目覚めよと呼ぶ声あり W 

 ハイドランドが暴君インダストリア王から<引きこもり国家>の蔑称で呼ばれているのは周知の事実。完全鎖国体制を嘲笑ってのことらしいが、笑われようがなんだろうが国を閉ざしている側の情勢はそれなりに安定している。
 外交も最低限しか行わないような国に、どうしてミージアのお姫様が嫁して来られたのかと、不思議に思ったこともあったのだけれど、その後彼の国が亡国の道を辿ったことを鑑みれば、亡きミージアの王はハイドランドを頼ることでわずかなりとも血筋を残されようとしたのかもしれない。そんなふうに考えてみたりもした。
 まあ、それもよもやの事情であやしくなって来ていますけど……重ね重ね殿下が女の子としてお育ちあそばしていればねぇ……さぞかし見目麗しい姫君だったでしょう。勿体無や勿体無や。
 それはさて置き、ここハイドランドの護りは厚い。近隣諸国が群雄割拠する動乱の時代に突入しているというのに、一国の王子がのほほんとお忍びごっこを日課にしていたくらいなのだから、この国の現状がいかに安定しているかわかろうというもの。
「だいたいあの“結界”をどうやって越えるおつもりなんです? 蟻一匹通さないって言われているの、伊達じゃないですよ。本当に通れないんですから、アレ」
 ハイドランドの国境地帯全域に配備されている、アレ。
 公式名称でいうところの“結界”は、限りなく透明に近い乳白色の膜で、外側からぐるりと国土全域を包み込んでいる。
 かつて、ふらりと立ち寄った異星人なるものが意図的に置いて行ったとされるそれ。圧倒的に使えないもの多数のため、現在においてはゴミの不法投棄説が有力だが、十五代ハイドランド王が手に入れた物体は、ある日を境にして突如息を吹き返す。
 いかなる物体の侵入も拒み、外側からは勿論のこと、たとえ中側からであっても越えて行き来することはできない仕組みになっているらしく、「どういう仕掛けだ!」と疑問を持つ者も多いが、異星人言語の研究は牛歩の如くと言われる分野なので、残念ながら事の詳細を説明出来る者はいない。(当然のこと私も詳しくないです、念のため)
 以前、エルレイク公国が飛竜騎士団を率いて上空からの侵略を試みたことがあった。しかし、結界はドーム状に張り巡らされており、なおかつ外敵を察知すると共にドームの外側を覆った赤い光、それがエルレイクの誇る飛竜騎士団を瞬殺。ハイドランドの危機は、国民の多くがそれと気付かないうちに未然に防がれていたという、国の内外でも有名なとんでもなくおめでたいオチがついた。
 鎖国なんてもの、圧倒的な武力の前にはなんの意味もなさない。押し入られ、蹂躙され、それで終わりだ。
 けれど、ハイドランドには鉄壁の守りがある。攻撃は最大の防御というが、その反対もまた然り。多少激しすぎるきらいもあるけれど、手を出す方が悪いのだと言われてしまえば取り付く島も無い。取り付かせさえしないのが、ここハイドランド王国。
 とまあ、そんな感じで。
「正規の手続きを取れば門からの出入りも可能でしょうけど、殿下では無理ですよ。お顔が知れちゃってますから。事前のチェックでひっかかって終わりです」
「そんなことくらいわかっているよ。だから暁の搭へ向かおうと思っている」
 聞きなれない言葉に首を傾げて見せると、国境の森にある古い搭であるとの補足を受けた。
「この国は魔力を捨て去って久しいが、かつて転移と呼ばれる術に用いたとされる魔方陣が二つだけ残されている。ひとつは王宮に、ひとつは暁の搭に。王宮のものは部分的に失われているが、暁の搭のものは完全体を保持している。君ならそれが使えるはずだろう? イサの魔導師、“パメラ=ベルタルダロード”」
 いつそのことに触れられるのだろうと思ってはいたのだけれど、今ここで来ますか、殿下。
「お断りします」
 きっぱりと言い放った。
「私、もう魔法みたいな胡散臭いものとは縁を切ったんですよ。薬の扱いも少しずつ覚えて、ようやく新しい生活の基盤が整いつつあるんです。そりゃあ、路頭に迷っているところを拾って下さったことは感謝していますよ。その後、薬学の道に進む時にお力添え下さったこともね、忘れたわけじゃありません。でも、」
 でも……
「魔力は人を幸せにしません、殿下。殿下が今回のお達しを不服に思われ、どうにか活路を見出そうとされていることは、不肖この“ナディア=ダイダリエ”も理解しております。けれど、それが魔法でしか解決できないようなことなら、残念ながら殿下、殿下のお考え自体が間違っているのです」
 魔力に頼るしか打つ手がないというなら、そもそもその行い、それそのものが間違っているのだと……
 生ぬるい風が梢を渡った。夜が黒を手放し、空が白み始めている。
 複雑な表情を浮べられた殿下。困惑の裏に見え隠れしているのは失望なのだろう。
「随分と無茶苦茶なことを言うんだね、ナディア」
「無茶苦茶ではありません。私、この国が魔法を廃したこと、素晴らしい決断だと思っています。魔力なんて使わなくても人は生きていける。それを証明しているじゃないですか」
「外敵からの攻撃を得体の知れない、しかもまたいつ壊れるとも知れない宇宙人のゴミで防いでいる、かなり特殊な状況下での話だよ。まるで鳥籠の中にあるような世界じゃないか、ここは」
「かまいませんよ、それでも」

 ああ、あれに見える真紅は魔導の炎だ……
 自然界にあるまじきもの。
 劫火が天を焦がす。灼熱の炎が空をも血の色に染める。

「人は、人の手により生み出されたものによってのみ、生かされるべきなのです、殿下。ハイドランドは魔法を廃したが故に栄え、かつて魔導大国の名の元、繁栄を欲しいがままにしていたイサは、それに真髄を犯されて滅んだ。私は再びあの忌々しい力に触れるつもりはありません」
 ええ、絶対に。もう、絶対に。
 そう、永遠に……
「弱ったねぇ……君の魔力アレルギーがここまでのものとは……正直思わなかったよ」
 美しい眉根を寄せてつくられた苦笑。それはいつも以上に儚げで、そしてどこか泣きたそうにしているようにも見えた。
「どうされますか? 殿下。王宮に引き返されるのでしたらご案内いたしますが……」
 殿下は頭を振って、「それには及ばないよ」とおっしゃられた。ひとり立ち上がり、明け行く空を見上げているそのお姿を、私は言葉なく見つめている。
 恩があるのは本当。でも、ごめんなさい……
 そういえば、殿下と初めてお会いしたのもこんな明け方の森の中でしたっけね。見るからに異国人(容姿はともかくとして着ているものが)、いかにも焼け出されて来ました……みたいな小娘を拾って下さり、お腹一杯食べさせて下さり、その後働き口の世話までして下さり……感謝はしているんです……
 でも、だからこそ、
―― 殿下には魔法なんていうものに関わってほしくない ――
 そう思うのは間違っているでしょうか?
 鳥のさえずり、梢を渡る羽音や小動物の嘶き。この先どうすればいいのかわからず、森の喧騒に耳を傾けていると、それが一斉に大きくなり、止んだ。
 そしてかわりに聞こえてきたのは繁みをかき分け朽葉を踏みしだく音。
「追いつかれたか」
 かなりの人数に取り囲まれている。この時一個隊を投入していたと知るのはもうしばらく後のことになるわけだけれど。
「お迎えにあがりました、殿下」

 わー、ホモ総督だよ。

 事態は緊迫しているはずなのに、現れた人の顔を見た途端、脳裏をかすめたのはそんな言葉だった。




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