 道端に四つ整然と並び立つひまわりの花は、すでに盛りの頃のようなあざやかさはない。じっと頭をたれ、その内側で次の夏を待つ新しい命を育んでいる。
 花は赤かった。いや、花自体が赤いのではない。花は朽ち葉色に枯れゆこうとしている。赤いのは花の発する生体エネルギーの赤だ。
「ひまわりはいつもこうだ」
 颯斗は言うと、一番太い茎から枯れて今にも落ちそうになっている葉を一枚むしり取った。ガサリ、と颯斗の手の中で小さな音が鳴った。
 人間はもちろんのこと、植物も、獣も、ありとあらゆる生きものたちは、有機物が描く輪郭とは別に、感情や生命エネルギーからなる光の輝きを有している。
 晩夏の夕暮れ。黒い影となってそびえるひまわりの花は、その中心の、種子がぎゅうぎゅうにつまった幾何学模様の内側から、ぼうっ、と赤黒い光を放っていた。まるで、灼熱のマグマがうごめくのを見るかのように。じくじくと明滅を繰り返すそれは、ほんの一瞬早智の鼓動と動きを共にしたかと思うと、次第にその間隔を異とし、また独自のリズムを刻んでゆく。
 追憶なのだ。あの暑い、真夏の陽射しを一身にあびた花が、今、過ぎ行く夏を惜しむように、消えゆく命をなぞるように、じっと夏の余韻を噛みしめている。
「あっちは金色。蛍みたい」
 虎太郎の細い首が空を見渡す。わずかに消え残る夕焼けと、無言のまま下りてくる藍色の夜。そのあいまを縫って金の粒の集合体が流線状の軌跡を描き飛んでゆく。
 颯斗の差し出した指に、金色のトンボは吸い寄せられるようにして止まった。虎太郎の喉から小さな歓声があがった。
「ここに来る前はね、こうして色の話をするのって嫌だったんだ。みんな僕のことをおかしな目で見るから」
「そりゃぁ、仕方がないさ。外の連中は俺らみたいに見えるわけじゃねぇもん」
 颯斗の言う外とは、花守の外、かれら一族とは血脈を異とする者たちが住む外側の世界だ。
「知らないんだ、みんな。笑っているふりをして本当は心の底で違うことを考えている。そういう時ってさ、ねっとりとした嫌な色が出ているものだよ」
 颯斗は微かに笑んで、何も言わず虎太郎の頭をぐりりと撫でてやった。
 虎太郎と同じく外で育った早智は、経験として虎太郎の不快を知っている。幼いころから花守で育った颯斗は、幾度となくそうした同胞たちを迎えてきたのだろう。
「俺らって、少数派なのよ」
「でも、ここじゃそれが普通だ」
 少し拗ねたように言って、虎太郎はひとり先を歩いた。
 颯斗は早智を見て苦笑いし、早智も同じ顔を返した。
 空には宵の明星、一番星が光る。


 早智と颯斗が花守塾へ帰り着くと、どうやら子供たちの方が早かったらしく、屋内は昼間の静けさとは打って変わっての喧騒につつまれていた。発生源は食堂である。焼き魚の匂いにひかれ食堂に入ると、あざやかにそしてほっくりと煮えたかぼちゃが鉢一杯に盛り付けてあった。
 それとなく見回してみたものの、やはり省吾をはじめとする三人の姿は無い。
 そしてもうひとつの空席が早智の目に止まった。颯斗も同じだったとみえる。
「なんだ、ひとりか? 弥彦はどうしたんだよ」
 弥彦と与彦。あきれるほど仲がよい一対の双子は、今日に限ってひとりで夕食を食んでいた。
「寝ちゃった。なんか疲れてるみたい。昼前から元気なかったし」
 つまらなそうに言う。
「また大暴れしたんだろう。いくら山ん中だからって、気をつけろよ。こことちがって人の目があるかもしれないんだから」
「別にたいしたことはしてないよ。弥彦があんなだから肩透かしで、ずっと鷹虎さんに釣りを教わってた」
 夏休み最後の日曜日だから――と、子供たちは大岳の三の沢付近に散策に出かけていた。
「そっちこそどこへ行ってたのさ。夕食前に少し相手をしてもらおうと、そう思って帰ってきたのに」
「ああ、操さんとこ」
「また、虎太郎ちゃんのお守り?」
 ちら、と上目づかいに見て与彦は言った。口調に棘がある。
「勘違いしないで。はじめから嫌いだったわけじゃないよ。こっちだって努力したんだ。省ちゃんだって、同い年だからって随分頑張ったんだよ。それなのにさ……」
 一年分の鬱屈が与彦にそれを言わせるのだろう。
 早智と虎太郎は同じころに花守に来た。共に両親を亡くしたという事情も共通している。虎太郎は身内である操に引取られ、早智は花守塾で暮らしはじめた。
ふたりの類似性を指摘する朱音の見解は正しい。虎太郎もきっと自分以外は敵だと思っている。
 早智にとっての幸運は、かたわらにいるのが颯斗だったことだ。颯斗が潤滑剤となり、早智と他の皆との摩擦を最低限にしてくれた。
「ああ、早智君も気をつけたほうがいいよ。虎太郎ちゃんってば颯斗君の好きなものはみんな嫌いみたいだから」
 意味深に笑んで。
 トレイを持ち立ち上がった与彦は、「それじゃあ七時半に武道場に集合」、と言い置いて食堂を出て行った。
「どうしたもんかねぇ……」
 味噌汁の実はたまねぎとさつま芋だった。それを口元に運びながら、颯斗は困惑気味に嘆息する。生まれ月なら早智のほうが一年近く早いのだが、ここでのまとめ役は颯斗だった。下の子たちも例外なく颯斗を慕っている。颯斗の言うことは正しい。けれど、
「みんな仲良くってわけにはいかないよ」
 早智は思う。颯斗のようにはいかない。颯斗のようにはできない。
 何が違うのだろう。どうすれば颯斗のように生きることができるのだろう―― そう思うことはあるのだけれど。
「うん……」
 うなずいたふうの颯斗だったが、納得できないでいるのは明白だった。

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