kitan

二月寓話 1

 図書館への道はふた通りある。
 駅前通りを抜けるのと、少し遠回りになるが川ぞいの並木道を行くものと。
 夏はいつも後者だった。理由を聞かれればきっと、
「景色がいいから」
 そう答えるだろう。
 けれど本心を言えば人ごみが苦手なのだ。特に顔見知りには会いたくないと思っている。
人間は、苦手だった。
 二月に入ると間もなく、並木道は橋の架け替え工事のため封鎖された。関連工事の遅延によりひと月以上遅れての着工だった。
 だから夏はしかたなく、返却期限のせまった本を片手に大通りを歩いていた。
 ただ、後になって思えば、この時の出来事が日常の分けたのだ。
 もしも工事などが行われず、夏がいつも通りの道を行っていたのなら、彼らとの遭遇もまた別の形になっていただろう。
 印象も違っていたはずだ。

 だからなるべくしてなったのだ     と。
 振り返るとき夏は、いつもそう思うようにしている。

1.

「まだいる……」
 夏が言うと、煌(きらら)は怪訝そうな顔をして立ち止まった。彼女の不機嫌はいつものことだが、ほんの少しだけいつもの煌と違うような気がしたのは、夏の方もほんの少しだけいつもの夏と違っていたからかもしれない。
 雪が降り始めていた。
 駅から出てすぐのところに少年がひとり座り込んでいる。往き道に見た時と同じで、大きな鞄を足元に置き、レンガで出来た冬枯れの花壇に腰を下していた。
 くりりとした目が印象的な彼。年頃は夏や煌と同じくらいだろうか。
「誰かを待っているのかな?」
「あの荷物だもの。きっと遠くから来たんでしょう。迎えを待ってるんじゃない?」
「でも、もう一時間以上になるよ」
  夏が図書館にいたのはジャスト一時間。人の多いところは苦手な彼だが、図書館だけは違った。みんなが本におぼれてほかのことなど気にしないのか、はたまたおぼれているのは夏の方でまわりのことなど気にならないのか。たっぷりと夏は、一緒にいた煌がしびれを切らすほどの時間を本選びに費やしたのだった。
 にもかかわらず、相変わらず彼はそこにいた。同じように足を投げ出して、少し困ったふうな顔で宙を見つめている。
 声をかけてみようか    
 そう思った時には体が動いていた。普段の夏なら絶対にしないような行動。
 いつもの夏なら視界に入るものは排除する。できるかぎり意識に止めないように心がけているから。
 だから、煌が不審に思ったのもわかる。
「あの……」
 夏が前に立つと、当然のこと少年が夏を見た。
 人懐っこい顔だと思った途端彼が破顔し、夏はためらいをおぼえ困り顔で笑った。  声をかけたまではいいが、あまりこのような状況にはなれていない。次に何を言おうかと迷い、
「寒くないですか?」
 とつなげた。
 初対面の人と、しかもこんな形でのやりとりで、さてはてこれはどうだろう……?  間違ってはいない。間違ってはいないのだけれど、でも、いきなりそんなことを聞かれたりしたら、相手だって困るのではないか?
 我ながらわけのわからないことを……そう思った途端、夏の心は申し訳なさでいっぱいになる。
 しかし、
「平気だって、平気。うちなんてこの前の寒波で積雪二メートルだぞ。埋まるぞ、滑るぞ、凍えるぞ。一回来てみるか?」
 この場合、わけのわからなさは向こうのほうが上手かもしれない。夏は言葉を失い、二三度目をしばたかせた。
 少年は勢いよく立ち上がる。背丈は夏より心もち高いようだ。見るからに健康そうだと思った。きっと、身も心も病むところなどないのだろう。時々こういう人間がいることを夏は知っている。自分とはあまりにもかけ離れていて哀しくなる。
「待ち合わせかどうかって聞きたいのよ。そうやってあなたが往きも帰りもいるから、その子が気にしたんじゃない」
 少し距離を置いて見守るようにしていた煌が近づいてきた。つかつかと歩み寄り、少年と夏の間に割って入る。
「へぇ……黒頭巾だ」
 感嘆の吐息ともに少年が漏らした。
赤頭巾の黒バージョン    そんな意味での言葉だと思われる。煌は時代錯誤な外套−ローブ−を羽織っているし、まあ、強ち間違ってはいないだろう。少年の反応は素直な驚きであって、それ以上でもそれ以下でもないようだ。
 ただ、奇妙な目で見られれば怒るくせに、そうでない場合も怒るのが煌の性格というか、どうせなら「魔女」とでも言ってほしかったのを知っている夏は、話の矛先があやしくなるのを感じながら煌の横顔を見つめた。
「失礼ね。人のことなんてどうだっていいでしょう。さあ、さっさと質問に答えて頂戴」
 予想通り、二割り増し不機嫌な声が容赦なく放たれた。
「いやぁ、待ち合わせっていうより、置いてかれたっぽい? ほれ、そこの自動改札ってやつ? あれで手間取ってたらいつの間にかいないんでやんの。俺、県外に出るのまだこれで三回目なんだよなぁ。もう少し細やかに対応してくれてもいいと思わないか?」
「自動改札につかまるだなんて、どこから来たのよ田舎者。携帯とか持ってないの? 連絡はどう? 何もせずにただぼーっと待ってただけ、だなんて言うんじゃないでしょうね?」
 眉間を苛立たしげに寄せた煌が矢継ぎ早に言葉を重ねた。
「き、煌……」
 とてもではないが初対面の相手にする対応ではない。しかもいつも以上に苛立っているような気がする。
何故だ? 
 発端が自分であるだけに夏は戸惑い、かといってどうすることもできずに、ただおろおろとして少年と煌の顔を交互に見つめた。
 しかし、対する少年の方はというと、自分に向けられた悪感情など一切気に止める様子はなく、「おっ、そうだった、携帯携帯」と言って鞄の中をあさりはじめる。
「何かのときにって、持たされてたんだな。確か……」
 ガサガサとやっては「ん?」、ゴソゴソとやっては「あれ?」、なかなかみつからないのか少年が首をかしげる。
 煌はいつ沸点を越えるかわからない。ハラハラドキドキの夏は、ついつい前かがみになり様子をうかがってしまう。
「もしかしてこっちか?」
 脇ポケットから花柄のストラップつきで携帯電話が取り出された時には、ほっと胸をなで下ろした。しかし、
「で、どうやって使うん? これ、借り物なんだよな」
 次の瞬間、案の定煌がひったくった。
「まったく。今時携帯電話も使えないなんて」
「うちのあたりって電波の入りが悪いんだよなぁ。持ってたってあんまり意味ないし」
 だからどこの田舎よ     と続けようとした煌が一度口を閉ざす。
「メール、入っているじゃない」
「あ、本当? なんてなんて?」
 素早い指裁きで文書をひらく。瞬時にして内容を把握したのだろう、
「と、いうことよ」
 そう言って煌は、顔を並べる少年と夏に、携帯電話の画面を突きつけるようにして差し出した。
 メールには“自力で来い”      と、ただそれだけが簡潔に記されている。
「えー!」
 少年は濁音混じりの声を上げた。
「解決ね。もういいでしょう、夏。帰りましょう」
「でも……」
 放っておいてもいいのだろうか? 彼に土地勘がある可能性は限りなく低いと思われる。
 煌はすでに歩き出していたが、夏はそれに続くことができなかった。
「どこに行けばいいの? 場所はわかる? 近くなら案内するよ」
「そうか?」
 メールを凝視していた少年の顔がぱっと明るくなった。夏もつられるようにして笑った。
「知り合いのマンションだけど、たしかどっかに住所のメモが……」
 再び荷物の中身をかき回しはじめた。不機嫌丸出しの煌が大股歩きで戻ってくる。
「夏って言うんだ、名前」
 見つからないのか、上着のポケットまでさぐりながら少年が言った。
「うん。如月夏。でも、女じゃないよ。よく間違われるけど。こっちは煌、双子なんだ」
「俺は颯斗、雪柳颯斗」
 よろしく、と言われて、夏の心臓が大きくはねた。

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