kitan

 女の子のテーゼ 3


(三)
 以上でカップル妄想は終了。ネタが尽きるの早すぎ。
 悲しいかなこれ以上は人材がいない。残っているのは皆朱音よりも年下の子供たちになってしまうからだ。
 一番歳が近いのは早智か。でも彼は……
「うーん、なんていうかまだ、こういうことに巻き込んじゃいけない気がするなぁ」  朱音はかつて自分が「風みたいな子」と評した少年のことを思い浮かべた。父親譲りだという涅色(くりいろ)の髪。やや切れ長の目は綺麗な弧を描き、いつもどこか遠くを見つめている。透明なイメージを伴う少年。掴めないのは水と同じだ。けれど、彼は風なのだと、朱音はそう思う。風は、水のように肌を濡らしたりしない。触れてみてもきっと、跡形すら残さず消えてしまうのだろう。
「えー、だったら誰? もしかして、もういない? あと残ってるのっていったら……颯人?」
 朱音、それは……
「ダメよ、朱音。それだけはダメ。プライドを持ちなさい!」
 そもそも弟である。思考の袋小路もここまで来るともはや末期か。
 割とのめり込む性質だが、今日はまた一段とその様相が強いようだ。あーでもない、こーでもないとぶつぶつ呟いている間に、いつしか花守塾の敷地内へと帰り着いていた。
 花守には一族の子供たちが集められていて、人間社会で問題なく生きていけるよう、小さな頃から様々な訓練を受けられるようになっている。
 それは体の問題であったり、心の問題であったり。花守の子らは、伽羅の子らは、ほんの少しだけ、普通の人間よりも多機能にできているから、身につけなければならない事柄もほんの少しだけ多いのだと。
“かぁごめ かごめ かぁごのなぁかのとぉりぃはぁ いぃついぃつでぇやぁるぅ 夜明けのばんにぃ つぅるとかぁめがすーべったぁ うしろのしょうめん……”
 学び舎と呼ばれる塾の本館と寮舎とを繋ぐ通路の脇で、子供たちが輪になってわらべ歌に興じている。
「あら」
 その中に見えるひとり飛びぬけた長身。
「なんだ。誰かと思えば誉(ほまれ)さんじゃない」
 区切りの良いところを見計らいその小さな手の連なりから抜け出すと、彼は寮舎を背にして佇む朱音の元へと歩み寄ってきた。
「久しぶりだけど、生きてたの?」
「姉弟そろって同じことを言ってくれるねぇ」
「だって、ひと頃はあんなに頻繁だった人がぱったりなんだもの。何かあったかと思うじゃない? 普通」
「心配してくれてありがとう。でも、そう簡単に人を殺さないように。縁起でもないから」
「本当に死にそうな人に言うわけがないでしょう。そこまでデリカシー無くないもの、アタシ」
「まあ、夏からこっち色々と立て込んでいたからねぇ。これでも一応学生だし。そのくせ仕事となれば、容赦なく借り出されるだろう? いい加減首も絞まるさ」
「そう。じゃあ、息抜きにでも来たっていう訳? いい若い者が山の中で日向ぼっこなんてどうかとは思うけど、あなた、子供たちの相手が上手だから助かるわ」
「だといいんだけど」
 朱音の毒舌を苦笑でかわし、
「実はちょっと仕事絡み」
 彼、譲葉誉は、そう付け加えた。
 朱音は眉を寄せ、表情を曇らせる。
「何、この辺もヤバイの?」
「いや、そうと決まったわけじゃないよ。ただ、少し気になる話が出ていて……下調べみたいなものかな」
 言葉を濁らせたのは確信が持てないからか。ならば、これ以上問い質してみても、彼から何か新しい情報を引き出すには至らないのだろう。
「気をつけるに越したことはないってことね」
「うん。今のところはそう思っていてくれれば充分」
「ねえ誉さん、稽古したいんだけど付き合ってくれない? ちょっとむしゃくしゃしちゃって」
「憂さ晴らし?」
 山の端にかかろうとする陽の傾き具合を確かめて、誉は承諾を返した。
「そうだね、日暮れまでにはまだ時間があるし、いいよ」
「じゃあ、裏で待ってて。すぐに着替えてくるから」


 木立を縫うように飛び交う影がふたつ。一方的に突いているのは朱音だった。相手の男はそれを寸前でかわす。足場も見通しも悪い山の斜面をものともせず、素早く、そして軽やかに、ふたつの体は接触し、そして散る、の動作をくり返した。
 普通の人間よも長く生きる体は、普通の人間のものよりも強靭にできているらしい。跳躍ひとつをとっても、彼らは常人のそれを遥かに凌いでいだ。
 裏手を取った――その一瞬を逃すことなく、朱音は体を躍らせる。しかし男、誉は半身になって朱音の蹴りを流すと、くるりと体を回転させた。
 途端、攻めるに転じる。長身を活かして突いてくる。筋力の違いだろう、風を切る拳のひとつひとつに重みを感じる。
 木々の合間に飛び込み、左側に跳ねたと見せかけて息を殺す。老木の幹にすがり、相手の動きを探ろうと意識をあたりに放った、その刹那、
「はい。それまで」
 完全に後ろを取られていた。
 敗北の落胆か、緊張から解き放たれての安堵か、朱音の口からは大きな吐息が漏れ出ていた。
「随分良くなったじゃないか。体が右に反れる癖が抜けてきたし」
「頑張ったから」
 夕やけを背にした誉の顔に、薄っすらと笑みが浮かんだ。朱音は空を仰ぎ見る。
「でも、もう颯人には敵わない」
「うん」
 こういうのは、さらりと言われてしまった方がいい。その方が気も楽だ。
「私、男の子に生まれたかったな」
 朱音はその場に腰を下ろすと、膝を抱きよせ頬をうずめた。火照った肌に、山の冷気が心地よかった。
 そこいらの男などにやられる朱音様ではない。けれど、同族相手ではこうもむざむざと力の差を見せ付けられる。やはり自分は女なのだ……と認めないわけにはいかない。
「どうして、可愛いのに」
「そんな台詞、下手な女より綺麗な人に言われたくない。九郎さんの場合は無自覚なんだろうけど、あなたのは違うってわかっているから、ちょっと嫌味」
 笑ってやがる。
「面倒くさいのよね。人間関係だって煩わしいし。女の子気質ってやつ? ねとねとしてて大っ嫌い」
 年々、体は重たくなるし、いいことなんてひとっつもない。
「くやしいけれど、男の子の背中には羽根がはえてるっていうじゃない? あの話、アタシも本当だと思う。颯人も早智も、あいつらはきっと自力で飛べる。アタシなんかこうして地べたから離れられず地団太を踏んでいるっていうのに」
「思い込みが勝ちすぎていると思うけどなぁ。それに、前々から不思議だったんだけど、君といい、うちの母親といい、どうして伽羅の女の人には男勝り……というか激情型が多いんだろう」
「それこそ、あなたの見方に問題があるからじゃないの? 小夜さんや操さんなんて全然タイプが違うじゃない」
 これまで勝気と言われることに抵抗を覚えたことの無い朱音だったが、でも、なんだか今は無駄な足掻きをしているように思えて、落ち着かない。
「ねえ、あなたと九郎さんだったら、どちらが強いの?」
 唐突だったのだろう。質問の意味を問うかのように首を傾げた誉が、しばしあらぬ方を見つめ、そして答えた。
「さあ……ここのところ、そこまで気の入った遣り取りをしていないから、わからないけど、でも」
 でも?
「でも、何年か前にはこてんぱんだったね」
「どっちが?」
「当然俺が、こてんぱんに」
「やられたと」
「そう」
「上を見たらキリが無いってことよね」
 溜息がこぼれた。

Back / Next / Index / Top

Designed by TENKIYA    Photo by NEO HIMEISM
inserted by FC2 system