Chapter.4-8
「兄が、王位につきます」
「そうか」
 ヴァレンティーナは事も無げに頷く。
「王位?」
 かわって疑問を口にしたのはハーゲン。デブレティスはそれとなくあたりを見回し、少なくともステファーノとエミーリオの二人が、今回の件にあらかじめ関わっていたであろうことを察した。
 コンラードは……わからない。彼はただひとり、あたかも一連の出来事の観客であるか如くに、ただ高みから見下ろしているばかりだ。
「王位。王位ですと? それは聞き捨てなりませぬな。ディオニージの公子が王位とはこれいかに。姫君、いったい何が起きているのかをご説明いただけませぬか」
 ディオニージは公国である。ゆえに元首は大公であり、バルダサーレも、また件の兄も公子に他ならない。公国は数あれど、彼らが王として戴くのは、中央を統べるパルバルディア王唯ひとりである。疑問に思う事は必至。
「そういえば、何故ディオニージを騙ったのか、まだその理由を聞かせてもらっていなかったな」
 一同の驚きを視界の端にとらえ、ヴァレンティーナは問うた。
「祖母の祖国にございますれば。全くの無縁というわけではありません。バルダサーレも実在しております」
「なんと……」
 短く言い息を飲んだのは誰であったか。
「ドナドナを泣かせたのもそなたであろう? 狙ったたこととはいえ上等」
 事実、あれが引き金となったのだ。儀式は混迷を極め、花婿候補は正体を暴かれて逃亡。加えて、あえて日蝕の日を選んだのもまた彼。ヴァレンティーナはそれらを承知の上で策略に加担した。
 すべては彼が描いたシナリオの通りに進んだ。
「これでご満足か? パルバルディア王国、第二王子、バルトロメオ殿」

   パルバルディア王国、第二王子、バルトロメオ殿   


 共謀がいつからであったかといえば、そう遡っての話ではない。
「私を選んでいただきたく思います。姫君」
 会見を申し入れてきた男は、不敵な笑みを浮べると共に告げた。エミーリオは戸惑いをあらわにして次期女大公の横顔をうかがう。
 長い睫毛が揺れ、青い双眸を覆い隠した。しばし思案するかにして、ヴァレンティーナは答えた。
「残念ながら、そなたでは爺共が納得せぬであろう」
 配偶者の選出   一進一退を繰り返す、このロレンシア公国最優先課題について、重臣たちに会談を求められたのはつい今し方のことだ。けれど、いずれ彼らが口にのぼらせるであろう者の名前は、今目の前にいる男とは違う者の名であると思われた。
「ご自身のお心もそこにあると申されますか」
「だとしたらどうする?」
「これは意外。あなたともあろうお方が……ここへ来て臆されましたか。片腕の君を失くされましたこと、相当に堪えておられるご様子」
 大仰な手振りを添え、揶揄するかの声が飛んだ。
「急激な変化は望まぬ」
 ヴァレンティーナはなおも気乗りせぬせぬふうで言った。
「敵はこちらの都合など考えてくれませぬでしょう」
 それがわからないはずもないであろうに何故か? バルダサーレは言外に問うた。
   オクタヴィアン王は必ず動く   
「商家としてのアドルファーティに期待されてのこととお見受けいたします。貿易面から彼の国に牽制をかけるられるおつもりか」
「戦になることだけは避けねばならぬ。私には統治経験が無く、残念ながら我が国も一枚岩ではない」
 疲弊は瓦解を招く。金の枯渇がそれに拍車をかけることになるだろう。ロレンシアの未来はあまりにも危うく、故に為政者たる者慎重に事を構えなければならない。
「お気持ちは御察し致します」
 ですが……
 バルダサーレはかぶりを振った。
「何故か」
 ヴァレンティーナは眉をひそめ問うた。
 アドルファーティと共に東国との交易を進める。イスクィアの滅亡時に失われた、レント山脈にあったとされる古の街道を復活させることができれば、これまでのように命懸けで魔物たちの巣くう禁断の領域を行くこともなくなる。それは長らく混迷の中にあった隣国コーラールをも取り込み、大陸に新たなる風を呼び込むことになるだろう。貿易の要所として栄えること、それが金山を失ったロレンシア再興への道でもある。
 無論、わずかな年月でやり遂せる事柄ではない。もしかすると、ヴァレンティーナの治世は全てをそれにかけることになるやもしれない。しかしほかに選択肢がないのであれば、なんとしてでもやり遂げなければならない。
「相手があの者でさえなければ、あなた様の策は最善と言えましょう」
 低く否定的な声が、唯一にして致命的な欠陥を指摘するかにして告げた。
「あなたはあの男、オクタヴィアン・ド・クリスタンヴァルを甘く見ておられる。あの者に理など通じるはずがありません。あれは、戦いこそを天命とする者。戦場に生き、戦場に散る。たとえそこに破滅が待ち構えていようともです。戦わずしてはいられない――コーラールの平定後は当然のこと他国へと手をのばすでしょうし、滅ぼすべく国が目の前にあれば、国民を貧困に叩き落してでも仕掛けてくるでしょう」
 まるで我がことのごとく語るバルダサーレに、ヴァレンティーナは薄く笑みを返した。
「男とは厄介なものだな」
 どこか似通った気性を持つ者同士。内心わからないではないが、あえて踏み止まろうとするのは自分が女だからだろうか。それとも、亡き父によって重い足枷をつけられてしまったからだろうか。
「どうしても私の願いお聞き届けいただけないとあれば、已むを得ません、あなたを廃嫡にすることになりましょうが、それでもよろしいか」
 廃嫡とは、これまた穏やかでない。けれど、
「それができる立場におられるということか」
「そう思っていただければ」
 結構……男は頷いて見せた。
「ロレンシアが落ちたとすれば次はフィオーレ、そしてパタータ。彼奴は着実に攻め入って来るでしょう。故にここが要所なのです。敵はなんとしてでもこの地で押し留めなければならない」
 兵力を強化し、国境の要として在らねばならぬ。ロレンシアが生き残る道は、ただその一点であると説く。だが、どれだけの者がそれを現実として理解するだろう。この国は長きに渡り平穏でありすぎた。
「いざ危機至れば国を売って私腹を肥やさんとする者も出よう。そなた、それをどう捌くつもりか。道は容易ではないぞ」
「元より承知。その為に私はいるのです」
 ここに。
 そう、すでにこの国に……
「もう事は動き始めているのですよ。おわかりでしょう? 姫君」
「勝手なことを言われる」
 苦笑すると共に言った。
 どこか諦念さえ滲ませた、彼女には相応しくない憂い   つい今し方まであったはずのそれが、いつの間にかヴァレンティーナの横顔から消えているのをエミーリオは見る。
「よい。好きにされよ。廃嫡などちらつかされては、こちらに拒む権利はない。そうであろう? そなたの手腕、しかと見せていただくことにしよう」
 ピシャリ。折りたたまれた扇子が、音を立てて彼女の手のひらを打った。

 運命が動く。
 今、ロレンシアを乗せて。
 大きく、激しく。
 未来はまだ、誰の目にも定まらぬまま……

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