■ 男の子のつま先 2


「ふーん、それで朱音ちゃんと喧嘩したんだ」
 早智が言った。
「喧嘩っていうか、一方的に向こうがヘソを曲げているだけだぞ」
 東北にいると聞いたはずだが、荷物の中には九州地方の限定版と思われる、めんたいこをふんだんに使ったスナック菓子が数種類入れられていた。
 これだけあちこち行っているのなら、どうして少し足をのばしてでも会いに来ない――?
 などと、思ってはみたものの既に突っ込む気力すら無い颯人である。
 釈然としない思いを胸に、菓子を手土産にして早智の部屋に転がり込んだまではいいが、何をするでも無く体を床に横たえている。気持が定まらないからだろうか、少し気だるさを感じるような気もした。
「ようやくここんとこ溜飲が下がったって感じだったのにな……」
「ああ……あれ、大変だったらしいね」
 大変だったアレ――
 朱音が食人鬼の餌食になりかけるという事件が起きたのは、誰の記憶にもまだ新しい、つい十日ほど前のことだ。結局相手は普通の人間で、朱音も襲われるには襲われたのだが、自力で袋叩きの上全治二週間にしてしまったため事なきを得ていた。
 けれど腑に落ちない点はいくつかあるようで、里の方でも「対策だ」「警戒だ」と、未だ落ち着かない動きを見せている。
「何も、よりによってあんな利かん気なの狙わんでも。俺、ちょっと相手に同情する……」
 言ってすぐさま颯人は身構えた。部屋の四方に視線を配り、気配の有無を確認する。
「どうしたの?」
「いや、つい体が反応して……ダメだ、俺、もう姉ちゃんの報復攻撃を刷り込まれちまってる」
 蹴りが来るか、拳が来るか。
 以前、「やめて! せめてハリセンにして!」、と我ながら消極的なお願いをしてみたところ、素晴らしく良い音を鳴らすブツを作られ、容赦なく叩かれまくった思い出がある。ハリセンには丁寧に模様が描かれていて、持ち手は黒、蛇腹の部分は紫、耽美というかなんというか、紛れも無く女王様仕様のシロモノだった。
 弟をいたぶるのに手を抜かない女、それが朱音。
 嗚呼、走馬灯のように行過ぎる虐げられし記憶たちよ……
 悲壮な面持ちの颯斗に、早智からのひと言は、
 ご愁傷様――
「でも、朱音ちゃんはそこまで無茶苦茶じゃないと思うけどな」
「俺、前々から不思議だったんだけど、おまえ、何かと姉ちゃんには寛容だよな。人見知りも激しいくせに、姉ちゃんに対しては最初からそうでもなかっただろ」
 颯斗は座りなおすと言った。
「人見知りも何も、初めの頃はそんなに接触がなかっただけだと思うけど?」
「うんにゃ、違うね」
 ひとりでいるのが苦痛ではない早智と、誰かの傍らに在りたいと思う颯斗。
 顔合わせからしばらくの間は、どうしても互いの歯車が合わずに随分と手痛い目にもあってきた。ただし、ほとんどの場合痛い思いをしたのは颯斗の方で、早智はひたすらウザイと思っていたに過ぎないのだが。
 それでも諦めたくなかったから……
 コミュニケーションに於いては天性の勘を誇る颯斗が、その本能とも言える能力をフルに発揮し、ようやくのことで探り当てたのがこの絶妙にして微妙な距離感だった。
 けれど朱音に関しては、最初から何を言っても何をやっても許されていたような気がするわけで……
「んー、強いて言うならうちの母親とタイプが似ているからかな? だから免疫があったっていえば、あった」
「お前の母親って、あんな無意味に激しかったのか?」
「激しいというかなんというか――無茶苦茶? 本人の中では筋が通っているのかもしれないけど、傍からするとなんでそういう発想になったのかが全くわからない。しかも基本ズボラなくせに妙なところで行動力があるから、気付いた時には大抵厄介なことになっていて……」
 いつしか颯人の瞳がうるみを帯びていた。それは、同情か、感激か、はたまた尊敬の念なのか。本人にもよくわからないのだが、ただしこみ上げてくる感情だけは本物。
「同類だったか。早智、俺たちは同じ“被害者”だ」
「え?」

 あれはあんなものだ――そう達観できる早智と、
 できたらどうにかなってほしい――日々願わずにはいられない颯斗。

 そもそも根本からして違うのだが、勘違いだろうがなんだろうが、とりあえず今この瞬間、颯斗の心は満たされていたのだった。

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