Chapter.4-7
 申し訳程度に焚かれた篝火では、明確にその姿をとらえることは難しい。けれど、一室に響いた声は、
   この耳に届いた声は   
 確かに……
「コンラード、お前」
 見上げる視線に答えるよう、彼は今一度言った。
「中途半端な形で仕事を放り出すことになったからな。置き土産ついでに調べ事をしてきた。探し出すのに少々手間取りはしたが、そいつが証拠だ」
 受け取れ、とばかりに放られたそれは、綺麗な弧を描き、吸い込まれるようにしてヴァレンティーナの手のひらに落ちた。
 水晶玉を思わせる透明な石。けれど、なにやら中で蠢くものがある。石が幻を映しているのか、はたまた本当にそれ自体が存在しているのか   
「ひと……か?」
 目を細めつつ、横から覗き込んだハーゲンが呟く。いぶかしみながらなおも目を凝らし、やがてその表情は驚きに変じた。
 確かに。中のものは紛れも無く人の形をしていた。
 そしてその顔はシルヴィオ・アドルファーティであり、何故か素っ裸。一糸まとわずの、あられもない姿をした彼が、必死の形相で何事かを訴えている。
"ソ イ ツ ニ セ モ ノ !"
 どうやら音は届かないらしい。向こうも承知しているのか、ひと言ひと言をゆっくりと語ることで、口の形をはっきり見せるようにしている。
「ほう」
 読唇を試みたヴァレンティーナから短い声がこぼれた。
 しかし未婚の女性、それも一国の公女が、いかにミニサイズとはいえ全裸の男を凝視しているというのは、あまり褒められた光景ではない。
「しげしげと見られるなっ」
 見かねたデブレティスが制止の声を上げ動くも、それよりも早くのびてきた白い手が、するりと横から石を掠め取った。
 こちらもシルヴィオ・アドルファーティ。
「おやおや。これを見つけ出すとは」
 赤い唇が笑う。
「少し、隠し方が甘かったですかねぇ……それとも、さすがは闇の眷属と申し上げるべきか……父親の血筋を侮りましたか?」
 石の中のシルヴィオは、外にいるシルヴィオを指差し、地団太を踏みながらわめき散らしている。
「揺れておるな」
「姫君!」
「ええい、お前もあのようなものを放って寄越すでないわ!」
 ハーゲンが傍観を決め込んでいるコンラードを仰ぎ、怒鳴り声を発する。
 騒然となった室内。シルヴィオは長い指で、つ……と、玉の表面をなぞったのち、一同の疑問を汲み取るかにして語った。
「まあ、一言で言えば家督を巡ってのお家騒動ですよ。父は兄に、母は弟に、それぞれ情をそそいだ。本人はアドルファーティを継ぎたかったようですが、残念ながら器ではありません。その点は父親のほうに見る目があったということでしょうか」
「そやつ、身内にはめられたのか」
 二人のシルヴィオを交互に視線でとらえた後、ヴァレンティーナは問うた。
「契約がございますので多くはお話できませんが、取り合えず、私がシルヴィオとして婿入りを果たせば、すべてが丸く収まるという成り行きでした」
 穏やかな声で言い、シルヴィオは袋状に仕立てられた衣の袖に、反抗心剥き出しの”シルヴィオ”ごと玉を落とし込んだ。
「さて、どうやらゆっくりとしている時間は無くなったようです。戻ってこれの後始末をせねばなりません。私には私の契約主に対する責任がございますので」
 事が露見したからには、被害を最小限で食い止めなければならない。優雅な仕草でヴァレンティーナに礼をすると、シルヴィオは微笑をたたえたままミニチアーニを振り返った。
「契約とはですね、あなたが思っておられる以上に重大なのですよ。お大臣様」  言葉を詰まらせたミニチアーニが一歩退くと、その間を詰めるようにシルヴィオが足を踏み出す。
「このような状態で、いかにして私へのお支払いを行われるつもりだったのでしょうか? あなたの私財全てを費やしたとしても到底用立てられる額ではございませぬでしょう」
「そ、それは金山をだな……」
「金山は出がらし、埋蔵金は既に譲渡済み、いかがなさいますか?」
「だ、だが……だがしかし、そなたはしくじったではないか!」
 絶対の事実にしがみつくかにして声を荒げるも、相手には動じる気配も無ければ、情に流される素振りも無い。
「お考え違いをなさっては困ります。それはそれ、これはこれ。この期に及んで財源の確保もできていだなど、あまりにもお粗末ではございませんか? 笑止千万。事によっては踏み倒されるおつもりでしたか?」
「違う、違うぞ、ワシは」
「違いません。あなたは私のことをその程度と思っておられたのです。いざとなればどうとでできようとね。いやはや、見下げられたものです」
 笑顔の追求が続き、次第に恐怖を滲ませたミニチアーニが更に後ずさると、無常にもそこは壁。シルヴィオ・アドルファーティが迫った。
「さて、どうなさいます? 私は”選ばれた”のですよ。ここまでは報酬を受け取る権利がございます。そういうお約束でしたでしょう? できぬというなら   
「できぬというなら?」
「できぬのならその対価、あなた様の命で払っていただきましょう」
 有無を言わせぬ声でそれを告げると、ミニチアーニの体は瞬く間に変貌をとげ、シルヴィオが差し出した手のひらの上に、細やかな光の粒子となって吸い寄せられていった。
 テカテカと金色に光る、こぶし大の石がひとつ。それが今の今までガブリエーレ・ミニチアーニであったものの成れの果て   
「いりますか?」
 振り向くや否やシルヴィオは言った。シアメーセに向けられた言葉である。驚きを更なるものにした彼女は、突如の問い掛けに戸惑いを隠せないでいたが、しばしの逡巡の後、おずおずと差し出すようにして指をのばした。
 が……、
「よしましょう」
 それは問いかけたシルヴィオ自身によって遮られた。
「あなたはもう、これから解き放たれるべきです。これより先はご自由に、ご自分の道を探された方が良い」
 琴を爪弾く長い指が石を篝火にかざす。
「少々えげつない光り方をしておりますが、これはこれでそれなりの値がつきましょう」
「売るというのか。金になるのか? そのようなものが」
「世の中には案外この手の派手好みも多いのですよ。捌くのにはそう苦労することもないでしょう。多少なりとも元は取らねば……ねぇ」
 ヴァレンティーナに向き直ると、彼はたおやかに笑った。
「そなた、死の商人か」
「さあ……このようにして人の命を扱うこともございますから、そのような名で呼ばれる場合もあるのでしょうが……」
 それとなく匂わすにとどめ、
「ですが、あえて否定はいたしませぬ。いかようにでもお取り下されば結構」
 彼は核心を語ることなく話を結んだ。
「それではこれにて」
 シルヴィオが右腕をふると、その動きに合わせたかのように闇が動いた。ぐるりと円を描き、出る文様。
「皆様方、ご機嫌よろしゅう」
 と、声が聞こえた時、すでにその姿は無かった。ただ、不自然に歪む空間の紋様のみが残り、やがてはそれも薄れ、見えなくなってしまった。
「何であったのか、いったい……」
 放心覚めやらぬままにデブレティスが問うと、同じく呆気に取られたままのハーゲンが、
「さあ……」
 と短く返した。
 ヴァレンティーナもまた、しばしの間シルヴィオが消えた宙を見つめていたが、おもむろに振り返ると、なにやら思わせぶりに口の端を上げた。
「どうやら、そなたの筋書き通りに事が運んだようだな」
 誰もがその視線の向けられた先を追う。
「いえ、一概にそうとは言えません。予想外のことも多くは起りました」
 答えたのはバルダサーレ。
「だが、横槍を入れて来なかったところを見ると、そちらの目論みは叶ったのであろう? 既に報せはあったか?」
「はい。じきにこちらでも一報を受けられるかと思いますが」
 一度言葉を止め、そしてヴァレンティーナを見据える。
 彼は、薄く笑みを浮かべると言った。

「兄が、王位につきます」

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