kitan

 女の子のテーゼ 6


(四)
「そこでいい、止めて」
「え?」
 駅の裏手数百メートル。朱音の声にいぶかむふうを見せながらも、誉は言われるがまま車を路肩に寄せた。
「学校まで送るよ?」
「いいのよ、ここで。よく考えれば八咲の駅までで良かったんだもの」
 何も町まで下りて来る必要は無かったのだ。己の短慮を悔いるように呟くと、朱音は辺りを見回して通行人の有無を確認する。
「こんなところ……ふたりでいるところなんて見られたら、また何を言われるかわかったもんじゃない」
「何? 好きな子でもいて、誤解受けるとマズイわけ?」
 どこまで本気で言っているのやら。冷やかし半分、興味本位半分で向けられた笑顔に、極上の冷笑をお見舞いしておく。
「帰りは大丈夫だと思うから。ありがとう」
 再度用心深く視線を配ると、朱音は素早く車のドアをくぐり出た。早朝の町は、昨日の晴天が嘘のように、厚く重苦しい雲に覆われている。いつ雨模様に転じてもおかしくない、低く垂れ込めた空だ。
 昨日考えていた“石橋慶介撃退計画”、あれを誉で決行に移さないのは、ひとえに彼では「やり過ぎ」になるからだ。慶介には引導を渡し、その取り巻きたちには適度な安心感を与える。ベストを語るならこんな感じ。そこに誉のような上玉を持ってくれば、当然事は最悪の結果を呼ぶと容易に想像ができる。
 しかしこの日、朱音の神様はちょっとよそ見をしていたらしく、彼女は事態の悪化を最大限避けようと努力していたにも関わらず、ドツボにはまることとなった。


雨は絶え間なく降り続いている。担当教師の早退で急遽自習に切り替わった五時間目。
「これだから田舎ってキライよ」
 声にすることなく、朱音は自らの呟きを口の中で噛み殺した。クラスメートはそれぞれ気の合う者数人で雑談に花を咲かせている。ひとりぽつねんと席についているのは、女子に限れば朱音だけなのかもしれない。これ以上憂鬱にはなりたくないので確認はしていないのだけれど。
 朝の一件――誉とのこっそりどっきり同伴出勤――は、すでにこのクラスのみならず、学年中、いや、下手をすれば学校中の生徒が知るところとなっているらしい。  いったい誰が見ていたのやら。
 なんでこんなに上手くいかないのかしらねぇ……
哀しいかな、今はそんな恨み言をぶつける相手すらいない。
多くを望んでいる訳ではないのに。
どうせ一生の友達になどなれやしないのだ。付き合いがあっても三十台の半ばかそこらまで。無理を通そうとすれば、きっと疑問の上に歪みが生じる。
ねえ、なんでアタシばっかり、って思っている? でもねぇ、恵まれているのはアンタ達の方だよ。アタシなんて所詮は根無し草。この先待っているのは延々流転の人生だよ? そんなのがいいの? 違うでしょう?
だから、せめて高校生活ぐらい楽しく送らせてよ――と。叫びたい気持は山々だったが、今は溜息に溶かし吐き出すに留める。
「朱音さん、ちょっといいかな?」
 渦巻く喧騒のうち、どちらかというと高いほう――つまり女の子たちのざわめきが、ぴたりと止んだ。クラスのアイドル、朱音にとっては諸悪の根源、石橋慶介が朱音の机に両肘をついてしゃがみ込んでいる。
 いい加減空気読みやがれ、この(以下朱音ちゃんのイメージ保持のためry)!
「あ、えーっと、その……話があるんだけど……」
 感情が顔に出てしまったのかもしれない。一瞬ひるむかのような表情を見せた慶介が戸惑いがちに言った。
勢いにまかせたまま、怒鳴りつけてやろうかとも思ったのだが、ここは一度きちんと話をしておいた方がいいだろう。
 朱音は黙って頷くと、慶介の後に続き教室を出て行った。


 慶介に導かれるまま、朱音は無人の図書館に足を踏み入れた。
そういえば司書の越智さんは新婚旅行だっけ……
薄暗い室内を一通り見回して手近な書架に背中を預ける。慶介がパイプ椅子を引き寄せ腰を降ろした。
「で?」
 もう猫かぶりの必要もないだろう。腕組みのまま上から目線で相手を促す。
入学後しばらくの間、慣れない人ごみにあてられどうしようもなくアンニュイに過ごしてしまった。どうやらそれが彼女のイメージを形成するのに大きく作用したようで、気付いた時には既に“雪柳さんは無口で真面目なタイプ”というレッテルを貼られた後だった。
 どうせなら良い方に見られたい、そんな欲があったのも事実。だから、おしとやかでお上品な優等生、などと三拍子そろったこの暑苦しい毛皮を、ひと夏の間頑張って着こなしてもみたのだけれど、結果として全てが裏目に出てしまったというていたらく。
――意味ないじゃないのよ、まったく――
 弱ってさえいなければこんな男、近くに寄せ付けたりはしなかったというのに。
「ちょっと小耳に挟んだんだけどさ。なんか、すっごく綺麗なお兄さんとイチャイチャ楽しそうに腕組んで、ホテル街をいちゃらいちゃら歩いてたって話、あれ本当?」  どんな歪曲だ、こら。
この場合、綺麗なお兄さんという部分しか合っていない。
そもそもホテル街なんて無いだろ、この町。あるのは温泉横丁? 噂を繋げた人間全部、横一列に並びやがれ。小突き回してくれるわ。
内心これでもかと毒づいた後、
「近所のお兄さん、って言ったら信じてくれる?」
そう、うそぶいてみる。
「幼馴染ってやつ? 困るなぁ、君には僕が目をつけてるんだよね」
 慶介は笑った。同時に、チカリッ、と彼の体から静電気にも似た青白い光が飛散する。
 どうやら石橋少年、朱音が思っていた以上に裏表のある性格らしく、笑顔はこしらえたものの内側では怒りが渦となり、ぶつかり合った因子の乱反射が暗がりに散っては消える、それをくり返した。
「ありがとう、石橋君。でもねぇ、如何せん、君って、アタシの好みじゃないんだなぁ」
「それは残念。でも、こっちも「はい、そうですか」って諦めるわけにはいかなくってねぇ」
 ゆるり。慶介が立ち上がった。前に立たれると当然のこと朱音よりも背が高い。しかしそんなもの、右のひと蹴りで片がつく朱音様である。眼光鋭く相手を見上げた。
「本当はね、君に男がいようがいまいが、そんなことどうだっていいんだ。できれば恋人同士のシチュエーションに持っていった方が、後々楽かなぁ、って、そう思ってただけ。でも、君はちっともなびいてくれないしさ。そろそろ限界なんだよね」
 何が言いたいのだろう。
先から、慶介の周囲を漂うオーラは、徐々にその色合いを深め、今や濃いフクシャレッドを滲ませている。
とろとろと流れ出してはドライアイスのように床で淀む、なんとも妖しげな沈殿物の中央に佇む少年の姿は、絵面的に見ても卑猥。
いやぁ、ねぇ……いったい何を考えているのかしら。
朱音は嘲笑気味な視線をさらに細め見やった。
「ねぇ、花守の人たちってさ。新薬の開発に関わる実験の被験者だったっていう話、あれは本当?」
 唐突なる問い。
たとえば、こういう時誉なら強気の視線を変えないだろうし、九郎なら穏やかな言葉でさらりと流してしまうだろう。
 朱音は依然としてアルカイックスマイルのまま答えないでいる。
「後遺症には遺伝性のものがあるから、症状が多発する子供の頃はひとつところに集めて治療を施されている。事件そのものはもう随分昔のことらしいけど、公になるとマズイから、今でもひた隠しにされているって」
「あなたがその話をどこで聞きつけてきたのかは知らないけど、この町で暮らそうと思うのなら、滅多なことは言わないほうがいいわ。これ、私からの忠告ね」
「そういうのは工場に勤めていたり世話になっていたりする人たちの問題だろう? うちは誰ひとりとしてあそこと繋がりがある訳じゃなし、関係ないよ」
「甘いなぁ。工場の存続は桃栗の生命線でもあるんだから。風評被害なんてたてられたら迷惑なだけでしょう? あなたが良くっても、周りの人たちが困るような真似はしないでおくに限るってことよ」
 八割方嘘な訳だが。
 とりあえず被験者云々の噂、これについては真実を撹乱するために里が意図的に流している都市伝説のようなものなのだから、下手に否定するよりある程度ほのめかしておいたほうがいいだろう、朱音はそう判断する。
 しかし、
「まあ、そんな嘘臭い話のことはどうでもいいさ」
「え?」
 思わず、無防備な驚きさらしてしまった。
 ならば、今までの振りは一体全体なんだったのだというのだ。
 えーっと……
 いまひとつ状況を呑み込めないでいる朱音に、慶介がいけしゃあしゃあと畳み掛けるよう続ける。
「カモフラージュでしょ? 大変だよね。いっそのことどっかの島にでも篭っちゃえば?とかって思うんだけど、それはそれで出来ない理由があるんだよねぇ、きっと」
 何、この展開。
「君には秘密があるね。しかも、とびっきり厄介なやつ」
 はい、はい、はい。そうです、そうなんですけど!
 でも「よくわかったわね」、なんて言える訳がない。
 どうする? 朱音。
 こういうのを自然にやり過ごすには、場数を踏んでいくしかないのだろうが、こんな場数なんてそう何度も踏めるものではないし、踏みたいとも思わない。
「それで、私の秘密っていうのは?」
 痛手の素振りなど見せないように、さらり、と返す。
「それはね」
 慶介は酷薄な笑みを刻んだ。
 これはちょっと……
――ヤバイかもしれない――
本能的な何かがそう告げている。
いつでも逃げ出せるようさりげなく退路を確認し、一部の隙も与えないようじっと構える。
「ねえ、来週の日曜日、この先の真咲神社のお祭りなんだ。一緒に行こうよ、朱音さん」
「は?」
 我ながら間の抜けた声がこぼれた。
 祭り? なんでここで祭り? 聞き間違い?
「詳しくはその時に話すから。夕方六時に甘味屋の前で。約束だよ。じゃ」
 慶介の顔は、平素の如く無邪気を装うすけこましに戻っていた。ただでさえ胡散臭かったものが倍増。
 何あれ……
 朱音はただただ呆然として、去りゆく彼の後姿を見つめるしかなかった。
 石橋慶介、どうやら朱音が思っていた以上に面倒な相手らしい……

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