目覚めよと呼ぶ声あり Z 


――― 殿下はお亡くなりになられた。
 ご自分の無実を主張し、毒をあおられた ―――


“へえ……すごいな。人間の胃ってこんなにたくさんの食べ物が入るんだ。……え? 気にすることはないよ。単純に驚いているだけだから。ここは私の離宮で、私はどちらかというと小食な性質なものでね。料理人たちも暇を持て余していたんじゃないかな? だから気にせず食べるといい。彼らも久しぶりに腕をふるえて喜んでいるだろうと思うから……”

 気がついたら森の中にいた。ちなみに殿下の第一声は以下の通りだったりする。
「煤け具合からして、ディアゴの新種か何かと思ったら。なんだ、女の子じゃないか」
 成り行き上不法入国者になっていた私と、避暑のため離宮を訪れていた殿下との馴れ初めは、まあそんな感じで……
(補足として付け加えると、ディアゴというのは猪豚の一種で灰色斑の模様をしている。曲がりなりにも“太っている”とか、そんなふうに言われたことは一度もないので、その時着ていた衣装のせいだと思われる。念のため)
 拾ってもらって、食べさせてもらって、住むところの手配や仕事の心配までしてもらって、これで恩を感じてないなんて言ったら、私は立派な人でなしだろう。
 恩は……そりゃあ、感じていましたよ。充分過ぎるほどにね。でも、実際に私がしてしまったことと言えば、人でなし以下の行いだったわけで……

「ナディア=ダイダリエ……ああ、連絡は受けている。通ってもいいぞ」
 門番の男は手持ちの資料に間違いが無いかを確認する。
 落ち着いたら帰るように言われ、しばらくの間あの飾り気のない取調べ室で放心していた。
 悪い夢だ、全て。
 悪夢は、それと判れば覚めるのを待つだけ。いつか終わると頭の片隅ではわかっている からどこか冷静でいられる。
 でも、これはどうして?
 こんなことが本当のはずないのに、どうして―――? 
 もう長いこと目を覚ます切欠をつかめないでいる。
 嘘だ―――最悪の事態になるかもしれないことは気付いていたはずだろう? 可能性として排除できないことぐらいわかっていたはず。
 悪夢ではない……
 これは本当に起きてしまったことなのだ……

「何があったかは知らんが……気持ちの整理がつくまでは大変だろうな」
「ああいう肩の落とし方はなぁ……」
 私の後姿を見送りつつ、門番ふたりが言葉をかわしている。
「見ている方も辛くなるってものよ、譲ちゃん」
 ごめんなさい、おじ様たち。それ、幻覚剤による視覚操作なんです。私が項垂れて歩き去るように見えてますか? だったら成功です! 
 本当は後ろ側に潜んでいるわけだが。
 とりあえずわかっているのは、私が呆けていたところで何かが変るわけではないということ。
 だったら動け。
 幸いまだひとつだけできることがあった。
 失われた命を取り戻すことはできないのだけど、でも……

 手頃な兵士に催眠剤を嗅いでもらい地下水路への侵入経路を聞き出す。大っぴらに王宮を歩き回るのは無理だから、とりあえず地下から探りを入れてみることにした。
 過去に潜伏の経験があってよかったね、私。まあ、うちは女の子でも平気で戦場に投入するような家だったから……
 水路脇の小道を伝い、“それ”の在り処を探るために行く。
「わからないはずがないとは思っていたけど……やっぱり、そんなものなのかなぁ」
 近づくにつれ、何かに肌を撫でられているような感覚があった。慣れ親しんだとでも言おうか、複雑に絡まりあった感情、その多くは拒絶であるにも関わらず、奥底では懐かしさなんてものまで蠢いている。
 捨てたつもりでいたのに。忘れようとしてできるものではないと、そういうことなのだろうか。次第に匂いさえわかるような気がしてくるから不思議だ。

この先に魔力が存在している ―――


 天を讃えるために築かれた搭の中で、空を焦がし、国を焼き尽くそうとする紅蓮の炎を見た。
“お前までが従うことはない。ベルタルダロード”
“ですが、大司教様!”
“我らは我らの罪故に滅びゆくのだ”
 イサの終焉。
 最古の帝国が終わろうとする日の記憶―――王都の終わりは炎の赤とまるで熱に浮かされたような風にまみれていた。宮殿はすでに跡形も無く、簒奪を企てた者たちもまた、この世のものではなくなっている。
 何のための、誰のための諍いであったのか、もうそれすらもわからなくなってしまった。
“争いの行く末を、それと知りながら止められなかったのです。この結末も致し方無いことでしょう”
 透きとおる声は、アンブローシェ皇太后陛下。最古の帝国の最古の家系の血を引き、そしてその最後の生き残りである女性は、やわらかなセルリアンブルーの瞳に穏やかな諦念を浮かべておられる。
“我らイサを大国として育んだ力、魔力が、それによって生み出された炎がイサを焼くか。魔導大国の名を欲しいが儘にしたイサが、魔導の炎によって滅び去るというのか!”
 大司教様ご自慢の張りのある低音が響き渡った。
 じきに……
 もう間もなくこの場は崩れ落ちることだろう。
 自らが誇りとしていたものの力により、跡形も無く消え去る。
“我らは搭と共に滅びます。国亡き後その真髄を他国の者たちの目に晒すわけにはいきませぬ故。ですが、小さなパメラ。年若いそなたまで連れてゆくのは心苦しい……”

――生きなさい

“おお! そなたは落ちのびるが良いぞ、ベルタルダロードの娘!”

――私のわがままでしかない
   この期に及んでそなたひとり落としたところでどうなろうか
    結果、それがそなたを苦しめることになるのかもしれない
     けれど……それでも……

“嫌です! 私もご一緒に!”
“ならば命令としよう! 我の玩具をくれてやる。あれが正常に動くかどうか、このロストワルド生涯の研究結果をそなたが見届けるのだ。よいな、ベルタルダロード!”

――生きなさい、パメラ
    我らイサの娘よ

“司教様! 皇太后陛下!”

 赤い炎に包まれた。あたりは既に灼熱の海に沈んでいる。
 それでも私たちは幸せに思う日々があったのですよ。
 美しかったイサの都。荘厳ですらあった王都クスタールの輝き。
 まるで歌うかの如く、覚えたての呪文を口にする子供たちの声。
 他国の人々はそこかしこにあふれる小さな不思議に目を丸くし、それを事も無げに操る魔導師たちに賞賛の声を送る。
 魔力により栄え、魔力により滅んだ、古の帝国。
 それでも私たちは……

『何処へ向かいますか?』
 それは言った。
 音ではない。言葉でもない。
 頭の中に直接響いてくる感じだ。
『何処へ向かいますか?』
 耳障りな“意思”に幾度か問われた後、私は、

「魔導の無い国」

 そう答えた。




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