青の記憶 ]




「帰っていたのか」
 雑木林から出てきた黒い人影が、グレイの声で言った。黄昏があたりを支配している。
「待ち合わせの場所に現れなかったから、そうだろうとは思っていたが」
「ごめんなさい」
「謝る必要はない。最初からそういった話になっていたはずだ。こちらもお前は先に帰ったものとして、いくつか用を済ませてきたところだ」
 夕焼けが空の際に追いやられ、藍色の夜が星を連れて降りてくる。セシリーはグレイの横に立ち共に歩いた。
「エドに送ってもらったの」
「何を言われた?」
 声音を読んだのか、グレイがそう聞いてきた。セシリーが手短に答えると、
「心配には及ばない。我々のコネクションもそこまでひ弱ではないさ。ただ、俺の存在が障害になるというのなら退こう。どのみち、お前の後見としての役目も、もう残すところわずかなのだから」
 静かに言い、石段に足を進めた。
「私を置いていくの?」
「人手がいるなら新しい者をよこす。案じる必要はない」
 外灯から落ちるあかりが、彼の横顔を白く照らしている。ほのかな翳りに見え隠れする東欧の血。
「私の父親はあなたね」
 グレイの目はセシリーを見ない。セシリーのそれよりも暗く、深い色をたたえている青色の瞳。
「何故そう思う」
「有り得ない話ではないと思うようになったから」
 グレイはかすかに笑った。
「ませたことを言うようになったものだ」
「いつまでも子供でいられる訳じゃないもの」
 遠く、過ぎていった日に何があったのか。たとえ問うてみたところで、きっと明確な答を得ることなどできはしないのだろう。
 そんなものがほしいとは思わない。ただ事実だけ。事実だけをそれとして心の片隅に落としておけたらいい。
「これは、俺の個人的見解だが」
 グレイの声が夕闇に響く。セシリーは顔を上げた。
「お前が望むのならここを出て好きに生きるのもいいだろう」
「グレイ……?」
「お前を我々の問題に巻き込むつもりはない」
 そういうことだ、と彼は話を結んだ。
「平気よ、そんなの。ここを出て行くつもりはないわ。あなたたちだって、私がいないと困るのでしょう?」
 即答に驚いたのか。それとも、セシリーの返事を意外と感じたのか、グレイは立ち止まると彼女の方に顔を向けた。
 青色の瞳が見ている。
「だからあなたたちは、今になっても本当の名前を教えてくれないのね」
“グレイ”も“ロードナイト”も。
 彼らは、選択の権利を残すことによって、ギリギリのところでセシリーを“組織”の外側に置こうと努めてくれている。
「心配してくれるのなら見ていて頂戴」
 母様も見ていて。
 そこから見ていて。
「私は不幸になんてならないから」
 たとえ、一番にほしいものが手に入らなくても    
「簡単に言う」
「若気の至りだもの。なんだってできる。でも、もしも弱音を吐くようなことがあったら笑ってくれていいわ」
 ふたり、戯言でも交すかのように言葉を重ね、最後はかすかな笑みに混ぜることで散らした。
「ねえ、どんな人だったの?」
「誰のことを言っている」
「レディ・クォーツ」

 ずっと、避けてきたように思う、“彼女”のことを知ろうとするのは。
 羨望の裏側には、常に、幼くも浅はかな嫉妬心がつきまとっていた。
「別に、どうということはない。普通の女だったさ」
 大切何かを噛みしめるように。
 素っ気無く言った彼は、沈黙と共に視線を落とした。
 グレイの記憶に、そしてローの記憶に眠る人。
 想い出はあえかであると共に、どこまでも甘く、あざやかだから……

 敵うことはないのかもしれない。

 それでも。
 それでも……

 見ていて。
 ねえ、
 そこから見ていて。

 私は私の幸せと共にあるから。


 たとえ、一番にほしいものが手に入らなくても    




【 青の記憶 ・ 完 】



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