Chapter.1-1
 謁見の間を満たしている緊迫した空気に「ふむ……」と何かを思案するような少女の声音が混じった。平伏して続きを待つのは、この国の財務、外務、法務を司る三人の大臣という顔ぶれだったが、三人が三人とも、まるで自身の裁きでも待つかの面持ちで美しく磨きぬかれた床に頭を垂れている。
   は、早くして下さらぬと嫌な汗が……
 きっとそう思っているのは他の二人も同じなのだろう。身じろぎもせずにいたが、長年に渡る付き合いである、互いの考えていることくらいは容易に想像がついた。
「では、結果から申す」
 まだ若い、けれど子供のものではない女の声が言った。自身の声がいかにこの場で影響力を持つかを知っている者の声。それが艶やかに告げる。
 ゴクリ。息をのむタイミングも同じに、三翁がその時を待った。
 合か否か。合なれば、選ばれたる一名は誰か。果たしてその者の名は……
三人のうちで誰が推した者が選ばれたのか、それによっては長きに渡る共の大臣職、今後の在り方にも大きな違いが出てくるのだ。
「没」
「は?」
 何ヲ言ッテオルノダ、コノ小娘ハ   
 思わず顔に出てしまったのだろう。動揺にうろたえる瞳がそれを雄弁に語っている。少女は鬱陶しげに表情を曇らせると、補足とばかりに言葉を加え、再度告げた。
「全て却下だと申しておる。もう一度選びなおせ。よいな」
 体型も顔立ちも三者三様。けれど何故か同じタイミング、同じ顔の角度、同じ開き加減で、呆気にとられた口が三つ、横一列にならんだ。
「何故にござりますか! 姫君!」
「全て? 全てとは如何様なことにござります!」
「これで何度目のことかと! 姫は我らが労力一体何とお考えにござりますか!」
 我を取り戻すのも同時にそれぞれが叫ぶと、勢いよく飛んできた扇子が、ピシッ、と、最前にいた外相の禿げ頭を捕らえた。
「何故も、如何様も、何度目も無いわ! お主らはこの国の重鎮にしてそのようなこともわからぬのか! 選べというからにはそれなりの者を揃えい! このヴァレンティーナの婿殿ぞ。共に国を築かねばならぬ者を、このように不甲斐の無い面子から選べと申すか!」
「ですが、どこかで妥協というものをしていただかぬことには、」
 ずい、と身を進めたのは小男の財相。その顔を目掛けて上段からヴァレンティーナが自らの足を繰り出す。
「妥協だと?!」
「流石に足蹴はやめろ」
 すぐさま後ろから伸びた手に引き戻されるも、収まりがつかないのか身をよじって暴れる。
「離せ、コンラード! こやつらには一度しかと言って聞かせねばならぬ!」
 長い黒髪が、白い肌の上に、そして華やかな臙脂色の衣装の上に、うねり乱れた。
「止めるなら蹴りが入る前に止めぬか……」
 絶対に確信犯だったと思われるのだが、残念ながらその確証はない。財相は踏みにじられた顔を引き攣らせ、定まらぬ足取りで安全圏内へと後ずさりする。
「ええい、離せと申すに!」
「姫君ご乱心につき、この場は散会と致す。お三方共にご苦労であられた」
 ヴァレンティーナを抱え退場しようとするコンラードに、ひとり無傷だった法相が声を上げた。
「姫の教育はそちたちフリーゼリの役目であろうが! きちんと躾い!」


 大陸の南西部に位置するレント山脈。その最高峰を眼前に望む辺境の盆地に、ロヴィアーノ=ロレンシア公国はあった。先代大公の急逝から一年。一人娘である公女ヴァレンティーナは、諸事情により早急に伴侶を選ぶ必要に迫られていた。
「あの爺共め、いったい何を考えておる」
 吐き捨てるように言うと、礼儀用にはめていた手袋を外しコンラードに手渡す。自室は通り抜けるだけにし、そこから中庭へと歩み出た。風に緑が揺れ、木漏れ日が細やかな模様を描き出している。
「選んだはいいが、以後自身で操れぬようでは困る……そういったことを目論んだ上での人選であろう」
「おそらくはな」
 コンラードの返答を鼻で笑う。
「そうでなければあれだけの能無し、並べようと思っても並べられるものではないわ」
 既に二度の選びなおしを経ての体たらく。流石に堪忍袋の緒も切れようというものだが、大臣たちは婿取りを拒むヴァレンティーナの我が侭と見ているようである。
「見下げられたものだ」
 忌々しげに舌打ちをし、芝の上に腰を下ろした。
「そのように狭い心など、このヴァレンティーナ・ロヴィーノ=ロレンシア、生憎と持ち合わせてはおらぬ」
「そう怒るな。能無しを選ぶのは能無しだと思えば腹も立つまい」
「辛辣だな」
「お前に言われるほどではないと思うが」
 冷水の入った杯を受け取り、苦笑と共にひと心地つけた。
 コンラードは二三の指示を出し、従っていた召使たちを去らせると、空いた杯を卓の上に戻した。金に近い栗色の髪が、ヴァレンティーナの向ける視線の先に眩しく映り込んでいる。
 コンラード・フリーゼリ。病を理由に宮中を退いているが、父親は長らく主席宰相を勤めていた男だ。ヴァレンティーナの幼馴染であり、前大公はいずれ彼を自身の娘婿に据えようと考えていたこともあるらしい。状況が変りさえしなければ、強ち無理な話でもなかっただろう。
 ため口を許しているのは、ヴァレンティーナが彼に傅かれるのを嫌ったためだ。昔から物怖じしないところがあり、そんな彼だからこそこの気難しい公女に仕えることができたのだと思われる。今更態度を変えられても、かえって戸惑うだろうし、あまり気持ちの良いものでもない。当然のこと三大臣には不興のようだが、ヴァレンティーナを御せる者がコンラードしかいない今、彼らも大きな態度には出られないでいるようだった。 「婿など、条件に合う者さえいれば、いくらでも取ってやるものを」
 誰でもいいというわけではないのだ。それが難しいところであり、ヴァレンティーナを悩ませる要因にもなっている。
「とりあえずは金。そして、類い稀なる政治力か」
 顔と性格は早々に捨てた。そんなものまで言っていたら、永久に決まることはないだろうから。
「あまり悠長なことも言ってはおれんしな」
「今年中に話を決めないといけないだろうな」
「既に夏が終わるぞ」
 ヴァレンティーナは嘲笑うかにして言う。
 草の上に寝転び、横に座ったコンラードを呼び寄せると、彼の膝に頭を乗せた。下から見上げた男の顔は、もう一足先に大人の域に達してしまったかのようだ。
 気性の激しさとは裏腹に、子供の頃は体調を崩し寝付くことも多くあった。長くは生きられぬかもしれない、そんな診立てをする医師もいたくらいである。
 病が癒えたら国を出て知らぬ世界を見て回ろう   
 自らの世界にも等しい子供部屋で、ふたり、戯言を交した。
「お前との約束、果たせそうにないな」
「気にすることはない」
 コンラードが穏やかに言い、ヴァレンティーナもまた穏やかに告げた。
「末永く仕えよ」


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