Chapter.4-2
 啜り泣きを繰り返し、どうにか嗚咽を飲み下した合間に、サミュエルが言った。
「残念です。ヴァレンティーナの姉上」
「そのように泣かれるとは思わなかった。だが許せ。我が国の舵取りは今後難しい面を迎えることになるだろう。我が夫となる者はそのための協力者たる必要がある。時が許すならば、そなたと共に学園都市の夢を見るのも悪くはなかったと思うぞ」
 大粒の涙が、再びそばかすの頬を伝った。
「時代が……時代が我々を分かつのですね」
「まあ、そういうことにしても間違いではないやも知れぬが……」
「生まれ変わったら今度こそ結婚しましょう、姉上!」
 思いのほかのめりこみやすい性格だったとみえ、ヴァレンティーナの胸に顔をうずめたサミュエル少年は声を上げて泣きじゃくった。
「来世など今から語ってどうなる。そなたにもいずれ相応しい相手が現れよう。何なら私が良い娘を見繕ってやってもよいぞ。ロレンシアの娘は色も白く肌の肌理も細かい。金と共に美人の名産地としても名を誇っておる」
「酷いです~ 失恋したばかりだというのに、もう花嫁の話をするなんて姉上、酷いです~」
 確かにロレンシアには美人が多い。色白で肌の美しい娘も多い。けれど、そうであると同時に女傑である可能性も非常に高い。それが金と美人と女傑を産出すると謳われたロレンシア公国。
 サミュエルに従い二月をこの国で過ごしたインテルレンギ家の召使たちは、
   できれば坊ちゃまには可愛らしい奥方を娶っていただきたく   
 ひしひしとそう実感していたので、骨髄反応とはいえサミュエルが断りを入れてくれたことにほっと胸を撫で下ろしていた。


「それで? 三人の話し合いはすぐについたのか?」
「いえ、すぐという訳には……お互い打算含みでございますからな」
 初冬の陽光が硝子窓から差し込む。儚く浮かんだ陽だまりの中、ヴァレンティーナはデブレティスと共に午後のひと時を語らっていた。
「ミニチアーニは何やら決めかねているようでしたが、私とハーゲンの意見が一致した時点で多数決では決したようなものですから」
「そうか、ミニチアーニが迷っておったか」
「はい」
 一寸考えるような素振りを見せ、ヴァレンティーナは紅茶を口にする。
「よろしかったのですか?」
「何がだ?」
 伺うようなデブレティスの口調に、更に疑問符を返すとその答えを待った。
「最良であることには同意致しますが、姫君のお心はそれで良ろしかったのかと」
「私の心など、あるだけ邪魔であろう。そもそも国と民を導くための結婚である。国が良くあれば私の心も満たされる。そうであらねばなるまい?」
「ですが……」
 口ごもるデブレティスにヴァレンティーナは続けた。
「公女として生まれたからにはその勤めを果たすだけだ。それだけの恩恵は受けているのだからな」
 そう、公女であったから生き長らえている。公女でなかったなら、この命、とうの昔に潰えていたことだろう。
 だから……
「そうせねばなるまい」
 まるで自身に言い聞かせるように、ヴァレンティーナは言った。


 今は冬枯れに沈黙する薔薇園の片隅。そこに設けられた池の淵にヴァレンティーナが立つと、いずこから見ていたのか、コポコポと大きなあぶくが上がり怪魚ドナドナが顔をのぞかせた。目はうつろなまま虚空を彷徨い、まるで水死体の如く水面を漂う。
 ヴァレンティーナがそれへ目掛けて、己の背丈ほどもあろうかという魚を放る。すると、今の今まで微動だにしなかったドナドナが、勢いよく身をくねらせ、空中に舞う己が餌に喰らいついた。
 ザンッ、とおびただしい水しぶきを上げ、怪魚は水中へと消える。
「ずぶ濡れにならぬためにはなるべく遠くへ投げるのがコツだな」
 ヴァレンティーナの手が空かない時は、家臣たちがこれをするのだが、まあ、だいたいは濡れ鼠にされて終わる。
「少しずつ水の塩分濃度を変えておる。春には湖に放してやることができるだろう」
「いきなり冬の湖は厳しいかもしれませんからね。一冬はこちらで越させてやった方が良いかもしれません。もともと順応力の高い生き物ではあるのですが……」
 バルダサーレが言い終わらないうちに、半分ぐらいにまで食いちぎられた餌を口にしたドナドナが再度水面に顔をのぞかせた。
「見せに来ずともよい。ゆっくりと味わって食べよ」
 鮮やかな肉の断面からは鮮血がだくだく。
「嬉しそうにしていますね」
 相変わらず悲しそうな目をした生き物であったが、バルダサーレにはその些細な違いが読み取れるのだろう。
「あれはとても気難しいのですよ。それをまるで愛玩動物の如く懐かせるとは、感服いたしました」
「それほどのことはない。思いのほか寂しがりやでもある。愛いやつよ」
 事も無げに言ってのけたヴァレンティーナにバルダサーレは苦笑を浮かべ、
「本当に。あなたのお眼鏡に適えなかったことが残念でなりません」
 そう言って落胆の溜息を漏らした。
「私も、そなたとであれば楽しく過ごせたと思うぞ。馬術といい剣術といい、あそこまで私の心を沸かせる者がいようとは。正直驚きでもあった」
 けれど。
「けれど、これもまた考え抜いて出した結論である。どうかそればかりはご理解をいただきたい」
「ええ、わかっておりますよ。姫君。致し方ないことであるのは、充分すぎるほどに」
 水音に視線を向けると、小さくはねたドナドナが、満足そうに池の中深く潜って行くところだった。
「どうだ? 滞在中、他に気に入った娘などはおられなんだか。もしもいたとするなら連れ帰ってもよいぞ。私が口をきいてやろう」
「いえいえ。お気遣い無く。正直そこまでの余裕はありませんでしたから」
 ロレンシアは金と共に美人も誇る。けれどその美人は女傑である可能性が……(以下略)
 バルダサーレに付き従っていたディオニージの家臣団は、
   できれば殿下にはもっとたおやかな姫君を娶っていただきたく……   
 と、思っていたかどうか定かではないが、各々なんとも微妙な表情を浮かべ二人のことを見ていた。
「近日発たれると聞いたが」
「ええ。雪に閉ざされる前には動こうかと」
「ならば、明後日の式典はよろしく頼む。そなたに頼むと言うのもなんだが、そなた以上の立会人はおるまい」
「はい。お任せ下さいませ。しかと務めさせていただきます」
 バルダサーレが胸に手をあてて応えると、その後ろから声が上がった。
「姫」
 小雪が舞い散る中、異国風のローブをなびかせ歩いてくるのは、シルヴィオ・アドルファーティ   
「ご機嫌はいかがでしょうか、我が姫」
「悪くはないと言っておこうか、婿殿」
 ヴァレンティーナの手を取り、恭しくも唇を寄せる。
「生魚でもつかまれましたか?」
「活きのいいヤツをな」


「決め手は餌付けであったか」
「あの男はことある毎に食わせておったからな。手を変え品を変え。そこが乙女心(笑)をとらえたというところか」
「まあ、何にせよ、あの者が一番コンラードに似ておる」
 デブレティスの言葉にはた、と顔を見合わせる他者ふたり。ハーゲンとミニチアーニはしばし無言で見つめあった後、得心した、とばかりに頷く。
「しかしミニチアーニ。君はこれで良かったのかね? 何やら納得できぬふうであったようだが」
 三人で囲む卓の淵に片肘をつき、もう一方の手で大仰にカップを持ち上げて見せたミニチアーニは、それを口元へと導きつつデブレティスの問いに答えた。
「かまわんよ、一向にね。この国がよき道を歩むのなら。そうであろう? そうではないか? ワシは満足じゃ。存分にな」
 そして再びカップを高らかに掲げると、
「ロレンシアの未来に栄光あれ」
 そう告げるのだった。

 ロレンシアの未来に、

 栄光あれ……

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