目覚めよと呼ぶ声あり [ 


 大司教様の<玩具>――それはここハイドランドの<結界>と同じく<異星人>の置き土産であり、正確には<ソダイゴミ>と呼ばれているものらしい。元を辿れば<キカイ文明>なるものの残骸で、大司教様の元にあった繭玉を巨大化させたような入れ物も、<キカイ>であり、また<ソウチ>とされている物体であるらしかった。
 魔力とは力の根源を異とするもの。そのほとんどはハイドランド領域にあるシンカの森に埋もれているのだが、まれに他国の地中からも掘り出されることがあった。

――へぇ、鍬打ち込んだらカツンと当たりましてぇ――

 掘り起こされたものの研究は各国でも行われている。ただしいずれも進捗は果果しくなく、どこもこれに関しては五十歩百歩が関の山のようだ。
 そもそもハイドランドは、その膨大な埋蔵物の中からたまたま完全体を入手することできたのであって、ほとんどのものは破損が大きく、また元が何をするものであったのかすらわからない状態であることの方が多かったのだから。
 イサは基本<キカイ文明>との関わりに消極的だったが、大司教様はどこからともなくそのガラクタにしか見えない物体を手に入れてきて、暇さえあればいじくりまわしておられた。
 俗に<男の浪漫>と呼ぶらしいのだが、残念ながら私の理解が及ぶところではない。

 耳障りな声が問う。
『何処へ向かいますか?』
 何処へ行こうか。
 ここで留まれば命を落とすこと確実。
 国と共に滅び去るか。
 自由を下さったお二人も、たとえ私が少し遅れて着いて行ったとしても、お怒りになるようなことはないだろう。困ったものだと笑いかけて、優しく手を差しのべて下さるのだろう。
 してその向こう側には、先に行った懐かしい人たちの顔が並んでいて……
『何処へ向かいますか?』
 けれど、私は死ねなかったんだな。
 皇太后陛下の柔らかな手に頬を包まれて諭された。
”パメラ、未だ真に生きることの喜びを知らないであろうそなたを道連れにするのは心苦しい。私達はそなたにこのイサが堕ちてゆく姿しか見せてやることができなかった。けれど、世界は多種多様、多彩な顔を持つのです。運命は残酷であるとともに甘美な一面も持ち合わせている。だから生きなさい。命ある喜びを噛みしめるためにも。そなたが生まれてきた喜び、それを本当の意味で知ることができる日のためにも――”
『何処へ向かいますか?』
 多くの人たちが命を落としたというのに。その中にどれだけの数、知った人々の顔があったかを知らないはずもないというのに。
『何処へ向かいますか?』
 それなのに私は、目の前にある甘い誘惑から逃れることができなかった。
 最後の最後になって、
「魔導の無い国へ」
 まだ、もう少しの間、生きていたいと思ってしまったから……

 だけど……
 だけど、言った後に散々後悔した!
 そもそもこれって、試運転はおろか、修繕完了もまだだったわけでしょう?!
 いつか向こうの世界でお会いしたら、絶対に聞いてみようと思う。
――司祭様、本当に助けて下さる気はお有りだったのですか?!――
 そして、突如として三半規管の限界に挑戦させられることになった私は、いつ消し飛んでも不思議ではない混濁した意識の中、見知らぬ森の中に放り出された。
 その後、彷徨い歩くこと三日ないし四日……
「なんだ。煤け具合からしてディアゴの新種か何かと思ったら。女の子じゃないか」
 どうやら狩りに来ておられたらしい殿下。
 折角助かった命、あわや狩られる寸前だったっていうのがね、もう……


「位置的にはこの上あたりかしらね……と」
 夜更けになる頃を待って手近な階段を上がった。あまり使われた形跡が無いところを見ると、有事の際に用いられる脱出経路なのかもしれない。
 顔を出したらいきなり大広間でした、なんていうのは御免なので、どこか奥まったところであることを祈りつつ、古い扉に手をかける。
「開かないか」
 そりゃあ開いていたらかえって不自然だろう……少量の火薬で鍵を粉砕。中に空き時間で調合しておいた睡眠誘導剤を投げ込みしばらく待ってみる。
 私の夢は町の薬屋さんになることなんだけど、なんだか遠いところに来てしまったようなきがするなぁ……
 まあ、今回の一件が片付いたらまた身の振り方を考えようと、今度こそその扉の中に体を滑り込ませた。
「霊廟……」
 地上に出るにしてはいささか高さが足りないとも思っていたが。
「なるほどね。霊廟の奥に脱出通路。想像の範囲内と言えば範囲内かな」
 そして<あれ>がある場所としても、霊廟は充分に考えられることだった。
 この国の中にただふたつだけある……ひとつは暁の搭に、そしてもうひとつは王城のどこかに。
 ただし、王城のものは完全体ではないという話を聞いた。どの程度のものかは実際に見てみないとわからないのだけど、私を空中に放り投げてくれたあのとんでもない<キカイ>に比べたらまだ手の施しようがあるだろう。
「ああ、これは不完全っていうより、わざと壊してあるわけね。あらかじめ一方通行での移動しかできないように」
 霊廟の床一面に描かれた図形を見ながらひとり呟く。これがなんなのかを知る人が、この国の中にあとどれだけ残っているだろうか? 
 ここにあるのは<転位>の魔方陣。移動が短距離なら魔導師自身の力で行うことも可能なのだけれど、国を越えるほどの<大転位>になるとそうはいかない。魔方陣には、あらかじめそれ相応の魔力が蓄えられている。尚且つ、これはその構造上から<結界>の影響を受けることがなかった。ここで転位魔法を行えば、空間を越え、はるか遠方へと跳ぶことができる。
 ハイドランドが魔力を捨てて早五十余年。それは彼らの選択であり、私は賛同こそすれ否定するつもりはない。私自身、過去の自分と共に捨て去ろうとしたものなのだから。
 イサを焼いた劫火。魔力の何たるかを知り尽くした者たちですら、行き着いた結末はああであったのだ。
 魔力は人を幸せになどしない。
 ハイドランドは、身に余る力など持たずとも人は生きてゆけるのだということを証明しているではないか。
 けれど。
 ただ一度だけでよかったはず。
 その人の願いを叶えるためには、ただ一度だけ。
 一度だけ……
 どうして否定するしか、拒絶することしかできなかったのだろう?  少なくともあの時、私が彼の望みを聞き入れていたなら、おそらくこの結末は違っていたはずなのに。
 私にはできたはずなのに……
「殿下」
 霊廟の中央に置かれているのは、新しい主を得たばかりの棺。わずかな灯りと共に、一国の王子のものとしてはあまりにも質素なそれがひっそりとあった。
 納棺の儀式を終えていないのか、未だ閉じられないままでいる棺を覗き見ると、色を無くした顔には苦悶の影ひとつ差していない。まるで眠りの淵を漂っているようだとさえ思った。彼が含んだ毒は、その最期に苦しみを齎さなかったのだろうか。
「行きましょうか、殿下」
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
 守ってあげられなくて、ごめんなさい。
 私にはあなたを救うことができたはずなのに。
 この私ですらあの瞬間、死にたくはないと思ったのだから。
 だから、殿下だってきっと……
 さぞ、ご無念だったことだろうと思います。
 すべて終わったら一度だけ泣こう。
 あなたを救えなかった私に、一度だけ涙することをお許し下さい……
「久しぶりの魔法ですから、失敗しちゃっても許して下さいね」
 けれど呪文は、そこに時の隔たりなどなかったかのように、なめらかに舌先を滑った。
 杖が無い分若干力の制御は難しくなるが、その程度のこと、お前には何の問題もないだろう?
 イサの魔導師、パメラ=ベルタルダロード。




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