Chapter.3-6
 秋雨に煙るロレンシア。晩秋は早足に駆け、いずれ遠からぬうちに人々は冬の訪れを知ることになるだろう。
「結局、コンラードが消えて以来行方不明者の数も増えてはおらぬのか」
「そのようだな」
 ミニチアーニの問いに、手元の資料をめくったハーゲンが返した。
「やはりあれの仕業であったということかな」
「わからず終いになりそうだが、人々の記憶には間違いなくそう残るであろうよ」
「しかし、なんとも都合よく証拠がそろったものだね。マウリシオ殿のことで驚いている間にあれよあれよだ」
 デブレティスが含みを持たせ言うと、
「何が言いたい?」
 ミニチアーニが剣を帯びた視線でジロリと睨めつけてきた。
「いや、特にこれといって。ただ、あまりの手際の良さに感服しているだけのことだ」
 しかし、二人の間に漂いはじめた不穏な空気は、ハーゲンの言葉によりかき消された。
「とはいえ、姫はどうされるつもりであろうか。じきに冬が来るぞ。男たちにしても、雪が降るまでには国へ帰り着きたいのが本音であろう」
 予定は延びに延び、予定外で語るには申し訳ないといった有様である。
「二十人からいた候補者も今や三人。そろそろ決めんとあちらからも文句が出よう」
「今まで出なかったことの方が不思議だからな」
「姫はもうお心をお決めになられたのだろうか?」
 ヴァレンティーナの心中……
 それは誰一人として知らぬこと。各々力無く頭を振り、三者三様のため息がこぼれた。
「マウリシオ殿も亡くなられてしまった……となれば、ワシはシルヴィオ殿を推すかなぁ」
「ほう。姫は先ほどサミュエル殿と昆虫談義に花を咲かせていたようだが、ああいう跳ねっ返りには案外年下というのも悪くないのではないか?」
「茶菓子を頬張りながら虫の消化器官について語り合う大公夫妻ができあがるぞ、そんな連中、ワシゃぁ嫌だね」
 誰もそんな会話には絡みたくないだろう。ハーゲンとミニチアーニがげんなりとして肩を落とすと、その横でデブレティスが熱い紅茶の入ったカップを口元へと運び、
「どちらにしろ、姫君が決めて下さらぬことには進まなんよ」
 ひとりごちるのだった。


「まあ……在り得ることだとは思っていたが」
 エミーリオからの報告を聞き終え、ヴァレンティーナの表情がわずかに歪められた。
「短絡的なアホというのはどこにでもおるのだな」
「鬼の首を取ったかのように、とも記されていますねぇ」
 報告書のページをめくったエミーリオがげんなりと呟く。
「城で使っている者は混血であることなど承知の上、その上で魔性の力を買っているというのに、そこを取り上げ責め立てたところで何の特にもならん」
「率直に言えば僻みですからね」
 持つものが持たざるものから妬まれるのは世の常。コンラードの一件があって以来、城勤めの魔性持ちたちは少々肩身の狭い思いを強いられるようになっている。崇められると同時に妬みの対象とも成り得るのが彼らだった。 「実害が出ていない以上、表立った取り締まりはせぬが、被害がこれ以上広まらないように注視せよ。何なら、我が身にも魔性の血が流れていることを教えてやっても良いぞ」
「別に秘密にしているわけじゃありませんから、そのうち思い出して青ざめるんじゃないでしょうかね」
 数代遡れば、ヴァレンティーナの祖先にも魔性持ちは出てくる。
「おそらくはこの怪力もそこから受けたものであろうにな」
 つまり、魔性を貶すことは自身らが主をも貶すことになるのだと……  ほんの些細なことで調子付いている者たちは、後に何にも変え難い恐怖を味わうことになるであろう。
「下らん差別で折角の才能を潰されてなるものか」
 エミーリオを下がらせると、ヴァレンティーナは待たせていたサミュエルに向き直った。
「突然のことで悪かったな。ただし、今の話でこれだけは覚えておくといい。良い人材を育てられなかった国は瞬く間に滅ぶぞ」
「はい。それは私の祖父も常日頃から言っていることと同じです。学問こそが人類の宝であると」
 ヴァレンティーナが頷くと、サミュエルはほんの少し考える素振りを見せたのち、「あの」、と続きを切り出す。
「このような話をすると気を悪くされるかもしれませんが……」
「構わぬ、言え」
「はい」
 では……と最後の迷いを振り捨てて語り始める。
「祖父はこのあたり一帯に学園都市の建設を思い描いているようなのです」
「このような辺境にか?」
「王都から見れば辺境かもしれませんが、もっと外の世界に目を向ければ、ここは決して悪い位置にはないのです。コーラールさえもう少し安定してくれれば、交通の要所として栄える道も見出せるはずだと」
「それでまず真っ先に学園都市というのがそなたの祖父らしいな」
「はい……」
 そのあたりは少々孫にも思うところがあるらしく、恥かしそうな笑みを浮べると困ったように頬のあたりを指先で掻いて見せた。
「まあな、ここもいつまでも金一本に頼っているわけにはいかぬ。活かす道があるというなら、少しでも良い方へ導いてやりたいとは思うておる」

 ロレンシア。ロヴィアーノ・ロレンシア。
 我を生み、我を育んだ、母なる地よ。
 お前を傷つける者あれば、我はお前を守る盾となろう。
 我が命、お前から生まれ出たものなれば、
 我はお前を守る盾となろう。


 きりが無いとは思いながら、ついもう一枚と手を伸ばした書類に目を走らせる。決済待ちの文書は増える一方で、早急に何らかの策を講じねば、そう遠からぬうちに仕事は行き詰まりを見せることになるだろう。エミーリオにしろ、その他の部下たちにしろ、個々の素材は決して悪くないのだが、それを充分に活かしきるためにには、もうひとつ別の歯車が必要となると思われた。
 コンラードほどの逸材が容易に手に入るとは思わない。けれど、手に入れられないでは済まないのが現状。
「ええい。ミニチアーニの奴、先走りおってからに」
 忌々しげに言って必要箇所にサインを入れる。もう真夜中と言うに等しい時間帯だが、先のことを思えばもう少しこなしてから眠るべきだろうか。頭が答えを出すよりも先に指が書類へと伸びた。苦笑まじりに続行と判断を下した。
 窓を打つ音は木枯らしの音か。けれど、それは今一度音を立てることでヴァレンティーナの興味を引いた。
 控えの者は隣室に下がらせてある。コンラードがいれば渋い顔をしただろうし、おそらくは許してさえもらえなかっただろうが、今はひとりでいる時間を必要としていた。いずれ元の状態に戻すとしても、もうしばらくの間はこのままでいようと思った。誰のためにもその方がいい。自分のためにも。そして彼女の気分を害し当り散らされることになる者たちのためにも。
 わずかに開けたカーテンの隙間、その先に映るものを瞳がとらえるや否や息をのんだ。すぐさま窓に手をかける。吹き込んだ風に書斎の蝋燭がかき消されるも、それは煌々と輝く月の光に照らし出され、夜に沈むことなく彼女の目の前にあった。
「コンラード」
 詰め寄るようにしてベランダへと足を踏み出す。夜に溶ける黒い装束。髪は飴色の艶を放ち、それよりも黄色みの強い瞳は、彼女のよく知るものとは違い、眩く光る夜の眷属の色を湛えている。若干顔立ちに鋭さが加わったような気はするが、広間で見せられたほどの変容を見る事はない。
   あれならその狂気、内に秘めたまま生涯押さえ通してみせたことでしょうから……
「何故戻った」
   逃がしておやりになったのでは……?
「何故……」
「ひとつだけ聞く」
 よく知った声が耳に届いた。
「共に行く気はないか?」
 城を出て。
 ロレンシアを出て。
 はるか遠い世界へと。
「それは……」
「今すぐに答えろ」
   姫はまだご存知無いと言われるか。あれは、厄介なものにございます……
 胸が痛い。掻き毟るかのような蠢きがある。
   たとえ誰に謗られようとも、手に入らぬならその命、いっそこの手で奪ってしまおうかと思ったほどにございます……
「私は、」
 私は……
   けれど、私が奪うよりも先に、あの人は、もっと遠いところへひとり行ってしまいましたがね……
「私は行けぬ」
 行けぬのだ。
「その答え、そなたもよく知っておろうが。コンラード」
 柔らかな笑みが、まるで初めから答えを承知していたかのように、ヴァレンティーナの言葉を受け、そして溶かした。
「ならば今宵限りだ。互いに道を分かとう」
 両の頬を手のひらで包み、わずかに背伸びする。触れるだけのくちづけを送り、そして離れた。
「さらばだ、コンラード」
 行くがいい。
 共に見るはずだった世界を。
 その目にしかと収めてくるがいい。

 黒い影が獣の如きしなやかさで去ってゆくのを見送る。
 彼はいない。
 もういない。
 かれは、
 行ってしまった   

 翌朝は昨夜の月が嘘であったかのように、ロレンシア一帯を雨雲が覆いつくした。
 サアサアと降り続く雨を見上げ、そしてヴァレンティーナは瞼を伏せる。
   泣くな。泣くな、ロレンシアの空よ。
 私が守ってやる。

 守ってやるから……

 だから、泣くな   




Chapter.3 END

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