青の記憶 U




【1】

 色褪せた定期バスの後ろ姿を見送り、セシリーは風に吹かれそうになる帽子をいま一度かぶりなおした。石畳に舞う砂埃を避け薄暗い路地へ入ると、見知った小道を足早に駆けて裏通りへと抜ける。
 既に町は外れの方にまで来ていたから、高台より望むその先には、荒涼と広がる平原と濃紺の海原とを見ることができた。
 かつては交通の要所として栄えたこともあったというが、それも今は昔。資源もなければ土地の利もない。工業地としての発展も望めないだろうから、少しずつ少しずつ流れゆく時の中で風化するばかり。
 けれど、ここはこのままでいてくれたらと思う。過去も未来も変わることなく、ひっそりと、中世の佇まいを色濃く残したまま、埋もれる。
 ひと晩中夜行列車に揺られていたせいか、体にはわずかながら気だるさが漂う。深く吐息して澄んだ空気を吸い込むと、淡く夏の青をたたえている空を見上げた。
「セシリーじゃないか。帰ってきたのか」
 呼び声に引かれ顔を向けると、教会へと続くゆるやかな坂を、勢いよく駆け下りてくる青年の姿があった。
「エド……」
五つ年上の彼は、一足先に大学を修めた後、父親の元に戻り法関係の仕事に携わっていると聞く。
「夏休みか」
「ええ」
「送ってやるよ。車を取ってくるから待っていろ」
「せっかくだけど、グレイが迎えに来てくれることになっているの。ほら、もうあそこに見える」
 セシリーの指が示した先、草原の向こう側に見える、城へと続く丘の入り口から、一台の車がこちらへと向けて走ってくるのが見えた。
 視界の端にエドワードの表情が曇るのをとらえつつ、あえてそれには気付かないふりをする。
「いつまでこっちにいるんだ」
「いつもと同じよ。夏が終わる頃には戻るわ」
「それじゃあ」、と短く言い置いてその場を後にする。
 別に……そう、彼のことが嫌いというのではない。エドワード・リード、彼はよき友、よき幼馴染であると同時に、セシリーのよき理解者でいてくれたはずだ。けれど、着かず離れず適度に保たれていたはずの関係は、いつの頃からかそのバランスに微妙な変化を見せるようになっていた。
 息苦しさを噛み殺すようにして駆け、迎えの車に手を振る。よく磨きこまれた年代物の車体がセシリーの横に止まり、窓から灰銀色の髪の男が顔をのぞかせた。
「遅くなってすまなかった」
「大丈夫。そんなには待たなかったから」
 母のフローラと死に別れて早十年。以来、後見人としてセシリーの成長を見守ってくれたのが彼だ。元来細身で鋭利な印象を漂わせているが、少し痩せたのだろうか、頬のあたりに浮ぶ影が濃くなってきたようにも思う。幸い、健康を害しているふうでもなかったので、あえて本人に問うことはなく、助手席のシートに背をあずけた。
 道は一直線に平原を走る。町の築かれた丘陵地とは対を成すような形で、幾分小振りな丘が視界に映り込んでくる。城のある丘。没落後久しいとはいえ、かつては爵位を戴くまでであった繁栄の名残。
「帰っているぞ」
 ふいにそう言われ「え?」と返す。
 誰が? とは問わない。その答えはすぐにわかった。
「いつ?」
「三日ほど前に」
「教えてくれたら良かったのに」
 けれど、グレイは口元に笑みを浮かべるに止め、それ以上を語ろうとはしない。もしも前もって連絡を受けていたとしたら、セシリーは学期末を待つことなく強引に家路へと着いていただろう。賢明な判断だったといえる。
 夏が始まる。今年もまた、彼と過ごす夏が……
 車から降りた途端、降り注ぐ陽射しに双眸を細める。胸の高鳴りを押さえきれず、急かされるように駆け出そうとするのを、まるで彼女の行動を読んでいたかのようにグレイが制した。
「簡単なものだが昼食を入れておいた。一緒に食べてくるといい。夕食は三人分用意するから、こちらに来るようにと奴に伝えてくれ」
「わかった」
 それから「ありがとう」と。
彼の手際のよさに感謝を示し、グレイから渡された紙包みを携えたセシリーは、木漏れ日の中へと続く白い小道を駆けて行った。




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