kitan

 女の子のテーゼ 7


(五)
 相談すべきかどうかは、正直迷った。
本来なら     上に指示を請うて己の行動はその通りとする     それが集団行動の鉄則であり、また、彼らのように大きな秘密を抱えているものたちが世を欺きながら生きていくためにも不可欠な決まりごとであるはずなのだが……
 朱音の判断を狂わせたのは若さか。
それとも、未だ推定の域を出ないにしても、自分の身から秘密を探られようとしていることへの負い目か。
はたまたジェンダーコンプレックスに対するもどかしさが、彼女を短慮に走らせたのか……
おそらく、その答えが容易に出ることはないだろう。
 指定された日曜日、指定の時刻、指定の場所、朱音はひとり石橋慶介を待った。定刻より五分遅れで現れた彼は、丸目のサングラスをひょいと指先で上げると、
「へぇ、セーラー服も似合ってるけど、私服もいいねぇ。そういうシンプルっていうか、清楚な感じって好きだな、僕」
 そう言って笑った。
 何が“僕”だ、何が。呼び出したうえに遅れて来るか己は。朱音様も舐められたものだと思うと、浮んでは消えるこめかみのイライラマーク。
 白のブラウスにいつも着ているノースリーブのワンピース。十月に入ったせいか、流石にこれだけでは寒くなってきたので、薄手のカーディガンを一枚上に羽織っている。めかしこんで来たとは死んでも思われたくないので、極力華美にならないよう普段着に毛の生えた程度で止めてみたわけだが。
 むかつく。褒められると余計にむかつく。
そもそも朱音の服は下着以外ほとんどといっていいほど自らで買い揃えたものではない。電話も会いに来ることも滅多と無い両親だったが、手紙と荷物だけはやたらと送って寄越す。どうやら朱音の服は父親が、颯人の服は母親が見立てるという暗黙のルールあるようで、それは朱音が高校生になった今も変ることなく続けられている。子供の成長具合など知りもしないくせに、驚いたことにサイズによる失敗は一度としてなかった。
恐るべしは年の功。
それもそのはず、聞いて驚け、うちの親父は七十七だ。この服もおそらくは若い頃の好みだろう。昭和一桁の幻想。ならば、それを讃えるお前も同類。
「爺むさ」
「え?」
「ううん、何でもないの。それより早く行きましょう」
 取ってつけたかのようなあどけない笑顔。まるで恋人の腕を取るよう慶介に寄り添うと、ついでとばかりに耳元に顔を寄せ、低く、ドスのきいた声で突き刺す。
「早くしてよね、こっちは寸止めくらって切羽詰ってんだから」
 慶介からは苦笑がこぼれたようだった。


 石段の脇に、参道の脇に、縁日が立つ。春は隣町の高良神社、秋はここ真咲神社がそれぞれの祭りで賑わう。ひと頃に比べて人の出足が鈍ったとはいえ、それでもやはり祭りは祭り、老若男女、子供連れやら、友人、恋人同士、様々な顔ぶれがあたりをところ狭しと行き交っている。
 宵闇に浮かぶ裸電球。喧騒と食をそそる焼き物の匂い。極彩色が乱れ合うも、そこに違和感は微塵たりとも見られず、日没の頃より漂い出た雲に月の光もまたまだらだったが、その絶妙なコントラストこそが、この即席なる異界の演出に一役買っているともいえた。
 狭い町のこと、歩けば当然ながら知人に行きあう。朱音と慶介の取り合わせに驚く者あり、顔をしかめる者あり、それもまた様々。
朱音は少々浮かれ気味の慶介の後を、じっと、付き従うように歩いている。
 慶介が自ら買い求めたのか、それとも先に話をしていた友人らから譲り受けたのか、いつの間にか手にしていた狐の面を掲げ、おどけるようにして笑って見せた。
 騙されるのはこちらか、はたまたそちらか……
「少し疲れたね。向こうに行こうか」
 縁日の行き止まりで示されたのは、本道から外れ茂みへと入り込んでいる小道。
 朱音はうなずくと、ともにふたり、暗がりへと消えた。


 鎮守の森はまるで果てなど無いかのように、暗く、黒く、広がる……
遠くでかすかに祭囃子が聞こえてはいるが、それはあくまで<あちら側にこの異界からの出口がある>というあまり意味を成さない希望なのだろう。
「どこまでいくの?……とか聞かないんだね。怖くはないの?」
「そんなに可愛い性格してないから」
 とりあえず夜目はきく。だから暗いのは怖くない。伽羅は色々な意味で多くのものを見ることができる目を持っている。だから怖くはない……
「ごめんなさいね。このままあなたが望むような女の子を演じ続けていてあげられたら良かったのだけど」
 慶介が朱音の変貌にわずかながら失望を抱いているのがわかった。何かが違ってしまったのだろう。彼が朱音をどのように見ていたのかは知らない。知りはしないが、今彼の前にいる自分は、あきらかに彼の中で編まれていた雪柳朱音のイメージから離れてしまいつつあるのだと思われた。
「正直に言うとアタシ、もう疲れちゃったのよね」
 梢の向こう側にある空を見上げながら呟く。
 なんで猫かぶりなんてしちゃったかなぁ……
 隠さないといけないことはもっと他にもたくさんある訳で。その上で性格にまで偽造を施すとなると、当然のこと負担も大きい。いや、今後そのような事態に陥ることは多々あるのだろうが、今の自分には正直、まだ荷が重い。
 そろそろ潮時だろうか。このウザイことこの上ない石橋慶介と共に、好き勝手貼られまくったレッテル全部、こそぎ落としてしまえればいい。
 そうすれば何かが変る? 変るだろうか?
――アタシはアタシを取り戻すのよ――
「残念。君って本当に、僕の好みそのものだったんだけど」
「気持ち悪いから、そういうの」
 第一アンタが見ていたのはアタシの本性じゃないし。
「それで、私の秘密っていうのは? あなたは何を知っているというのかしら?」
「うん」
 慶介は一寸間を置いて。
「君からはとってもいい匂いがする……」
 にっこりと笑んだ。
「え? たこ焼き?」
 何故そこでたこ焼きを思い浮かべたのか。
 確かにたこ焼きは食べた。慶介がたまたま顔をあわせた友人たちと雑談をはじめてしまった時のことだ。
 待ちぼうけ十秒でイラっときた。
「お姉ちゃん可愛いからおまけしとくよ」
 たまたま横にあった屋台のおっちゃんに声をかけられ、通常十個入りひとパックのところを、二個追加でぎゅうぎゅうに詰めてもらった。
 それを勢いよくかっくらった。たこ焼きはできたてのほやほやで、アツアツもこの上なくアツアツだったが、二分とかからず腹に収めた。幸い姉弟そろって熱いものが苦手ではない。
“頑丈に産んでくれてありがとう、お父さんお母さん!”
 だから、そのにおいが残っていたのだろうか?……と。青海苔には注意をしたものの、においのことにまで気が回らなかった。
 何? もしかしてお腹すいてた訳? 一人で食べちゃったこと根に持たれている? 食べ物の恨み深いとか言うじゃない。だから?
ほんの一瞬そんなことを考えていたところ、気付いた時には襲い掛かられていた。
「……っ!」
 迂闊だ、朱音。

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