kitan

 女の子のテーゼ 4


「ふたりともじきに夕飯の時間だよ。そろそろ終わりにして帰らないかい?」
 まもなく黄昏に沈もうとする山道を歩いてくる人影があった。
 偶然? と思ってしまうのは、つい今し方までその人のことを話題にしていたからだろうか。
「散歩ですか?」
「うん、ちょっと息抜き。子供たちは榊の婆が見ていてくれるっていうから」
「大変よね。年がら年中小さな子供たちの相手をしているなんて」
「まあ、それが仕事だからね」
 九郎は手近な木の幹に背をあずけ、慣れた仕草で煙草を扱うと、すでに夜の気配を滲ませつつある薄闇に向けて紫煙を燻らせた。
「街中では吸わないで下さいよ。高校生と間違えたとかいって補導されても知りませからね」
 誉がからかい口調で言う。
「いくらなんでもそれはないだろう」
 童顔の青年は微かに笑ったようだ。
 先に見上げた時にはまだあったはずの茜色。しかし、空は藍色のグラデーションを映し出すに止め、九郎の指先で揺れる炎の赤だけが、まるで季節はずれに舞う蛍火か何かのように、あたりに一点の異彩を放っていた。
「ねえ、早智君のお母さんって、どういう人だったの?」
「今日は不思議な質問ばかりするね、朱音ちゃんは」
「そう? でも、私の中ではちゃんと繋がっているの」
 九郎と誉は互いにその顔を見合わせ、そして再び視線を朱音に戻した。
「どんな人って聞かれると、ちょっと困るんだけど。そうだなぁ……結構似ているところもあったんじゃないかな? 君に」
「私?」
「うん。人間のタイプを四つぐらいに分けたとすると、間違いなく同じカテゴリーに入っているだろうね」
 九郎が誉の言葉を継いだものの、朱音はいまひとつ要領を得ないでいる。
「何それ」
 眉をひそめ問うた。
「性格的に、ってこと?」
「うん」
「私、自分で自分の性格がいいとは思ってないんだけど?」
「うん」
 そうやって二人同時にうなずかれても、何が何やらさっぱりなんですけど。
 っていうか、少しくらい否定して下さい。
「訳わかんない。花にでも例えてみて」
「花? いきなりそんなこと言われても……ねえ、九郎さん」
「うーん、花かぁ……花ならそうだなぁ……曼珠沙華とか?」
「ああ……確かにそんな感じでしたか」
「彼岸花じゃないのよ」
 しかも毒あり。
「うん、華やかな人だったから。ある意味」
 ものは言いようだろうか? ただ、最後に添えられた“ある意味”には、どうにもひっかかりを覚えるのだけれど。
何が“ある意味”なのだろう? 何が。
「早智君はお母さん似?」
 朱音は再び問うた。
「いや、あれは父親似だよ。顔も、性格も」
 誉がそう言ったのを聞いておもむろに笑んだのが九郎。
「誰が似ているとかいう話なら、そりゃぁ……」
「?」
 意味ありげな言葉に朱音が首をかしげたのと、横に座る誉がその顔を背けたのとはほぼ同時のことだった。
「そうなの?」
 九郎は笑っている。
「これでも随分ましになった方だと思いますけど」
 そっぽを向いたままの声はどこか憮然としているように思えた。もしかするとあまり触れられたくはない話題だったのかもしれない。朱音に容姿のことを言われた時には余裕すら感じられたというのに、九郎との力関係が彼をそうさせているのか。
「十五六の頃が一番似ていたかな? まだ華奢だったから本当に女の子みたいで」
 確かに。薄闇は輪郭をひと際なだらかなものとするから。だから、宵に沈むその白い顔には、彼ではない別の誰かが潜んでいるような気もする。
 彼に似た誰か。
 彼ではない誰か。
 見る者の目に深い印象を落とすあざやかな佳人。
「まあ、叔母上だったわけですから、別に似ていても不思議ではないんでしょうけど」
 誉の父親の末の妹が今は亡き早智の母親にあたる。互いにその顔を知ることはなくとも、朱音とは双方共に生まれ持った異能の力を介して浅からぬ縁があった。
「お陰で早智は一向に懐いてくれる気配がないんですよね」
「君を見ていると思い出すのだろう。男の子だからね、もう少し時間がかかるさ」
 あれから一年と少し……か。
それはまだ誰の記憶にも新しい。早智にしたら治りの遅い傷のようなもので、風は、時として痛みを伴い傷あとを撫でて行くから、だから未だどうしようもなく思う日も少なからずあるのだろう。
 九郎が歩き出し、誉が立ち上がる。服の塵を払っていた朱音が一足先を行く二人に追いつこうとすると、
「そうそう、朱音ちゃん」
 誉が振り返り言った。
「明日は学校まで乗せていってあげるから」
「え?」
「足首。大したことは無いと思うけど、あの距離を歩くのは大変だろう?」
「そうさせてもらいなさい。悪化させると後々面倒だよ」
 痛みは微々たるもので、本人ですら、少し捻ったかな、と首を傾げるくらいだったというのに。
 それでも、彼らには歩き方ひとつで知れてしまうというのか。
まったくもう……
朱音は溜息とともに肩をすくめた。
 わかりました、完敗です。
 この場合は相手が相手なのだから、劣等感やらなんやらは、ひとまず棚上げにしてしまうことにする。

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