花守綺譚  〜 だから僕は楽園を夢見る 〜 11


9.
 十月十一月と星神山はあざやかないろどりで自らを飾った。
 今年は冬の到来が早く、花守でも何度かの積雪があった。今日も大岳の頂は白く雪化粧している。
 十二月に入ると虎太郎は床に伏す日が多くなるようになった。
「これ、小夜さんから。地鶏のいいのが手に入ったって」
「ありがとう、いつも遠いところを悪いわね」
 颯斗は「いいってことよ」、と軽く流した。こういう時にどんな顔をすればいいのか、早智はよくわからない。彼らにすればほんのひと駆けの距離である。苦労だなどと思ったことはない。しかし、操の前でそれを言うのは自分たち健常を誇示するかのようで気が引けるのだ。
 虎太郎の具合は昨日よりもいいらしい。だだ、今し方寝付いたばかりだという。  操は熱いレモネードを入れてくれた。
「あら、降り出したみたいね」
 窓の外を細やかな雪が舞う。夏の間室内の観葉植物と共に色濃い緑を演出した白樺の木も、今や寒風に荒ぶばかりだ。
「この先もっと寒くなるわね」
 虎太郎とよく似た二重まぶたが淋しそうに伏せられるのを早智は見た。
 これが最後の冬になるということを、操はどうその胸の中に収めているのだろうかだろうか。
 誰もが越せないと思った去年の冬を越したのだ。死神は去ったのだと、わずかな希望を抱くこともあっただろう。操の胸中を思うと早智はやるせなくなる。操はこの十年のうちに連れ合いを亡くし、娘を亡くし、そして今度は虎太郎までも亡くそうとしている。
 以前、虎太郎が言ったことだ。
「『どこで死にたい?』って聞くから、花守って答えたんだ。お母さんが育ったところだし、選べるのならここがいい」
 死にたい……それは虎太郎の誇張だ。けれど、そのひと言が虎太郎と彼を取り巻く大人たちの関係をあらわしている。言葉をつなげられないでいる早智に対し、颯斗は語気を強め言った。
 そうまでして斜めに構える必要は無い――
 虎太郎の両親が彼を愛しんだのは事実。操が虎太郎と花守に来たのも事実。そして花守が無理を承知で二人を受け入れたのも事実。世界中の何もかもがこの小さな少年に対して冷たかったわけではない。
 颯斗が虎太郎を叱りつけるのは後にも先にもそれ一度きりのことで、虎太郎は「ごめんなさい」と小さくわびた。
「そうそう、もらいものだけど干菓子があるのよ。颯人君好きだったでしょう? 待ってらっしゃいな」
 颯斗は嬉しそうに破顔する。颯斗は和菓子が好物で、中でもとりわけ落雁を好んだ。長居をするつもりなどなかったのだが、それで操の気が紛れるならよしとせねばなるまい。
「ところでさ、さっきから気になってたんだけど」
 あの絵、と早智が指さす先を颯斗は追った。
「あれって、あの時のものかな?」
 テラスがある硝子戸の上に一枚の絵がかけてあった。夏ならば一面の緑によくなじむことだろう。けれど今は冬枯れの木立を背にして、そこだけがぽつんと浮かび上がっている。
 緑色の絵。わずかに添えられた青は空色の青か。
 これと同じ光景を早智は見たことがある。あの日、颯斗たちを探して迷い込んだ世界の、中核を成していた大樹の姿だ。
 弥彦が描いたのだろうか? そう聞いた早智に、颯斗は「うんにゃ」と頭を振って、 「これは与彦だ。弥彦にこの濃淡は出せない」
 と答えた。
 ならば、弥彦の記憶をたよりに与彦が描いたことになる。あの双子には互いの記憶を共有する能力でも備わっているのだろうか?
「ねえ颯斗。この木ってさ、もしかしたら“伽羅の木”じゃないのかな?」
「伽羅? どっかで聞いたことがあるな」
 わずかに考える素振りを見せた颯斗が、ひらめいたとばかりに言う。
「ほら、あれだ。香木」」
「いや、そっちじゃなくて、僕らが言う方の“伽羅”」
 ああ? と聞き返すふうの颯斗だったが、すぐに理解したようで、再度「ああ……」と納得の声で応えた。
「だったら何か? 虎太郎は“まほら”を真似てあの世界を作ったとでも言うのか?」  そう言って、颯斗はしばらくの間その絵を食い入るように見ていた。
“まほら”という言葉は彼らに伝わる昔語りに聞くことができる。
まほら、まほろば、良きところ。
 彼の国の名は失われて久しく、故に彼らは在りし日を思い、それを“まほら”と読んで懐かしんだ。
“まほら”は“まほろば”。
優れたる場所。
 そう。すなわちは、楽園――


 まだ、この世界そのものができて間もなく、夢見心地にまどろんでいた頃の話だ。
 神が御座した。神は自らの姿を模して人を、伽羅の民を造られた。
 大地の中央には大樹がある。幹は地上からすぐのところで七本に割れ、それぞれが天を目指し無数の枝葉をしげらせている。春と夏の境に白い花をつけ、秋に実る銀色の実は長寿をもたらす妙薬とされた。
 大樹の名もまた伽羅。
 伽羅は神の領域に生ふる、“まほら”の象徴たる神木だった。

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