目覚めよと呼ぶ声あり Y 


 はめられたんだろうな……と思う。幼い公子様には害が及ばなかったらしいから、やはり王子妃様あたりの策略だろうか。
 王子妃様は公爵家のご令嬢で、なんというか、その……地味な人……という記憶しかなかったりする。悪い噂は聞かないのだけど、逆に良い噂も聞かない。多分この先も<王子様のお妃様>で<お世継様のご生母様>でしかない人。ご本人様の印象は、限りなく薄い。
 ただ、下々の口は正直なもので、王子妃様と第二王子であるアルゼルト殿下なら、間違いなく殿下の方が好感を持たれている。もしもこの先、殿下が兄上様の第二妃になられるようなことになれば、王子妃様の影はさらに薄くなること必至だろう。
 だから、女の嫉妬だったのかなぁ……なーんて。
「それでは、国境までの道案内を頼まれたと」
「ええ、まあ……最初はそんな感じでした。詳しいことは道々話していただけるということで」
 で、私はただ総督相閣下から取調べを受けています。
「詳細も聞かずに承諾したのか?」
「成り行きとでもいうか、その、あそこでお引止めすることはできそうにありませんでしたから、途中こちらの説得に応じて、お考えを改めていただけないだろうか……とは思っておりましたが」
「なるほど」
 どこまで話すべきだろうか。殿下が暁の搭へ行こうとしていたこと。魔方陣のこと。そして私自身のこと……
 事が事だけに拷問部屋みたいなところに連れて行かれるのかと思っていたら、案外普通の取調べ室で、書記官の女性がペンを走らせる中、気まずい雰囲気で証言を続けている。
「お前はローベルアーバムからの移民か」
「あ、はい……」
「殿下がお忍びの際に立ち寄られる下級薬師というのは、おまえのことで間違いないか? ナディア=ダイダリエ」
「はい……そうです」
 本当は違うのだけれど。
 本当の生国は《イサ》。かつて東方の地にあり魔導帝国の名で呼ばれた大国。ローベルアーバムの少女は、ハイドランドに入国後すぐ病に倒れ命を落としたと聞く。私が今使っている戸籍は、本来彼女に割り当てられていたものだ。

――― ここでは登録がされてないと暮らしてはいけないよ。出入りが制限されている国だからね。何かと管理がうるさいのさ。待っておいで、知人に話をつけてこよう。名前が変ることになるだろうけど、それはかまわないかい? パメラ=ベルタルダロード。
――― かまいませんよ、名前なんて。そんなもの。私は生きなおすためにここへ来たのですから。捨てるのが得策ならいくらでも捨ててやります。

 紅蓮の炎と共にイサは滅んだ。魔導の劫火に焼かれ、かくてあの国はこの地表からから消え去る。互いに向けて放ったはずの力が結果自身を焼くことになったという……
 なんたる悲劇……いや、なんたる喜劇だろうか。

「……それでは、追って沙汰がある。連絡がゆくまでは自宅で待機しているように」 「え……あの、それは……」
「おそらく懲罰金を支払うことになるだろう。あとは市民ランクの一定期間据え置き。収監が行われない場合は通常半年から一年といったところか。その間は当然のこと、昇給や昇進の計らいも無い」
「はあ……」
 私としては寛大なるご処置に言葉をつなげないでいたのだけど……
 どうやらそれを移民ゆえの知識不足と勘違いされたらしく、総督閣下は現状から予想できる範囲内での罰則やら何やらを上げて下さる。
 真面目な方なんですね……今度ホモホモ言ってるおばちゃんたちに焼き入れときます。
「その程度のこと……と言っては失礼でしょうが、よろしいのでしょうか? もっと重い罪に問われるのかと思っていました。毒薬の入手経路とか、そのあたりの絡みもあって……」
 毒殺の嫌疑をかけられた第二王子と一緒に逃げていた薬師。共犯を疑われても仕方のない状況だったのだけれど。
「あれだけの純度を持った薬の精製だ。お主程度の腕で作れるとは思っておらぬ。使用する機材だけでも相当なものが必要になるだろう」
 つまり、見習い上がりと貧乏が幸いしたと、そういうことでしょうか? 閣下。
「我が国は法治国家だ。ナディア=ダイダリエ」
「はい」
「おまえの行いを法と照らし合わせ、刑罰が必要と判断されれば規定の量が課せられる。今回の場合は要人の逃亡幇助だが、ここでおまえの証言と殿下の証言に食い違いが出てきた」
「食い違い……ですか?」
 なんだろう……? と首を傾げる。
「殿下はご自身の言動が結果的におまえを強要することに繋がったとおっしゃられた。移民という立場上王族の要請を断ることなどできようはずもなく、おまえからすれば脅迫にも近い状況での同行だったと」
「でも、それは……」
「私は殿下のお言葉を真実とするつもりだ。双方の話を聞き判断を下した。異議があるのなら判決が出た後に申し立てるといい。正当性が認められれば再度審議が行われるだろう」
「はあ……」
 極刑の可能性もあっただけに、なんとなく肩透かしをくらったような気持ちだった。 でも、私がこの程度なら殿下の方も疑いも晴れたのではないだろうか。そう思うと少しだけ気持ちが楽になる。性別の問題は何ひとつとして解決していないけど、冷静になって考える時間があればまたお気持も変ってくるかもしれない。
 もしも妃殿下になってしまわれたら……
 もうこれまでのようにお忍びで出て来られるなんてこと、なくなってしまうのだろうな。殿下の好奇心に振り回されてばかりで、色々と……ああ、本当に手を焼くことばかりだったけど(こっちは不慣れな生活で大変だというのに!)、それも終わってしまうのかと思えば、やはり寂しい……
 いや、でも、殿下のことだから、妃殿下になられてもこっそり城から抜け出して来られるんじゃないかな? その可能性の方が……うん、きっとそっちの方が高いと思う。私は驚いて、そしてまたいつものようにお諌めして、殿下は端から聞く耳なんて持ってないみたいな顔でたおやかに笑っておられて……
 そんなことを思いながら帰り支度をしていた。わざわざ時間を割いて下さった総督閣下にお礼を言い、お詫びを言い、取調べ室から出ようと背を向けかけた、その時、
「最後にもうひとつ話がある」
 閣下が差し出された飾り箱には見覚えすらなかったのだけれど、中に入っていたもののことは覚えていた。
「殿下からである。これをそなたに返してほしいとのお言葉だった」
 まるで凍てつく湖面をそのままに削り出したかのようなブルーダイアモンド。それをメインに配して、周囲を白金の細工が細やかに彩る。
上級魔導師の資格を得た時、その証として授けられた紋章。
 色々と親身になってもらったけど、日々の生活が精一杯の私には何ひとつお礼ができなくて。だから殿下にこれをお渡した。別に惜しくはなかったし、宝石としてはそれなりに価値があるものだから。
 殿下は少し困ったような顔をされて、
「わかった。じゃあ今は預からせてもらうよ。君が一人前になったら返してあげることにする。君は君の力で私に恩を返す。それでいいね?」
 笑いながらおっしゃった。
「殿下にお礼を……私、まだ一人前じゃないけど、そのうちかならずご恩を返しますからって、そう伝えていただけますか?」
 お別れを意味しているのだと思った。さっきほんの少しだけ夢見ていたような未来など、もはや訪れることはない。殿下は、ひとりご決断なされたのだろう。
 お幸せに。お幸せに、殿下。いつか、ご自身の下されました決断が間違いでなかったと思われる日が来ますように。私も遠くからお祈りさせていただきますから。
 さようなら、さようなら、殿下。
「残念だがダイダリエ、そなたの言葉を殿下にお伝えすることはできぬ」
 閣下は何事かを言われた。

 えーと……それはどういう意味なのでしょうか?
 言葉はわかるのに意味を理解することができない。
 曲がりなりにも魔導師をしていたくらいですから、語学は問題ないんですよ、私。耳も良ければ滑舌もいいわけで。ほら、呪文を唱えないといけませんからね。ハイドランド語ぐらい問題なくこなせます。
 それなのに。

――― 殿下はお亡くなりになられた ―――

 いったい何を言われているのでしょうか? 閣下。




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