Chapter.4-6
 男の指が額に触れた。
 褐色の肌と流れる銀色の髪。目深にかぶられたフードの奥から、何やら耳慣れぬ言葉がこぼれる。
(なに……?)
 既に声を上げることも叶わず、答えを求めようと視線を滑らせた先、心配そうに見つめる父大公の顔を最後に、突如として意識は途絶えた。


「なんと!……」
「『たかが小娘ひとりのために』……その通りである」
 言葉を飲んだハーゲンの心中を代弁するかのように言い、ヴァレンティーナは笑った。
「故に私はロレンシアを守らなければならない。この身の全てをかけても。それだけのものと引き換えに生き長らえている体だ」
 国のために隠された富を一身に受け、死の淵から甦った。愛ゆえの盲目。愛ゆえの暴走。
 父の愛は……自身がその翌年にあっさり他界してしまったことも含め、最愛の娘にかくのごとく試練として圧し掛かることになった。
   行けぬ。行けぬのだ。その答え、そなたもよく知っておろう。コンラード   
「デブレティス。これがいつぞやの答えだ。納得したか」
「はい……」
 財相は恭しく頷いたが、それに噛み付いてくる者があった。
「納得などできるか!」
 ミニチアーニである。止める近習の手を振り払うと、体をふるわせるかにして吼えた。
「あ、あれがどれだけの財であったかご存知か? 使おうと思って使えるものでははい。それを易々と……使った? 対価だ? くれてやったの間違いであろうが! 前大公! そうじゃ、そなたの父親じゃ! あの青二才、死してなお我らを煩わせるか!」
 前大公を語る場合、必ずといってついて回るのが「マイペースな方であられた」の一言である。数々の煮え湯を飲まされてきたミニチアーニは、走馬灯のように甦る過去の記憶にしばし言葉を無くした。
「あ、あれが、使った……だと? あの金を? あれを、使った?」
「正気か?」
 どうやら精神が逼迫すると錯乱状態に陥るタイプであるらしい。ヴァレンティーナは様子を伺うかにして問うた。
「おおう、正気じゃ。正気以外何ものでもないわ」
 そのひと言が癇に障ったのか、瞬時にして意識の焦点を合わせなおすと、つかつかと歩み寄り、式典用にかぶっている帽子を脱ぎ捨てて自らの頭部をさらした。
「見よ、この無残たる有様。全て貴様の父親から与えられた心労の結果じゃ! 当然のこと知らぬであろうが、ワシの若い頃は、それはもうフサフサのフサフサで、逆に鬘をかぶっているのではないかといぶかしまれていたほどじゃ! それがあろうことか見る間のうちにだな! ああああっ! 思い出すのも忌々しい! あやつの「あ、やっちゃった」と「ねーねー、いいこと思いついたんだけどぉ」、このふた言にどれだけの者が振り回され、どれだけの被害が出たことか! ああああっ!」
「やはり、正気ではないか……」
「正気じゃと言うに、くどいの!」
「ならばハゲごときでくどくど言うでない。世にはハゲでチビでデブと、三重苦に喘いでいる者も多くおろうが」
「おのれ小娘! このまま国が倒れるようなことあらば、怪力+性格ブスの貴様など、引取り手すらなくイカズゴケに終わることであろうよ。辛酸を舐めるがよいわ!」
「心配無用。たとえ窮地に立つ事はあっても、蓄えた知識とこの怪力で見事世を渡ってみせてくれようぞ」
   かわいくねぇーーーーっ!   
「ええい、いい加減にされよ、ふたりとも」
 なんとも非生産的な掛け合いである。見かねたデブレティスが割って入り、今にも掴みかからんとするミニチアーニを左手で制した。
「止めるなデブレティス。このまま引き下がってなるものか。使っただと、使っただと、使っただと?! どうりで掘っても何もでて来ぬ、それもそのはず、この愚か者父子が使っていたのだからな!」
 なおも収まらずまくし立てる。けれど、ヴァレンティーナの視線は、するりと動いて横に立つシルヴィオに移った。
「ああ……そういうことでしか。ようやくこれの意味がわかりましたよ」
 筒袖を探るようにしていた彼の手が差し出したのは一枚の紙切れ。
「二年ほど前、前大公の御名で取り交わされた契約書、その一部にございます。肝心の部分が入手できなかったため、内容の把握に手間取っておりましたが、こちらに莫大なる出費あったことだけは理解できました。流石はロレンシア公国。あれだけの金が動けば、並の国なら傾いておりましょう」
「ほう。そのようなものがあったか」
 ヴァレンティーナがそれを開くと、左右から三大臣が必死の形相で覗き込んできた。
「ぬう。この顔に似合わず美しい字は紛れもなく前大公の自筆。しかし、相手の名前、そしてこの本文と思わしきものを綴られた文字、これはなんだ? どこの国の文字だ、読めぬぞ」
「読めずとも不思議ではない。これは魔物共が使う文字だからだ」
「魔物? 御父君は魔物などと契約を交わされたと申されますか」
「魔物というか、あやつは魔術師の類いであったようだが……」
 生粋の魔性ではなかったような気がする。かといって人でもない。うつろな記憶はどこまでもおぼろで、掬おうとすればするほど曖昧にほどけてしまう。
「そなた、これをどこで入手された」
「まあ、蛇の道は蛇とでも申しましょうか、そのあたりの事情はまた機会がありました折にでも……」
 あまり人前で語ることでもないのだろう。シルヴィオは言葉を濁らせると「御察し下さい」とばかりに困り顔を浮べ、肩をすぼめて見せた。
「取引の材料にでもするつもりだったのであろう」
 ヴァレンティーナが鼻先で笑う。
「商家の出にございますれば、少しでも良い条件で商談をまとめたいと思うのは必然」
「世間ではそういうのを”強請”というのではないか?」
「どうとでもお取り下されば結構」
「ならば、こちらもその”商談”とやらをさせていただくとしよう」
 不敵とするのが何よりもふさわしい笑みに、思わず、ハーゲンとデブレティスが顔を見合わせた。
「何やら妙な話になってきたようだが……」
「うむ」
 本来なら婚約の成立に沸きかえっているはずが、何の因果かこの展開。
「そなたがミニチアーニと繋がっていることは、我らも情報として得ている。アドルファーティが一家臣と共謀し、国家の乗っ取りを企むとは、あまり聞こえの良い話しではないと思うが、どうであろうか、シルヴィオ殿」
「最初からそのおつもりでしたか」
 シルヴィオは笑った。
「膿み出し……なるほどね。どうやら我々は嵌められたようでございますよ、お大臣様」
 言われるまでもない。いち早く事態を理解したミニチアーニは、顔面蒼白のまま石の如く固まっていた。
 商談と言えば聞こえはいいが、詰まる所、いくらふんだくることができようかという話である。
「一国の公女が結婚相手を脅すというのもどうかとは思うが……」
「まあ、そこはヴァレンティーナだからして……」
 デブレティスとハーゲンが呆れ顔で呟く。
 アドルファーティの次男坊が一国の乗っ取りに失敗した上、公女に正体をひん剥かれて放り出されたとあっては、パルバルディア屈指の商家としてはあまりにも対面が悪い。金で片がつくことなら……そう話の矛先が向かったとしても不思議ではなかった。不思議ではなかったのではあるが……
「これが婿選びの真相ですか? 姫君はそれと知って相手を陥れ、損失の補填分を毟り取ろうとする」
「人聞きが悪い。婿選びは婿選びである。そなたも純粋に候補の一人ではあったのだ。その後ろ暗い思惑が露見するまではな。けれど、知ったからには利用させていただく。当然のであろう?」
 パトロンは一人でも多い方がいい。ましてそれがアドルファーティとあれば尚更。
「で? どうする? 出すのか、出さぬのか」
 悪びれるでもなく言い放ったのを聞き、デブレティスとハーゲンはさも申し訳なさげに顔を歪めた。
「極悪これに極まり……だな」
「ま、それもヴァレンティーナじゃからして」
 出すも地獄、出さずとも地獄。身動きのとれないところにまで追い込んでおいて叩く。
 しかも、自らの婚約の場を利用して……である。溜息のひとつやふたつ、漏れ聞こえてきたところで致し方の無いことであろう。
「勝算は有り……と見るか」
「余裕げな顔ではあるが……」
 ただし、それは相手の方も同じ。ただひとりミニチアーニだけが顔面を蒼白にして立ち尽くしている。
 と、その時。
「何をしようとお前の勝手だ。だが、判断材料だけは与えておこう」
 一同が振り返る。
 もしかすると一番に動いたのはヴァレンティーナだったかもしれない。  声を辿り仰ぎ見ると、壁面に巡らされた上段の通路に、男のものと思われる人影があった。
 彼は言う。
「その男、偽者だ」

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