花守綺譚  〜 だから僕は楽園を夢見る 〜 4


3.
 弥彦に続いて日織も起きない。異常性は明らかとなった。
「まあ、考えようによっちゃぁ、夏休みのうちで良かったんじゃねえの? さすがにこれだけの数が一斉に休むと、学校側だって不審に思うだろう?」
 とわずがたりに颯斗が言う。答えたのは九郎だった。
「あと三日のうちに解決すればね」
 三日後には二学期がはじまる。
 竹垣が壊れていた。花守塾と公民館の境にある竹垣が半分、打ったのか蹴ったのか、無残にも崩れ果てている。犯人は弥彦らしかったが、当の本人は眠りの園だ。
 早智と颯斗は、袋小路におちいった読書感想文に見切りをつけ、気分転換と称し外に繰り出そうとしたところを九郎につかまった。修復作業には人手がいる。恰好の要員である。
「このあたりまで残せそうか。気をつけて。これ以上被害を大きくしないように」
 九郎の指示にしたがい破損のはげしい部分を取り除いた。早智と九郎は新たな垣を組み、颯斗はそこら中に散らばる残骸を拾い集めた。
 柊九郎、彼も小夜や鷹虎と同じく、ここ花守塾で子供たちの面倒をみている。強面の鷹虎とは対照的に穏やかな面差しの青年だった。
「弥彦の奴、余程パワーが余ってんだな。これならまだ当分の間はここに足止めだ」
 半ばあきれるようにして颯斗が言うと、はるか上空で鳶(とび)がなめらかに鳴いた。
 こうしたことに、花守塾の存在する理由はある。
 特異な視覚といい、他の人間よりも発達した筋力といい、一般社会で異端視されたくなければ徹底した制御能力を身につけるほかない。
「ねえ、前から聞きたかったんだけど、どうして学校は普通のところへやるのさ。いっそのこと専用のものを作ってしまったほうがいいんじゃない?」
 早智は問うた。
 花守塾の運営は財閥系の製薬会社によって行われている。かの企業の財力をもってすれば、学校のひとつやふたつ用立てることくらい容易いだろう。何故、完全に隔離してしまわないのか――それは当然の疑問として早智の中にあった。
「そういうふうにしていた頃もあったらしいんだけどね。でも、結局は外の世界に出て行かなくてはならない。百年前ならいざ知らず、今の時代、我々だけで生きていくことはできないだろう? 完全にかこってしまっては、かえって出るのが辛くなるさ」
 花守が陸の孤島であったのははるか昔。今の世に生きようとすれば共存が必要なのだと九郎は言う。
 寮舎の二階からは、雑木林を透かして高台に建つ製薬会社の研究所が見えた。麓には工場もある。元より産業の乏しい桃栗町のこと、町の存亡はこの工場の動向にあると言っても過言ではなかった。ゆえに、近隣住民は誰も花守に必要以上の介入をしようとはしない。花守が有力な後ろ盾を持つ以上、規律は暗黙のうちに存在していた。
 無論、時には好奇のままに探ろうとする者もいる。けれど、彼らがその好奇心を持ち続けることもまた、困難を極めた。
「天狗伝説に星神山信仰ですか? ほほう。下のほうでは妙な話が流行りますなぁ。ここの子供たちは皆、病気療養で滞在しているのですよ」
 ある者は老人にそう言われたといい、またある者は若い女から説明を受けたと言う。 「ええ? 元気そうにしているじゃないかって? そりゃぁ、大きな子たちはねぇ。でも、あの子たちにしても小さな頃は喘息だのアレルギーだのとそりゃぁ大変だったのです。それを治してしまうのだから、やはり星神山の水と空気は偉大ですなぁ」
 中にはその後白髪の老婆に会ったという者もいたが、いったいそれがなんであったのかを記憶している者はいない。天狗伝説も星神山信仰も、そういった類いの話は逆に隠れ蓑として利用される。好奇のままに山に入り、そこの秘密を持ち帰った者は、いまだかつていない……
 早智は例外として花守に入った。体調云々を理由にする必要はない。颯斗も本来ならすでに下山を許されているのだが、両親共に多忙で引き続き花守にあずけられたままだ。
 時計が二時半をうった。
 画板を抱えて出てきた与彦は、図画の宿題をしに行くという。
 早智と颯斗は連れ立って神社へと向かった。


「僕と弥彦の違い?」
 深緑を塗った絵筆を水入れに落とすと、与彦はさて、と首をかしげた。
 下塗りが終わりあとは仕上げを残すばかりだという与彦の絵は、早智になど難をつけようがないほど見事だった。颯斗もなかなかの腕だが与彦はそれ以上だ。あるものをあるがままに写す、ただそれだけのことが出来ぬ者にはなんとも難しい。画才など欠片も無いと自覚している早智は、自分が持たざるものを持つ二人のことを少しだけうらやましく思う。
「そうだなぁ……逆に言うと、似ているのは顔ぐらいじゃないかなぁ?」
 は?――と。明確に顔を作ったのは颯斗だったが、早智も与彦の言葉には疑問をおぼえた。
「全然違うよ、僕らって」
「そりゃぁ、おまえにすれば違うんだろうよ。でも、俺らにしたらおんなじ、っつーか区別しづらいんだって」
「違う違う、そうじゃなくって。全然違うからわざと似せてるんだよ」
「はぁ?」
 更にわからない顔をする颯斗に、与彦は悪戯っぽく笑んで、
「気がつかなかった?」
 颯斗は不明瞭な濁音と共に空をあおいだ。鬱蒼と繁る枝葉の間に細切れの空が顔をのぞかせている。
「双子って互いに個性を主張し合うって聞いたことがあるけど、反対なんだ」
 早智が問うと、再び筆を手にした与彦は、そうだね、と答えた。
「主張するも何も、最初から違うんだもん。だったら似せちゃえ、って。その方がまわりの反応も良かったしさ」
「ああ……なるほど」
「納得すんな、早智。わかりづれぇ〜」
 緑、黄緑、深緑、何色もの緑と、わずかばかりの青、黄色。丁寧に色をあわせると、風にざわめく鎮守の森を画用紙の上にうつしとった。
 そうすることで与彦は、移りゆく夏を紙の中につなぎとめる。
「でも、どうしてそんなことを聞くのさ。僕と弥彦が違うとどうなの? ちゃんと教えてよね。気持悪いから」
 次の色を選ぼうとして定まらなかったのか、しばし鳥居のあたりを見つめていた与彦が顔を向けた。
 不思議なものでそう言われてみると、ふたり組みでいる時の彼より今いる与彦からの方がややきつめの印象を受ける。
「だからさ、弥彦は眠っているのにお前は起きているだろう?」
「うん」
「何が違うんだ?」
 再度、念を押すように問う。けれど、与彦の答えは「さあ」、というあっさりしたものだった。
「なんだかなぁ〜」
 胸中のもやもやを一段とふくらませてしまったらしい颯斗である。
「だけど、これまでは一緒だったよ。弥彦が寝ちゃうと僕も眠くなるし、僕が寝ちゃうと弥彦も起きていられなかったみたい。だから、違うね」
 一瞬目を細めた与彦は「大丈夫かな」、と小さく呟いた。

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