花守綺譚  〜 だから僕は楽園を夢見る 〜 2


2.
 先の大合併で隣接する桃栗町に併合される形となった旧八咲村である。花守地区――通称“花守の里”――は、その八朔村も奥の奥、地元の人間ですら僻地と言ってはばからない星神山の懐にあった。
 当然のこと過疎地である。若者が去って久しく、わずかばかりの土地で高齢者が細々と農業をいとなんでいる。
 けれどこの花守の里、そんな寂れゆく山の寒村にしては少々奇妙な点があった。
 子供がいるのだ。分校生徒の大半は里の子供たちである。親の姿はない。子供たちは親元を離れ、花守塾と呼ばれる場所で共同生活を送っている。病気療養が目的とされていたが、詳細になると不明なところが多く、世間一般に普及する里親制度とも様相を異にしているようだ。
「天狗山のことはよくわかりません」
 麓の集落に住む者たちは口をそろえてそう言う。
「天狗が住むから天狗山だと、私らは星神山のことを天狗山とも呼ぶのです。花守の子供たちは妙に身軽なところがありましてな。そういったところからついた名前だろうと思われます」
 麓の町からだとなだらかな山並みのそのまた向こうに見える星神山である。近いようで遠いらしく、語り手の声も次第に曇りがちになる。
「とはいえ、天狗に例えられるようなのは大きな子たちですよ。小さい子たちは、それは見るからに病弱で……たいがいは都会から来るのですが、喘息やらアレルギーで大変そうです。これが五六年で見違えるようになるのだから、いやはや大自然の治癒力はあなどれませんなぁ」
 結局は山自慢お国自慢に繋げ、話を結んだ。
「興味がおありでしたら一度行ってみられるといい。ただし、見るようなものは何もありませんがね。強いて言うなら秋の紅葉でしょうなぁ……」
 老人と子供たち、そしてほんの少人数の大人たちで成る村。
「ああ、それから道が悪い上に少々ややこしいところですから、くれぐれもお迷いにはなりませんよう……」


 八雲川の源流は星神山の大渓谷を走っている。上流に向かって右手に大岳、左手には小岳とふたつの峰が並ぶ。土地によってはこれを親岳子岳と呼ぶ場合もあった。鋭角美を誇る小岳に対し、それを懐に抱くかにしてそびえる大岳は、扇を逆さまに広げたかのようなゆるやかなラインを描いている。
 花守の里は小岳を裏側から入ってしばらく登ったところに――丁度、対面に大岳の頂をのぞむ形で――あった。距離にして二キロ弱。二十数戸が山肌にそって点在し、六十人ほどの住人が暮らしている。
 早智と颯斗は隋道へと続く坂道をかけ上がった。岩肌をつたう東雲の滝が傾きかけた陽光をあびてきらきらとオレンジ色に輝いている。
 隋道を抜けるとその先には三軒しか家がなかった。空木と椿と山吹である。
 道は杉木立の先で迂回路と交わる。先に見えるのは奥の空木邸だが、もう少し進むと、左側の川向に灰色瓦の三角屋根が姿をあらわす。それがふたりの目的地、椿邸だった。
 椿邸は日本家屋を基調としながらも、随所で洋館に見るような意匠が施されている。今は亡き先代当主の趣向らしい。だが、不思議と違和感は無く、このあたりでは珍しい白樺の木と共にごく自然な形で景観に溶け込んでいた。
「あら、いらっしゃい」
 椿操は柔らかに笑んでふたりの少年をむかえてくれた。
 早智は常々、操と小夜は目のあたりが似ていると思う。けれど、颯斗の反応はいまひとつで、二十代に見えるという以外ふたりにはこれといって共通点はない、とまで言う。たしかに小夜は背が高く体もしっかりとしており、それに比べて操は華奢で儚(はかな)げな印象をともなう。いわば正反対だ。だから案外、早智がとらえたのはもっと本質的なものだったのかもしれない。
「これ、イモとトウモロコシ。小夜さんが渡してくれって」
「まあ、そうなの? ふたりとも遠いところをご苦労様。さあ上がってちょうだい。冷たいものでもどうぞ。何が好みかしら?」
「ほんと? 助かるわ。あー、でも俺、炭酸苦手」
 颯斗は室内の冷気に誘われたのか、返答もそこそこで操に続く。早智は一歩遅れて後を追った。

 奥のリビングは観葉植物であふれている。この部屋は六角形の半分を付け足すような形で増築が成されており、窓の配置具合も手伝ってか植物園の一角を見るかの趣があった。
「丁度、朱音ちゃんも来ているのよ」
 キッチンに入った操が言う。
 げっ、と。颯斗は短くうめいた。  朱音は颯斗のふたつ違いの姉で、また、天敵でもある。そういえば最近彼女は操のところで何やら習い事をしているのだときく。
「颯斗」
 壁際のソファーで朱音が意味深に微笑んでいた。彼女のことだ、一瞬とはいえ颯斗がみせた不遜な態度に気がつかなかったはずがない。一見、市松人形を思わせるような可憐な容姿をしていながら、朱音の性格はなかなかに激しい。
 しかしそこにひとりの少年がかけ込んできた。
「あ、颯斗君だっ」
「おっ、虎太郎(こたろう)!」
 勢いよく颯斗の腕にからみつく。早智も色白な性質だが、虎太郎のそれにはかなわない。少年の背丈はようやく颯斗の胸に届こうかというところだ。それでも彼は齢十三。颯斗や早智とはひとつしか違わない。
「あの子、私が来た途端、二階に引っ込んだんだから」
 早智が朱音の横に腰を下すと、彼女は先と変わらぬ薄笑いを浮かべたままで言った。
「どうやらあまり好かれてないみたい」
「だったら僕も同じだよ。きっと」
 虎太郎が花守の里に引取られてきたのは昨年の八月、ちょうど今から一年前のことだ。奇遇にも早智とは同時期である。けれど、友好関係を結ぶには至らず、いまだ顔見知りの域を出ない。早智は虎太郎との間に何かしらの溝があるのを感じていた。
「同属嫌悪なのかしらね」
 朱音が言う。
「だって、私たち三人って思考形態がよく似ている」
「似てる……?」
……のだろうか? しかも、朱音まで交えての同列で。
 早智には自分が人間関係を不得手にしているという自覚がある。虎太郎もあまり得意な方ではないだろう。けれど、朱音もそうなのだろうか?  確かに朱音の言動にはきついところがあり、理解されないどころか逆に反感を買ってしまうことも多い。それでも、決して周囲に対して距離を置いているというのではないはずだ。彼女は常に彼女の価値観で社会と対峙している。
 続ける言葉を見出せないでいる早智の心中を察したのか、朱音は、
「ほら、私たちにとって颯斗は宇宙人みたいなものじゃない」
 と言い、わずかに肩を上げて見せた。
「ああ……」
 そういう意味でなら、まあ……わかる。
 颯斗の人懐っこさは天性だった。
 同い年で、同じ屋根の下に住み、学校もクラスも同じだという、窒息しそうなほど身近である存在……それが颯斗のような少年でなければ、きっと早智はひとりでいることの方を選んだだろう。
 早智は、相手の心に壁を感じながらそれを承知で好意を示せるほど寛容ではない。虎太郎もまた然り。
 そして朱音は、同じ血を引いているが故に、弟である颯斗のそういった部分を許容できないでいた。
――残念ながら、アタシはそんな綺麗な心、持ち合わせてなんかいませんから――
「でもねぇ、あんまり態度が露骨だったりすると、いかに私が広い心の持ち主とはいえ、シメたろかクソガキ、って思ったりもするわけよ」
 早智も朱音も放っておかれたまま。先からずっと、虎太郎はひとりで颯斗を独占したままだ。
「ありがとう。気を使ってくれて」
 わざと辛辣に言うことで、ひとり取り残されている早智を気づかってくれたのだろう。こちらもひとりでいることを苦に思うほど可愛らしい性格はしていないのだが。
「いいわよ。八割方本心だもの」
 短い吐息とともに、生成りのワンピースからのぞく足が左右反対に組みなおされた。

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