Chapter.4-9
「お父上はいかがなされた。よもや討ってしまわれたわけではあるまい」
「ええ。勿論。穏便に退位していただきましたよ」
「穏便にな」
 この場合何を指して穏便と言うのか。さすがに苦笑を禁じえない。お互いが言葉に含みを持たせ、それとなく様子を伺う。
 パルバルディアのクーデターは第一幕を終え、早くも次のステージに移ろうとしている。時を同じくしてロレンシアに起きた一連の騒動が、中央のそれと対を成す出来事であったと人々が知るには、この先まだいくらかの時間を必要とする。
 巷の戯れ歌にまで「王の器にあらず」などと嘆かれた先代のパルバルディア王ではあるが、案外にしてその息子たちの評価は低くない。このタイミングで事を起こしたことにしてもそうだ。相手が   オクタヴィアンが動いてからでは遅いのだ。それまでにはどうあっても指導者としての足固めをしておかなければならない。国を動かすなど、付け焼刃で成せる事柄ではないのだから。
 無論、全てが彼による策略とは思わない。ブレインなる者も背後には控えていることだろう。だがしかし、自分が逆の立場にいたとすれば、同じ選択をしていたのではないだろうか。できる立場にいたのだとすれば、おそらく……束の間の瞑目を解いて、ヴァレンティーナは問うた。
「ご自身が王の座につこうとは思われなんだか」
「それは兄の務めにございますれば」
「そうか」
 栄誉は兄の手に。自らはこの辺境の地で泥にまみれるという。
 ふん、と軽く鼻を鳴らし、今一度目の前にいる男の真価を量るかのようにその顔を見上げた。
「つまり、これら全てお二人の共謀であったと?」
 戸惑いをあらわに、デブレティスが問うた。
「仕上げの部分はな」
 さり気なく視線を向けた先にはステファーノの姿が見える。バルトロメオの行動は迅速であり、かつ正確。花婿選びの裏側で行われていたであろう一連の出来事は、当然のことロレンシアの内情に詳しい者の手引き無くしては有り得ない。  だがしかし、それを裏切りとは思わない。病魔に倒れ、難局の最中、ひとり一線より退かなければなければならなかった彼であるが故に、ステファーノはステファーノなりにロレンシアの未来を案じていたのだろう。
 すべては己が非力によって招かれたこと   ただそれだけのことだ。ヴァレンティーナは密かにそう思った。
「この先ひと波乱あるであろうことは予期しておりましたが、よもやこれほどの事態に陥ろうとは」
 うならずにはいられないハーゲンが、巨漢に似合わない小さな手を顎の髭に這わせた。
 ロレンシアに吹き起こった風は、いったいいずこへとこの国を導こうというのか。誰一人としてそれを知る者はおらず、各々が不安を胸に、今まさに互いの未来を取り結ばんとしている二人のことを見つめている。
「それでは姫君、お約束にございます」
「そうであったな」
 見事この策略が成功した暁には彼、バルトロメオをパートナーとして選び取るということ。
 差し出された手のひらへむけ、ヴァレンティーナの白い指先が伸びる。
 と、その時……
「申し訳ありません、どうやらひとつ忘れ物をしてしまったようで」
 突然、場違いに明るい声が響いたかと思うと、空宙に不自然な形で切れ目が生じ、それが壁にかかる布か何かのように、力なくぺたんとめくれ落ちた。 「この際です。これもお渡ししておきましょう。何、礼には及びませぬよ
。たんなる”腹いせ”ですから」
 シルヴィオ・アドルファーティ   彼はにこやかに言い、ヴァレンティーナに一枚の紙を手渡すと、切れ目をしゅるりとめくり上げ、再度何事も無かったかのように消えて失せた。
 一同、突然の出来事に言葉なく立ち尽くしていたが、やがて、ただひとつそれが現実であったことを語る、ヴァレンティーナの持つ生成りの紙に視線を集めた。彼女もまた、皆の意思を汲んだのだろう、すぐさま開いて見ると、しばし無言で読み進めた。
 随分時間がかかっているように思うのは、手元を照らす明かりだけでは文字を追うのに不十分だからだろうか。けれどそれは彼女の眉に浮かんだ怪訝なる色を、薄闇にしかと映し出していた。
「なんと……」
 こぼしたのはハーゲン。業を煮やし後ろから盗み見ていた彼は、一連の文字を読み取るや否や驚きの声を上げた。
 ヴァレンティーナは深いため息をつき、手中の紙をバルトロメオに放った。彼もまたその核心に顔色を変え、目の前に佇む公女の横顔を見つめた。
 バルトロメオより受け継ぎ、エミーリオと共にそれ読んでいたデブレティスは、今一度確かめるように書面とヴァレンティーナを見比べ、そして未だ信じられぬといった口ぶりで低く言った。
「魔物の……心臓……?」
 紙にはかつてヴァレンティーナが施されたらしい治療の仔細が事細かに書き連ねてある。結びとしてそれらを了承する前大公の署名もあった。どの処置がどれだけであるとか、どの薬がどれだけの値であるかなど、言わば費用を精算するための決済書類なのだが、その項目の下から二段目、あまりにもしれっと書かれていたため思わず見過ごしてしまいそうなさりげなさで、
   魔物の心臓。及びそれの移植に伴う諸経費   
 と、その記載はしかとある。
「移植とは何か、姫の体には魔物の心臓が植えつけられているというのか」
 治療法としては聞かぬ話ではない。魔物たちの用いる医術では、失った手足を他者の部位で補うことも行われている。だが、そうした場合多くの者は、融合と呼ばれる症状を引き起こしてしまう。
   魔物の手を得た者は、その感覚の鋭さに驚きの声を上げるだろう。また、魔物の目を得た者は、そこに見える世界に言葉無く立ち尽くすことになるだろう。  混ざり合うのだ。人と魔が。
 無論、それ自体はかまわない。混血なども存在を許されている。ただ、人としての限度を超えない限りは……その注釈は常に付きまとう。
「心臓など取り替えていたとすれば、そんなもの魔物の血の方が濃くなってしまうのではないか」
 ハーゲンが言うと、皆は一斉にヴァレンティーナを見た。
 すぐにということはない。けれど、交じり合い、馴染み合い、それは確実に人としての分かれ目を踏み越えて行く。
「随分と丈夫になられた。心臓の件、本当だとすればそう遠くないうちに姫の目は、」
 言い切らぬうちにキラリ。
 薄明かりに佇む公女の目が青と白に煌いた。
「ひっ」
 数人が息を飲み、訪れた沈黙をヴァレンティーナの甲高い笑い声が引き裂く。 「父上は、それでもこの私に生きて欲しいと思われたか」
 たとえ、我が娘が魔性に身を落とすことになったとしても……
 たとえ……
 それ、ひとえに父の愛。
「流石にこれは問題であろうな」
「そうですねぇ……人の身を超えるものをお持ちであるとわかってしまった以上は……」
 婚約どころの騒ぎではない。爵位の継承すら危うい、これはそういった類の事柄に属する。ここが人の世界である以上、人外の血が濃い者を人の上に置くわけにはいかない。王家に連なる者としては如何ともしがたい選択である。ゆえに――
「残念です。非常に……」
 困り顔のバルトロメオが力なく肩を落とした。
 静かに目を伏せたヴァレンティーナは、わずかな瞑目の後、再度その瞼を開いた。
「ならば此度の縁談、全て壊れた」
 言って、振り向く。
「この責任はお前が取れ。よいな、コンラード」
   貰い手のいなくなった魔性過多の公女を引き受けるように   
 二階からひとり、観客のごとく見下ろしていたコンラードは、突然の名指しにいくらか驚いた様子を見せたものの、苦笑いを浮かべると共に短く答えた。
「承知」


 そして公女ヴァレンティーナは歴史の表舞台から姿を消す。
 ロレンシアはバルトロメオが継いだ。公国の、そして兄王が統べるパルバルディアの発展に尽くし、生涯をオクタヴィアン王との攻防に捧げた。
 三たびに渡りふたりが刃を交えることになったラミュドナの戦い、それはいずれも名勝負の誉れ高く、バルトロメオ・パルバルド=ロレンシアの名を、英雄譚の主役として広く後世にまで伝えるに至った。
 ヴァレンティーナ・ロヴィアーノ=ロレンシア。彼女のその後を知ろうとする時、残念ながら正史が多くを語ることはない。民間の伝承に、バルトロメオが窮地に立たされた時奇策を授けたとされる女参謀の登場はあったが、それが彼女だったのかどうか。これもまた定かではない。真実はただ、歴史の裏側に潜むのみ……

 世界中を巡り「千を知る」とまで謳われた賢女と、時折彼女の元を訪れ、夜が更けるのも忘れ語り合ったとされる大公。
 戦場でのこと、そして懐かしき宮中の人々の思い出。連れ合いを傍らに黒髪の賢女が双眸を細め微笑む。魔性の証がこぼれんばかりに煌き、それを見た大公は、まるで手に入れ損ねた宝石を惜しむかのように、少し寂しげな笑みを口元に浮かべるのだった。
 
 語り部が結び、最後の一弦を指先が爪弾く。
 大公姫、ヴァレンティーナの結婚。婚約は破談、そして……
 わずかな余韻を残し、物語は幕を閉じる。



Chapter.4 END


~ロヴィアーノ=ロレンシアへの招待~ END

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