kitan

 女の子のテーゼ 1


(一)
 高校は地元の公立校を選んだ。
選んだと言うより、条件を“里から通えること”にした時点で、それ以外の選択肢はなかったのだけれど。
「もう少しランクが上の学校を目指してみる気はないかな? 君の成績なら松葉でも推薦が可能だよ。あそこなら寮だってあるし、正直なところ、勿体無いと思うのだよねぇ……」
 県下一の進学校でも楽勝だと言う中学の担任は、しばらくの間手持ちの資料をながめたのち、残念そうに落胆の溜息をもらした。
 人より優れた才能を持ち、また、己の自己顕示欲が示すベクトルの向きも充分に理解できている朱音のこと、より良い環境で自分の力を思いっきりのばしてみたい、そんなふうに思う気持ちがあったことも確か。
 けれど、結局彼女が下したのは、これまでと同じように山深い隠れ里でひっそりと暮らしていくという決断だった。
 いつか嫌でも離れなければならにときが来る。その先に待っているのは、長くは落ち着けない根無し草みたいな生き方なのだ。ならば、許されるうちは、今しばらくここで佇んでいたい。そう思ってみても良いのではないか?――
 とまあ、そんな心境から出た今後三年間の選択だったのだけれど。
「ちょっとばかし、スランプかも」
 移動教室からの帰り道。先の授業でよほどウケたのか、臨採教師の口癖をしきりと揶揄するクラスメートたちを横目に、朱音は、深緑の木々に鬱蒼とする本館校舎への連絡路を歩いていた。
「間違ったかな、アタシ」
 小中学校は小規模校もいいところ。複式学級で当然の分校だったし、この九年間というものは、ほとんどそのメンツに変動がないままで過ごしてきた。高校も生徒数は三百人ほどだから、おそらく県内の公立高校ではかなり小さな部類に属すると思われるのだが、それでも新たな出会いというのは何かと波紋を呼ぶものであり……
 時は既に九月。何故だか五月の頃の憂鬱を未だに引きずっている秋のはじまり。


「朱音さん、朱音さん」
 教室に入った途端、声がかかる。
 もしもこれが弟の颯人なら、「馴れ馴れしい!」のひと言と共に、己の愚行を思い知らせてやりたいところなのだが、如何せんここは里でもなければ、ある程度本性が知れていた分校でもない。
思い起こせば入学当時「当分の間は様子見よね」と、安易に猫かぶりを決め込んだのがいけなかった。よもや未だにその被り物を脱ぐことができずにいようとは、朱音自身想像だにし得なかった事態である。
「ねえ、今日の放課後付き合わない? みんな暇だって言うし、だからって何をするって訳でもないんだけど。坂口ん家にでも集まろうって話になっててさ」
 屈託のない笑顔で言われて、やはり蹴りの一発でもくらわせてやろうか、などと思うのは自分の心が歪んでいるからだろうか。
 否。
「だめだって、石橋君。雪柳さんの家ってすーんごく遠いんだから。寄り道なんてしていたら帰れなくなっちゃう」
 三人組の女の子の一人がとぼけた口調で言った。取り巻きの二人がこっそりと笑んでいるのもわかる。
 ストレートな表現ありがとう。おっしゃる通りうちは山の中。電車一本逃したら大変なことになります。
「ごめんなさいね、石橋君。でも、高本さんが言うとおりだから」
 さらりと受け流した。ここで下手に怒ったり、傷ついた素振りなどしてはいけない。売られた喧嘩を買うつもりはないし、同情をひこうというつもりもさらさらないのだから。
 煽りは放置――このひと言に尽きるのである。
「そうなんだ……じゃあ、また休みの日にでも……」  チラリ、と名残惜しそうに送られた視線、それに込められた意味を問うべきか問わざるべきか。
「……」
 君も懲りないねぇ。ほらほら、また後ろの三人の顔が怖くなってるじゃないの。アタシ困ってるんだけどさぁ。
 朱音が曖昧な笑みで適当に場を濁そうとした時、天の助けとは正にこのこと、担任教師が勢いよく教室の扉を開けた。
あわただしく、終礼の声が上がる。


 しかし、朱音の災難はまだ終わったわけではなかった。
 入学以来どうにもしっくりと来ない日々を送っている。バイオリズムが安定しない毎日。原因は明かだし、慣れるしかないということもわかってはいるのだけれど、気が付けばすっぽりとナーバスの海に沈み込んでいる。
 あの程度のやり取り、いつもだったらどうってことないのにな……
 反撃の言葉なら即座に思い浮かべることができた。十通りくらいのバリエーションは標準で装備しているから。実際に叩きつけることはなくても、いつでも相手をやり込めてしまえるよう理論武装することが可能だ。それだけでも、この自己主張の激しい自尊心の顔を立ててやることはできるというのに、今はその気力すら起きないのだから、厄介なことこの上ない。
 まあ、こういう性格だからあれこれこじれちゃってるんだけどね。
 状況の悪化を招いたのは自分の性格によるところも大きい。ふてぶてしいし、かわいげもないし。ぶっちゃけ結構な高飛車。だから、身から出た錆と言ってしまえばそれまでなのだけれど、問題の根本はもっと別なところにあって、こちらは先天的であるが故に根も深いのだった。
大なり小なり、里の者なら避けては通れない道。それを思うと、やはり一足飛びに都会に出て行ってしまわなくて良かった、とは思う。思うのだけれど……
 バスに乗り込みひと息ついた。
 あとは帰るだけ、帰るだけ。嫌なことは全部忘れて、明日の朝まではアタシの時間。今日は短縮授業で一時間早く帰れるのだから、空いた時間は有意義に使わないとね。部屋の片付けもしなくちゃいけないけど、面倒くさいから颯斗にでもやらせようかなぁ……
なんてことを考えていた矢先だ。その声に追いつかれたのは。
「良かった、間に合わないかと思った」
 どうして!
 席ならいくらでも空きがあるだろうに。通路を抜けてきた石橋慶介は、狙いすましたかのように朱音の横に座り込んでしまった。当然、乗客は二人だけではない。改めて見るまでもなく、クラスメートの顔もちらりほらりと。
「坂口君の家じゃなかったの?」
「うん、やめにした。だから
、駅まで一緒に帰ろう」
 ……最悪。  彼が気まぐれなのは、まあ、彼の勝手だとしよう。けれども、“石橋君と過ごす楽しい放課後♪”に期待していた女の子たちはどうなる。高本たちだけではないのだ。彼女らほど露骨ではないにしても、朱音の存在を好ましく思わないらしい感情の“揺れ”は、あの教室の中だけでも多数見ることができた。
 それなのに、それなのに、自分たちはすっぽかされ、お目当ての彼が排除したはずの朱音と一緒にいたとあっては、彼女たちの憤りは一体どこへ行けばいいのか。これでは収まるものも収まらないではないか。
本人はそこのところをどう思っているのだろう?
 彼、石橋慶介は、良くも悪くも「異色」な存在である。両親の離婚だか別居だかで埼玉から転校してきたというのが中二の夏。朱音とは出身中学が違うので、高校に入ってからの顔合わせとなる。
 彼をひと言でいうなら、そう「無邪気を気取った女ったらし」とでもしようか。手管はおそらく前にいた街で仕込んだのだろう。言動も、身のこなしも、明らかにそこらの山育ちとは違う。加えてまずまずの整った顔立ちとくれば、まあ、騒がれる理由もわからなくはない。いささかタレ目気味なところも、「そそるのだろうな」、と。そういうのを好む人たちがいるというのも、客観的事実としてなら理解することができた。
 しかしそれらすべて、あ、く、ま、で、自分が傍観者の立場にいたからこそできる評価であって、アイドル化しようが親衛隊もどきができようが一向にかまわなかったし、いっそのこと「有意義な高校生活を送ってくれたまえ」、とエールを送ってやりたい気分になったことすらあるのだが、いざ事が朱音をも巻き込む様相を見せるとなると、話は全く違ってくる。冷やかしの立場を維持できないのなら、これは厄介極まりない問題へと変貌を遂げるのだ。
 彼、石橋慶介は、個人的にはあまりにもお近づきになりたくないキャラクターなわけで……
 演じてるのが見え見え。天然醸して中身どろどろ。
「ねえ、朱音さん。僕ら、見た目も釣り合うと思わない?」
……もう埋めたい、この男……
 見た目も、ってなによ、も、って。
 ひそ、と囁く声が聞こえた。タイミングからして、それが自分たちに対する何かであることはあまりにも明白。
 これで明日からの風当たりが一層強くなること決定。
 朱音の明るい高校生活……その黎明の訪れは、入学から半年近くが経とうとしている今になっても、未だ見えてくる気配すら、ない。

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