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二月寓話 5

 夏は颯斗にこれまでのことを語った。物心ついてからのこと。転々と住むところを変えていったこと。長くても二年。家は和洋を問わなかったが、必ずといっていいほど古かったということ。
「麗も蔦さんもね、全く変わらないんだ。僕が子供の頃からあんなふうだよ。歳をとらないんだ。だから、あんまり長いこと同じところでは暮らせないんだって」
「おまえ、それをどう思ってたんだ? 不思議だとは思わなかったのか?」
「いずれ僕もそうなるって言われたよ。それに僕だって自分が普通じゃないっていう自覚はあったから」
 たとえば、あちら側とこちら側でふたつに分ける。普通の人間をあちら側だとすれば、夏も煌も、麗も蔦も、間違いなくこちら側の存在なのだ。
「でも、いつの頃からかな。やっぱり、早智と会った頃からだろうか。僕は煌たちとは違うんじゃないかって気がするようになった。普通の人間じゃない。かといって煌や麗とも違う。だったら僕はいったい何なのだろう? そう思うとすごく不安だった」
 世界中でただひとりなのかもしれない。自分だけが異分子なのかもしれない。だとしたらそれはなんて哀しいことだろうか。
何処にも属さない。誰とも馴染まない。
まるで、漆黒の闇の中をひとり漂うかの感覚。
孤高を気取るほどの強さなど、自分は持ち合わせていないというのに。
「俺らさ、お前のことを探してたんだ。錦木っていうんだよ、お前の名字」
「ニシキギ?」
「そう、錦木夏だ」
 如月ではなく錦木。如月夏ではなく、錦木夏。
「丘が見えるのもそう? どこだか知らないけど、とても懐かしい。昔から、そう。麗も煌も知らないっていう。でも、僕は知ってるんだ。こんな気持になるのも、ねえ、君たちと同じだから?」
「多分な。それが“ニシキギ”の力だからさ」
 肯定されることがこんなにもうれしい。
 どうすればいい? ねえ、僕はどうしたらいい?
「なあ、一緒に来ないか?」
 夏は、はっとして顔を上げた。 「みんないるしさ。なんか、お前を見てるとその方がいいような気がする。それになんかさ、」
 颯斗が眉間にしわをよせる。
この家は少し変だ     と、颯斗がそう言った時、客間の扉がすいと開いて蔦が入ってきた。麗がかけるレコードの調べは、いつの間にかパイプオルガンに変わっている。
「果物でも召し上がれ。じきにお昼にいたしましょう。お話がはずんでようございますね」
 真っ赤な苺が二皿、テーブルの上に差し出された。


 似たような街だ     と早智は思った。
 三年前に夏と会ったのと同じにおいのする街。古くて、住む人の数もある程度多くて、けれどどこか沈んでいる。良く言えば静かな街。率直に言えば活気の無い街だった。
 寂れた商店街を抜け、公園に入った。風が冷たい。夜半ごろにはまた雪が降るという。
 時刻はじき午後の二時になろうとしていた。
 ニレの木を背にして、動かない人影がひとつ。漆黒の外套をはためかせて煌が立っていた。
「何か用?」
「それを聞きたいのは私」
「颯斗がお邪魔しているみたいだから」
「いいえ。知らない」
 少女は酷薄な笑みを刻み言った。
「夏を、どうするつもり?」
 冬枯れの木立に目を向け煌が問う。あどけなさが消えつつある横顔は、見る者の心に一段と怜悧な印象を与える。
「それを聞きたいのは僕だ。君は誰? いや、何者と言うべきかな? どうして夏と一緒にいる。いったいあれをどうするつもりさ」
 煉瓦敷きの歩道を寒風に吹かれた木の葉が舞った。細かく波打つ煌の髪が、白磁の頬にかかり、また戻った。
「私、あなたのことが嫌い。大嫌い。最初に会ったときから、そう」
「自分と似た相手は苦手なものらしいね。鏡だからかな。自分の嫌な部分を見せられている気がする」
「だったらどうして? どうして、あなたは夏に関わろうとするの? 同じじゃない、孤独好きの人間嫌い。似た者同士でしょう?」
「違うよ。全然違う。少なくとも僕は、自分が馴染めないからといって、それを周囲のせいになんかしない」
「その台詞、夏に聞かせてやりたい。いったいどんな顔をするかしらね」
 語気に険がこもる。煌はかろうじて憤りをおさえたようだ。ゆらゆらと立ち上るオーラは、ひときわ明度を増し、淡紅色に白い筋を走らせた。
「もう、これ以上私たちにかまわないで頂戴。あなたには関係のないことだわ」
「関係あるよ。夏は僕らの仲間だ」
「育てたのは私たちよ。でなければあの子、とうの昔に野垂れ死んでた。死にかけの子供を拾ったのだもの、あの子の命は私たちのものなの。あなたになんて何の権利もない!」
「だから夏をひとりにするのも自分たちの権利だと? あいつは疎外感のかたまりじゃないか。いつも自分だけが違うという現実に傷ついている。でも、そうなるように仕向けたのは君だろう?」
  どこか不思議だった夏と煌の関係。まるで、この世の全て知り尽くしているような顔をしながら、決して、夏には人としての理を説くことがなかった少女。最大の理解者がすぐそばにいたこと、それが夏の不幸だった。煌に依存しながら夏は、自分が馴染めないでいる外側の世界に傷つく。
     だって仕方ないじゃない。私たちは違うのだもの     
 そうして鳥籠の中に囲ってしまうのだ、彼女は。
 一歩でも踏み出せば、何か別のものを見ることができたかもしれないのに。たとえば、そう、颯斗を傍らに持つ早智が、いつしかひとりではなくなっていたように。
「でも、夏はもう違う。自分の居場所が君たちと同じではないことに気付きはじめている」
「それは、あなたのせいじゃない……」
 そうだ。きっかけはともかく、その原因とやらのひとつは早智なのだ。“伽羅”という同じ因子を持つ者との遭遇。
「あなたのせいよ。だから夏を遠ざけたというのに。どうして追って来たりしたの!」
 激しい口調で叱責が飛ぶ。煌は大きく首を振ってなおも続ける。
「私 たちはうまくやれていたもの。何がいけなかったというの? 別個体である以上、完全に分かり合えることなんてないのよ。当然じゃない。それなのに夏は何を 望むの? たかが同族でしかない伽羅に何を夢見ようとしている? 滑稽よ。あの子は何ひとつとしてわかってなんかいないんだわ」
 ゆれているのだと早智は思った。煌は何かを納得できないでいて、決断を下すことができないでいて、ゆれている。
 大嫌いだという早智をなじることによって感情のバランスを保とうとしている。
 だから、これは言わば八つ当たりなのだ。
「あなたのせいよ。たとえこのままあの男の子が帰らないとしても、それはあなたが余計なことをしたから……」
「颯斗?」
 と、早智が颯斗の名を呟いた瞬間、両手で顔を覆っていた煌が突かれたようにあらぬ方を見た。
 二時を打つ時計の音が寒空に響き渡る。
 いったい何が彼女の心をとらえたのか。
 やがて、煌の口から高らかな笑い声があがった。
 彼女は細い体躯を折り、声を絞り出すようにして笑った。
 突然のことに事態の把握ができないでいる早智だったが、煌が瞳を閉じ、彼女の声が灰色の空に溶けて消えると、どこにこれだけの数がいたのだろうと思うほどの鳥たちが、一斉に木の枝から飛び上がった。
 空気の流れが変わった    
 早智はそう思った。

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