花守綺譚  〜 だから僕は楽園を夢見る 〜 5


4.
 自慢ではないが寝起きは悪い。夜型なのだ。バイオリズムなのだ。早智は常々そうこぼしている。
 対して颯斗は朝が強い。これまた強い、滅法強い。夏でも日の出より早く起き出しているのではないか?
 とはいえ、何時に起きようと人それぞれ。早智が颯斗の生態をどうこう言える立場でもないし、本来言うべきことでもないのだろうが、いかんせん颯斗は起きたら起きたでじっとしていられない性質ときている。この場合、一番の被害者は早智だった。
 それでも一応気を使っているという颯斗は、ひと通りの身支度を整え、いくらかの時間をつぶした後に早智の部屋へと乗り込んでくる。
「あっさーだよー!」
 おかげで早智は“目覚まし時計いらず”だった。
 ところが――
 六時五十分。はた、と目を覚ました早智は、それがいつもの朝でないことに気付いた。早智の朝はもっと乱暴で、こんなふうに静かなものではない。あれはつむじ風にも似ている。
 どうしたのだろう。
 しかし、だだだ、と勢いよく廊下を走る音が違和感を散らした。
 なんだ、颯斗も寝坊したのか。
 いつも通り七時すぎに出ようかと思えば少し急がなくてはならない。けれど、間に合わないこともないだろう。下手に大騒ぎなどされてしまった方がずっと厄介なのだ。
 まずは颯斗をおさめなくては。早智は大きく息を吐いて起き上がった。
「早智君、起きてる?」
 朱音だった。朱音は早智の返答を待たずに入ってきた。
「どうしたの。あれ、朱音ちゃん、なんで……」
 なんでこんな時間に朱音がいる――?
 朱音は今年から高校生になった。朝も早智たちより一時間近く早い。
 もしかして高校は始業日が遅いのだろうか――?
 しかし、朱音は制服を着ていた。リボンだけがまだ結ばれていない。
「二学期って、今日からだよね」
「今起きたの」
 颯斗が来なかったから――
 そう言うと朱音は指で額にかかる前髪を梳いた。
 大急ぎで着替えたのだろう。ほかはまだ手付かずのようだ。
 颯斗はまず朱音を起こしているはずだった。朱音を起こし、早智を起こし、他の子供たちを順繰りに起こし、そして二度寝している早智を起こし食堂へと引っ張ってゆく、それが颯斗の日課だった。
「颯斗がどうかした?」
「私、颯斗の部屋に行ったのね。ひとこと言ってやらなきゃ気がすまないから」
 ただでさえ時間が無いのに。いや遅刻確定だったからこそかもしれないのだが、朱音は颯斗のところへ怒鳴り込んだらしい。逆恨みだろうが何だろうが、颯斗の行動が朱音の生活に組み込まれている以上、それは正確に作動しなくてはならない。それが朱音の理屈であり彼女の正論でもある。
「まさか、って思った。だって、あの子……」
 颯斗が繭ごもりに入った――
「どう思う? 早智君」
 朱音の問いに、早智は何も言わず眉をひそめた。

 昔の人はこれを繭玉に見立てたのだろう。とはいえ、実際の繭を見たことがない早智には、繭より卵を思い浮かべることの方が容易だった。
 乳白色を透かして、うっすらと中に眠る颯斗が見える。
 繭は放射状に広がり、濃から淡へ、また淡から濃へとゆるやかな変色を繰り返している。
 繭は有機物ではない。オーラとでも言うのか、生体から発せられたある種のエネルギーが体をつつみ込む形で見えているだけだ。
 そして、それは彼ら一族をはじめ、少しばかり特殊な能力を持つものにしか見えない。
「ついに最年長記録の樹立ね」
 あきれた、と朱音は吐息まじりに言う。
「ここはひとつ、大物とでもいうことにしておこうか」
 困り顔で笑い、九郎は返した。
「それで、結局のところどうなの? これって何? 何か、おかしなことになっているのかしら?」
 当然の疑問だった。颯斗を入れて六人、年齢も異常なら数もまた異常。一体どんな理由がひそんでいるのか。当然のこと、早智も知りたい。
「詳しいことはね、まだ何ひとつわかっていないのだよ、朱音ちゃん」
 微かに、朱音の髪が揺れるのを見た。
 何かを言おうとして、飲み込んだのか。
 そして彼女は、仕方がないわね、とでも言うふうにまぶたをふせた。
 九郎の言はやわらかく、耳ざわりも良いのだが、そのくせどこか有無を言わせないところがある。慧眼な朱音のこと、何かさとるものでもあったのか。
「さあ、ふたりとも、今日は車で送るから支度をして」
 時計を確認して九郎は立ち上がった。
 颯斗の体に夏布団をかけてやる。開け放たれた窓から涼やかな朝の風が入り込んで、壁のカレンダーをカサとゆらした。
 天気は上々。今日は少し暑くなるかもしれない。
「そうそう、朱音ちゃん。小夜さんからの伝言だけど、『朝食はきちんと取るように』って。毎朝食堂に来る子が顔を見せなければ、何かおかしなことが起きてるんじゃないか? って思うんだそうだ」
「アクシデントに乗じて、それを言うのってどう? だいたいお弁当がそのままなんだから、起きてないってことぐらいわかったでしょう? 逆に起こしに来てくれたっていいような話じゃない」
 先の反撃だろうか。今度は朱音も譲らなかった。この種の口論の場合、朱音はすこぶる強い。無論、九郎もわかっているのだろう、
「だから、小夜さんからの伝言だって」
 からりと笑ってそれをかわした。
「ねえ、欠席理由はどうするのさ。本当のことは言えないんだし、もしも容態を聞かれたりしたら僕はなんて答えたらいい?」
 廊下に出たところで早智が問うと、
「何って、颯斗の場合……欠席の理由は“腹痛”よ」
 初めは当たり前のように、そして後半は意味深に笑んで、朱音が答えた。
「昔っからそう。しょっちゅうだもの。だから、嘘も本当も、あの子の場合欠席理由は“腹痛”なの。長期だったら腸感冒、短期だったら、まぁ単に腹下しね」
 足取りも軽く自室へと向かう。
「でもさ、知ってる? それって本人、案外気にしてるんだよ。別の理由にしておいた方がいいんじゃないかな?」
 朱音は答えなかったが、なにやらとても楽しそうだ。
 どうやら承知の上。嫌がらせとしては予定調和のこと……だったらしい。

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