花守綺譚  〜 だから僕は楽園を夢見る 〜 13


10.
 錦木夏は吐息する。
「初めてだけど、大丈夫かな?」
 不安そうに見上げる夏に早智は、「婆がサポートしてくれるよ」、と答えた。
「なんだなぁ、こういう偶然って、やっぱりあるのなぁ」
 あれ以来颯斗はしきりとそう言うようになった。早智にすれば、おのれの直感を信じたにすぎない。
 小学校の一時期同じクラスだった少年が、同族ではないかという疑問は常にあった。お互いに女みたいな名前だと、よくからかわれたものだ。けれど、それだけの理由で意気投合したわけではない。
 確かめてみようか?――そう思った矢先に夏は去り、早智も転校を重ねて今に至る。
 たしかに、あのころの夏は違う姓を名乗っていたし、それがニシキギを追う過程であの夏だとわかったときには驚ききもしたが、またいずれかの日に再び会うことになるのではないか、そんな予感があったことも事実だった。
「では、はじめようか」
 朱鷺子の差し出した手を夏が取る。朱鷺子はもう一方で虎太郎の手を取った。虎太郎は颯斗の手を取り、颯斗は早智へとつないだ。そうして、花守の皆で大きなひとつの円をつくった。
 これから皆で同じ夢をみるのだ。はるかなる楽園の夢を。


 弥生、三月、花守は梅の香に沈む。
 楽園にあこがれた少年はもういない。
「わかんねぇよなぁ。どうしてそんなに普通になりたい? だいたい普通ってなんだ? 数が多けりゃいいってものじゃないだろ」
 コタが可哀想だ――
 そう言い捨て、颯人は寮舎へと続く渡り廊下の壁に背中をあずけた。
「仕方ないじゃない。価値観なんて人それぞれだもの。あの人たちは長けたものを切り捨ててでも、平凡に徹したかった。それだけのことでしょう?」
「だったら自分らだけにしろよ。他を巻き込むな。そりゃぁ、虎太郎はちょっとすねたところがあったけど、健康体なら違ったかもしれない。どのみち長くないってさ、思ったんだろう? あきらめたからだろう? あきらめるしかなかったからだろう? いいじゃないか、ちょっとぐらい違っても。どうあがいたって、俺らは俺らなんだから」
 隠れ暮らすことに疲れたのか、いつの世にも途絶えてしまう家はある。けれど虎太郎の両親をはじめ、“伽羅”の中でもごくわずかな者たちは、自らの血を絶やすことなく根本からの変化を望んだ。
 遺伝子操作を試みたのだ。
「大馬鹿だ。コタが、可哀想だ。だいたい大人ってのは、」
 言い切らぬうちに、わき腹に一発。
「ぐだぐだは結構。だったらアンタはそうならないようになさい」
 艶やかな黒髪と淡いラベンダーのワンピースをひるがえして、あざやかな回し蹴りを決めた朱音が悠々と去ってゆく。うめきすらもねじ込まれたように、空を抱えながら体を折る颯人を、いつものこととばかりに早智が支えてやる。状況を飲み込めないでいる夏が目を丸くして見ていた。
「俺……、こういう時は姉ちゃんがあんなで良かったって思う……こんな馬鹿でもしてねぇと、やってらんねぇ……」
「結構、命がけだけどね」
 あの日、まだ春浅い二月の午後、花守の皆は虎太郎と共にひとつの夢を見た。皆で夏の中に眠るという、遠い過去に生きた人の記憶にふれた。
 伽羅の記憶。天を突き繁る七股の大樹。遠く、はるか昔、彼の国にあったとされるその大樹の姿を目にした途端、
――穏やかで、暖かくて、泣きそうになる――
 いったい何がこんな気持にさせるのだろう?
――暖かくて、柔らかくて、泣きそうになる――
 大樹の存在が人々の中に眠る思いを呼び起こすのだろうか。優しかった日々を、望まれて生まれ、愛でられて暮らしていた日々を、遺伝子が憶えている……? 
 本当を言えば真実なんてわからない。確かなのはかつて花守に“伽羅”と呼ばれる大樹があったのだということ。ただそれ一点に過ぎない。それ以前のことは何ひとつわからないでいる。神もまほろばと呼ばれた国も、言い伝えも何もかも、自分たちに都合のいいように作り出された嘘偽りかもしれないのに。
 異端に生まれたことの理由を、誰かが都合よく求めただけなのかもしれない。それなのに。
 それなのに……
――どうしようもなく懐かしくて、泣きそうになる――
「ねえ、“まほら”がよみがえるって本当?」
 うっとりとした眼差しで虎太郎が問う。
「そう言われておる。いつの日か神は戻り、我らはまたその庇護のもとで暮らすことができると」
 朱鷺子は細くなった虎太郎の指をいく度となくさすってやった。
「だったら僕、次はそこに生まれる。今度こそ、まちがわない」
 穏やかに、けれど力強く、虎太郎は言った。  


 生前、虎太郎に知らされなかったことがひとつだけある。
 虎太郎の両親の死を知り、操が虎太郎の元へかけつけた時、少年は自分の祖父母の存在について何ひとつ聞かされていなかったという。
 虎太郎の母親は虎太郎を普通の人間として産み、普通の子供として育てようとした。そして虎太郎が弱く生まれついたと知った後も、その望みを捨てなかったのだろう。そう解釈して操は、自分が虎太郎の祖母であるという事実を伝えないままにした。
「私、とてもじゃないけど八十二歳のおばあちゃんには見えないでしょう? どれだけ生きられるかわからないあの子には、きっと酷だわ」
 花守の最高齢は空木の朱鷺子で今年百七十七歳を数える。言い伝えでは三百を越える者もいたという。
 彼らは、伽羅は、長寿の一族だった。
 大人たちが山を出なければならなかった理由、仲間たちで身を寄せ合い、山を守り田畑を耕しながら暮らすことが出来なくなった理由はそこにある。
 子供たちはいい。老人たちもまだ誤魔化しがきく。けれど壮年期の若者は目立つのだ。百年を変らぬ姿で生きればひとつところに留まることはできない。
「操さん、花守を出るんだってな」
「うん……随分無理を言ったからって」
 かつて操は十年をあの椿邸で暮らし、連れ合いを看取った。本来ならしばらくの間帰らないのが里のしきたりだった。
 虎太郎が望んだから、伽羅の血を持つが故、歪められてしまったあの子の望みだからこそ、花守は虎太郎と操を受け入れた。
 だから、操は去らなくてはいけない。いかにここが思い出多き土地であろうとも――
「虎太郎君は無事に辿り着けるのかな?」
 そう言って、夏は穏やかな眼差しを淡い色の空に向けた。
「あいつ、一度言い出したら聞かないからなぁ。きっと、執念で見つけ出すさ」
 後悔も涙も、それらすべてを振り払うようにして颯斗は顔をあげる。
 もしも、輪廻転生などというものが本当にあるのだとしたら、いずれ彼らもまた虎太郎と同じところに行き着くのだろうか。
 落日が寮舎の窓をオレンジに染め、照り返しに目を細めた早智は、きらめきの向こう側に去りゆく少年の面影を重ねた。

【 だから僕は楽園を夢見る 〜終〜 】
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