Chapter.4-3
 私室に戻ったヴァレンティーナは、待たせておいた男が挨拶のために立ち上がろうとするのを「よい」の一言で制し、自らも席についた。
「よもやお前が直々に来るとは思わなかった。体の具合はどうだ」
「全快とはいきませぬが、それなりに」
 初老の男は頷くかにして目を伏せ、「ご心配下さいますな」、とばかりに薄い笑みを浮べて見せた。
「愚息のしでかしました不祥事、お詫び申し上げますことをお許しいただけますでしょうか?」
 男に問われ、微かに目を細めたヴァレンティーナは、
「許さぬ」
 不敵な笑みを刻みそう返した。
「不要だ。そもそもそなた、己に非があるとは思うておるまい」
 形ばかりの謝罪に何の意味があるだろう。本心から詫びるつもりなら、ここへ来る以前に自決するなどして果てていたはず。今、ヴァレンティーナの目の前にいるのはそういう男だ。
「これは心外。非があったことは承知しております。あんな粗末な策にはまるなど、あれもまだまだだったということです。そしてその程度の者しか育てることができなかったのは、この私めの罪にございます」
「言うな。確かに隙があったことは事実だが、あの時同じく後手に回った者としては耳が痛い。茶番に持ち込むのがやっとであったとはな。笑ってくれてもいいぞ」
「滅相もございません」
 互いに含みのある笑みを浮べたまま、ふたり言葉を交す。
 病み上がりである。面やつれは顕著だったが、未だ、その瞳はかつての光を宿したまま。
 陽の光によく映える、明るい色の髪、明るい色の瞳。
「それで? 今日は何用だ。これでも色々と忙しい身である」
「何用と申されますか。お祝いに駆けつけました以外何があろうというのでしょう?」 「祝いか。ならば何を寄越す」
「この身、今一度お側に仕えることをお許しいただきたい」
「許す」
 即答。
「だがしかし、表立ってとはいくまいかもしれぬぞ。それだけは承知しておけ」
「承知」
「その様子であれば、首尾の方も上々と見てよさそうだな」
 ヴァレンティーナは軽く笑い、肘掛の上で頬杖をついた。
「ご想像のままに」
 今はまだ語るべき時ではない。言外にそれを匂わせ、颯爽と席を立つと、彼は、入って来た時と同じように、公女の私室から通じる秘密の通路へと姿を消した。
 去り際に残された言葉を思いだし、ヴァレンティーナはひとり笑んだ。
   この度のご婚約、心よりお喜び申し上げます   
「ぬかすか」


 マニキュアの乾き具合を確かめながら、そっと陽光にかざす。満足そうに双眸を細めたのはシルヴィオ=アドルファーティ。
 対面に座るミニチアーニもまた、上機嫌であることを隠さずに菓子を食んでいる。
「一時はどうなることかと思ったが、まあ、終わりよければ全て良し。そなたもご苦労であられたな。シルヴィオ殿」
「おやおや。まだ形式的には何ひとつ整っておりませんよ。少々気が早いのではありませんか? お大臣様」
「なんのなんの。我が姫は頑固一徹。一度言い出したら最後、頑として曲げるようなことはなさらぬ方」
 それが厄介でもあったが、今回ばかりは感謝しようというもの。
 運は我にあり   ミニチアーニは笑いを堪えきれず、低い声を漏らした。
「ですが、ねぇ……一寸気がかりなことも」
 ふう、と短く吐息し、シルヴィオは言った。
「気がかり?」
「ええ。この石が警戒を示しているように見えるのです」
 シルヴィオの細い指を飾る指輪。それには小指の先ほどの石がはめ込まれており、ミニチアーニはさもめずらしいもの見るかの目つきでしげしげと見つめた。一見したところ宝玉の輝きを放つが、似て非なるものである。
「魔石……ですかな?」
「ええ。重宝しております」
 神々の忘れ物とも言われ、それ自体が魔力を有している。無論、使う者の資質も選ぶため、興味本位で手にし、身を滅ぼしたと伝えられる者も数多くいた。
「流石はアドルファーティ。魔石など、我が姫でもお持ちではおられぬ」
「こればかりは巡り会わせもありますから、もっている、いない、で何かを図ることはできませんよ。ただ、私の手元にあるものが警戒を表しているのなら、それはやはり金銭面を意味しているのでしょうねぇ」
 貴族の如き見目をしていながら、その本質は商人である。形のよい瞳に値踏みをするかの色を浮かべ、シルヴィオはミニチアーニを見た。
「この婚約が整いましたなら、いただける手筈のお金、本当に大丈夫でございましょうか?」
 全額の受け渡しは成婚後だが、婚約の時点で半額を支払うというのも当初からの取り決めである。アドルファーティを巻き込み一国を買おうというのだ。それ相応の見返りは必須。当然のこと、ミニチアーニの私財ごときで購える額ではない。 「ご心配めされるな。少々手間取りはしましたが、近日中にはご用意できましょう。是非とも楽しみにしていて下され」
 数々の困難が嘘であったかのよう。順風に後押しされた自信でミニチアーニは言い切る。


 だがしかし、彼、ミニチアーニが絶頂から転じて絶望の淵に立つまで、そう多くの時間はかからなかった。
「何故じゃぁあああああっ!」
 絶叫が木霊する室内は、清清しいまでに閑散としている。正に空っぽの状態である。  知らせを受けても信じることができず、この目で確かめるまでは、と必死の形相で駆けつけて来たのだったが……
「こ、このようなことがあろうはずは」
 篝火はただ、無情にも石で築かれた壁を映し出すに留まる。
「中身はどうしたというのじゃ!」
「わかりません。開いてみました時には既にもうこの状態でしたので」
 シアメーセが戸惑いがちに告げると、怒気をあらわにしたミニチアーニが振り返った。
「わからぬではわからぬ! 何があったのかと聞いておるのじゃ! きちんとわかるように申せ、よいな!」
 怒声に身を強張らせたシアメーセは、おずおずとした仕草で袂を探ると、それを取り出して自らの上司に差し出した。
「中にあったものと言えば、ただこれがひとつきりにございます。それ以上は……お許し下さいませ」
 緑色の石に細やかに組まれた飾り紐が結び付けられている。ひったくるかにして手に取り、しげしげとながめていたミニチアーニの顔が、瞬時にして青くなり、そして見る間にして赤くなった。
「これは前大公の! そうじゃ、前大公の帽子飾りではないか!」
 決して長身とは言い難く、大デブでこそないがそこそこに小太りはしていた。加えて大顔の上にやたら大きな帽子を好むものだから、前大公を思い出す時、共に脳内に引っ張り出されるイメージはキノコ、または海に住まうという生き物のクラゲであったりする。
 細工は見事と言うに相応しいが、何故かこれをつけると大公のアホっぽさが三割増しになって見えたものだ。数々に及ぶ、はらわたが煮えくりかえるようなやり取りの際、常に前大公の頭上で揺らめいていたそれ。
「あのアホぼんが関わっているというのか!」
 ギリ、と力の限り握り締めた。わなわなと震え、荒い鼻息が繰り返される。シアメーセは身を硬くして、次に浴びせかけられる罵声を待ったが、ミニチアーニは無言のまま部屋の中を歩き回るのみであり、しばしの間、沈黙があたりを支配した。
「して、堀手の者共は?」
「はい。御言いつけの通り、奥の窪みに押し込めてあります。始末なさいますか」
「うむ……」
 ミニチアーニが踵を返したので、シアメーセもまたその後を追う。
 石室の外側は、同様に石で築かれた通路が続いているのだが、それを抜けた先には、まだ一見して掘られて間もないとわかる、真新しいトンネルが顔をのぞかせていた。
 通路の終点にある扉、それを潜り抜けたミニチアーニが足を止める。
「いらぬ」
 不意に言われ、それが先に問うたことの答えだと気付くのと、自らの胸に深々と突き立てられた短剣の存在に気付くのと、どちらが早かっただろうか。
 シアメーセは何が起きているのかわからないといった顔で、外側から見下ろしているミニチアーニを見上げた。
「ここは閉ざす。今後、余程のことがなければ開かれもしないだろう。殺さずとも時至れば皆死ぬ」
 だから、不要な行いはいらないと言う。
「そしてお前もな。秘密を知るものは一人でも少ないほうがいい。そうであろう? シアメーセ」
 古めかしい扉が音を立てて閉ざされ、あちら側とこちら側、明暗が二人の主従をしかと分かった。

[ BackNextIndexTop]

inserted by FC2 system