青の記憶 \




 長くのびる影を従え、夕焼けに染まる小道を歩く。
 寄せては返す波の音。ゆるやかに、おおらかに。それは少しずつ大きくなり、セシリーを導いていく。
 白い家へ向かう。彼の元へと向かう。会いたいと思った。声を聞かせてほしいと思った。話を聞いてほしい。心にわだかまるものを解いてほしい。
    心配するな。別に、親父への怨みを晴らすために、お前を利用しようというんじゃない    
 人の思いは複雑に絡みあい、様々な面を見せながら、綾を成す。
    俺の母親のことは覚えているだろう? 滅多に来ない男を待ち続け、失望に失望を重ねた揚句、酒に溺れるようにして死んだ……ああはなるなよ。頼むから    
 エドワードとの関係は、同士とでもするのが一番近かったのかもしれない。兄妹でもなく、友人でもなく。言葉にすることはなくても、お互いがお互いに欠けているものを敏感に感じ取っていた。
 セシリーが守ろうとしているもの。そして、エドワードが壊そうとしているもの。
 どちらが正しいわけでも、どちらが間違っているわけでもないのだろう。
 ただ、
 ただ……
 夏が終わる。今年もまた、苦しくなるほどにその訪れを待ち望んでいた夏が……
 ねえ、教えて。母さまは本当に幸せだった……?
 セシリーは空に問う。
 今ほどその答えを欲したことはなかった。
 自分でもどうしようもないくらいに心が揺らいでいるのがわかる。いつまでも純真のまま、子供のままでいられるわけではないのだと。綺麗事に憧れて、夢見心地を糧に生きていけるほど、人の心は強くもなければ確かでもない。
    あなたにもいずれわかる時が来るから    
 どうして? どうしてそんなふうに笑っていることができたの?
 母様は本当にそれで良かった? あの人手をのばせば届くところにいたというのに。本当にそれ以上を望まなかったというの?
 さりげなく、かすめ見る。そこにいる神様に気付かれないよう、そっと。密やかに、そっと。横に立つ人の顔をかすめ見る。
 セシリーの中に息づくフローラの記憶。かすかに漂う罪悪感と共に、大切な面影をしっかと抱きしめる。
 それは確かに恋ではなかったのか?
    あの人横にいることが許されるのは、私ではないから……    
 わからない。わからないわ。
 どうしてそんな……
 母様は何を諦めてしまったというの?
 白い壁を背にして家の外に設けられた長椅子に見える人影。
 眠っているのだろうか。
 夕凪に溶けてしまいそうな輪郭に儚さを覚えて、思わず駆け出そうとする足が寸前のところで止まる。
 眠るその人の横に、寄り添っている誰か。
 真っ直ぐに流れおちる銀色の髪。夕陽に映えるそれは、ほのかに色付いて見えるものの間違いなく銀色をしている。
 これもまたフローラの記憶か? それとも、“彼女”の心は未だこの地上に留まり、ローのそばにいるというのか……
 まるで、ふたりあることが当然のように肩を寄せ合う。
 一枚の絵にも似たそれに、第三者が居場所を求めようとすれば、たちまち世界は均衡を失い、崩れ落ちることになるのだろう。
 ただひたすらに、繊細で、あやうい。
 この手に力をこめれば、壊すことなど造作も無いであろうそれを、

 不覚にも、綺麗だと思った    

 今はただ、じっと目を閉じ感情の波が流れ去るのを待つほかなく、ひとすじの涙とともに、セシリーが再び視線を上げたとき、そこにはただひとり眠る彼の姿が残されているだけだった。
「起きて。風邪をひくわ」
 凪ぎの時が終わりを告げたのか、少し風が戻ってきたように思う。
「夢を……見ていた……」
 薄く瞼を開いたローが言う。
「夢? どんな?」
 セシリーの問いに言葉が返ることはない。
 穏やかに刻まれた笑みが告げている。「秘密」、と。

 いっそのこと憎んでしまえればいい。

 一見柔らかでいて、頑ななまでの拒絶。
 身内としての愛は惜しみなくくれるくせに、自らがひいた一線の先にはけっして入れようとしてはくれない。
 それでも。
 それでも……
 それでも近くにいたいと思うのなら、このままの位置に留まるほかはないのだろう。
 かつてフローラが選んだように。
 セシリーにもまた、選ばなければならない時がきている。




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