冬の金魚1


 思考の焦点が定まるまでに数十秒      
 早智はゆっくりと寝返りを打つと、壁にかけてある黒い時計に視線を向けた。文字盤の上を銀色の秒針がなめらかに滑っている。
 十二時二十分。いい加減に起きなくては……
 やわらかな枕はどこまでも甘美で、再び眠りの渦に引き込もうとするが、流石にそれはまずいだろう、となけなしの理性が抵抗を試みる。
 部屋が暖かいのは暖房がきいているからだ。冷たい空気の中に起き出すのが億劫で、三十分ほど前に自分で入れたのだった。そのまま布団に潜り込み、うつろうつろしながら浅い眠りと戯れていた。
 夢を、見ていたような気がする       
 部屋にいるのは早智ひとりきりで、颯斗の気配は感じられない。しつこく起こされたのは覚えているが、その後どうなったかの記憶は定かではなかった。おそらく先に出かけたのだろう、と横にたたまれた布団の山を見ながら早智は思った。
「まったく。せっかちなんだから……」
 一人ごちて、両腕を伸ばした。行き先はわかっている。じっとしていられなかったというのも、颯斗の性分を知る早智は充分に理解している。
 ただ、急いだところでどうなるものでもない。時間をかけて説得する必要があるとか、そういった類いの事柄ではないのだ。
 決まるのなら一瞬だろう。早智はそう思った。選ぶか選ばないか、きっと夏はもうそこにまで来ている。自分たちと来るか、彼女たちと残るか、このままどっち付かずの状態でいるわけにはいかないのだ。
 夏は、水を求めている……
 早智は起き上がるとカーテンを引いた。高台からは灰色の空に沈む街が一望できる。公園の先にあるのが陸橋。ならばあの辺りが夏の言っていた旧市街か。整然と築かれた新市街とは違い、旧市街を走る道は随分と入り組んでいるように見える。さてはて、颯斗は無事にたどり着くことができたのかどうか。
 だいたい、どうしてそんなに元気なのか。一度問い質してみたい衝動にかられるのだが、下手につつくと話がややこしくなりそうでやめる。昨日は始発の特急に乗るために三時起きだったというのに。寝足りない分を電車に乗ってから補おうとする目論みは、常にハイテンションを維持する颯斗のマシンガントークによりことごとく妨害される始末。
 まったく……
 早智が吐息すると、まるでそれに合わせるかのように水槽の金魚が水音をたてた。
 パシャリ。
 殺風景な部屋にそこだけが色あざやか。水槽の中を朱色の金魚が一匹、悠々と泳いでいる。
 そうか、おまえがいたせいか。
 だから、あんな夢を見たんだ……
 おぼろだった記憶が少しずつ形を結ぶ。青色の空を真紅の魚が、優美に鰭を動かしながらくるり、くるり、と泳いでいる。勝手気まま、自由気ままに空をゆくそれは、少しずつ形を変え、気付いた時には女の姿へと変化していた。
 白い面差しの女。揺れる黒髪の隙間から、かすかに笑む口元が見えた。
     母さん?    

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