Chapter.2-2
 雨が降る……
「鬱陶しいな」
「東側の空が明るい。昼ごろには上がるだろう」
 執務室にて書類の決裁をしているヴァレンティーナ及び補佐役のコンラード。婿選びに時間を取られるため通常業務が押しているわけだが、男にウツツを抜かし仕事を疎かにしたと言われてはヴァレンティーナの女が廃る。
そもそも書類に目を通すのは嫌いではない。まだ体の自由がきかなかった頃、こういったものを見ることで外の世界に思いを馳せていた。何が起こり、何がどう終わるのか。人々の思いをなぞることで、人々の暮らしを思い巡らす。それは以外に面白くもあり、幼い好奇心を満たすのに一役買ってくれた。
「この話、またか」
 一枚の書類を手にしたヴァレンティーナが、頬杖をつき怪訝そうな表情を浮かべる。
「どの話だ?」
 コンラードの問いに、
「行方不明者が増えてきているという、あれだ」
 そう答える。
 一見したところ何の変哲も無い家出人捜索願なのだが、こうも続くと何やらおかしなことが起きているような気がして来る。
「本当に、偶然か?」
「気になるなら少し調べさせよう」
「頼む。ハーゲンの奴は特に問題視していないようだが……一寸な」
 気になる。唯の勘でしかなかったが、何故か……
そういうことは時としてあるし、後に振り返った折、分岐点となるのはそこで何かしたかしなかったかであったりもする。
「まあ、一国の外相が忽然と姿を消してしまうような国だったりするがな」
「そうだな」
 外務大臣、ミニチアーニ。この時絶賛地下通路を彷徨中。見つけ出してほしいのは山々だが、下手な奴に見つかると後が厄介なので自力での脱出を模索していた。
「午後からは、客人たちの相手をせねばならぬが、お前も来るか? コンラード」
「いや、俺は出かけなくてはいけない用がある。エミーリオを残しておくから、何かあればあれを使うように」
「わかった。ならば、そうすることにしよう」
 雨は、少しずつ小降りになる気配を見せていた。


「遠乗り?」
「ええ。姫君にロレンシアのことをご説明願えないかと思います。是非ともご一緒させていただきたく」
 突然そんな話を持ち掛けてきたのは、ディオニージの公子、バルダサーレ。午後に催した茶会の席でのことだが、三日ほど降り続いた雨もようやく上がり、翌日は久しぶりに晴天が見られるだろうと思われていた。
「よかろう。エミーリオ、明日の予定を調整しておくように」
「はい。承りましてございます」
 同席していた大臣たち(行方不明のミニチアーニを除く)に顔を向けると、二人とも異存は無いと頷いて返した。
「さすが色男。真っ先に動きましたな」
「慣れておるのだろうよ。あの顔だ、黙っていても女の方から寄って来よう。ただ、今回は相手がヴァレンティーナだからして……さて」
「では、お手並み拝見と行きましょうか」
 秘宝探索から戻った男たちは、長旅の疲れを労う為丁重にもてなされていたが、そろそろ誰かが動かなければ話は進まない。ヴァレンティーナが新たな難題を吹っ掛けるのではと危惧する声もあったため、心象を良くしておくことは彼らにとっても急務だったと思われる。
「しかし、よりにもよって遠駆けとは……ワシなら正直言って遠慮したいところだなぁ」
 じゃじゃ馬ならぬ、暴れ馬の如きヴァレンティーナ。その馬の扱い方もまた豪快と言うに相応しい。いや、そこいらの豪快など裸足で逃げ出すほどの豪快ぶり。
「姫について行くなど、フリーゼリの倅並の腕でもなければ無ければ無理でしょうよ」
「コンラードか? コンラードは特別であろう、あの者は……」
 そこまで言ってハーゲンは、はっとして表情を強張らせた。デブレティスは苦笑気味にし、
「今更気にはしておらんよ」
 軽く告げると、残りの紅茶をひと息に飲み干した。


 そして翌日。ヴァレンティーナと共に城を出たのは、話を持ち掛けたバルダサーレと中央パルバルディアの聖騎士ルッジェーロ。残りの候補三人は、方や自主的に、方や周囲の者に言い含められ同行を辞退した。
「とてもではありませんが、我らの馬さばきでは足手まといになりましょう。姫君におかれましては、気持ちよく遠駆けを楽しんできていただきたく思います故……」
 それが懸命な判断だったと思い知らされるのは、ほどなくしてヴァレンティーナに従ったはずのルッジェーロが、よれよれになり戻ってきたのを見た時である。
 這う這うの体と言ったルッジェーロの前にデブレティスが立つ。項垂れる大男を前にして、彼の胸あたりまでしか背の無い矮躯の小男はやさしく言った。
「あなたの名誉のためにも言っておきましょうか。決して、あなたの腕が悪かったわけでも、あなたの馬が悪かったわけでもないのでしょう。ただ、相手が《 バケモノ 》だっただけのことです。努々気を落としたりなされませぬよう……」


 よく晴れた秋空の元、まるで砲弾かと思われる駿馬が二頭連なって駆けて行く様が見えた。少し遅れて続くのは、国内の精鋭を集め編まれた騎馬隊である。
「姫様だ」
「姫様じゃな」
 後に四里離れた場所からでもわかった、とまで言われたヴァレンティーナの馬さばきである。流石にそれは誇張だったが、通常一時を必要とする距離なら半時で駆けただろうと思われる。
 疾風の如く駆け、疾風の如く去る。遥か向こうに砂煙を見送った農民の親子は、再び何事も無かったかのように自らの仕事へと戻っていった。



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