青の記憶 W



【2】

 それは、フローラの記憶なのだろうと思う。
 セシリーには時々、そうして母親の記憶が降りてくることがある。
 彼女だけが特別なのではない。代々ランスワースの跡継ぎたる者に受け継がれてきた力。崇められると共に、忌まわしきものとされてきた血脈の記憶。
    ねえ……    
 艶やかで甘いアルト。
 ローの、グレイの、そしてフローラの記憶に眠る人。
 セシリーだけが、“彼女”のことを知らない。
「何が違うのだろうな。ここの薔薇を見ているとなんだか落ち着かない気分になる。異質な感じがするとでもいうか……ただ、どこが? と問われてもうまくは答えられない」
 セシリーが顔を上げると、鉄柵で仕切る薔薇園の入り口にエドワードの姿があった。
 夏の日差しに映える栗色の髪。
 小柄で喘息持ちだった少年は、今やもうどこにもいなくなってしまった。彼の母親は正妻としてむかえられることなく逝ったが、父親は跡継ぎとして不安の残る長子を退け、学業で申し分のない成績を修めていたエドワードにその地位を与えた。
「何か用?」
「親父の使いだよ。書類を持って来た」
「言ってくれればグレイが取りに行ったわ」
「時間があるから持って来た。それでいいだろ」
 苛立ちが言葉に滲むのを隠そうとしてか、薔薇の茂みを弄ぼうとするエドワードをセシリーが止める。
「かぶれるわよ。棘は無いけど毒素の強い品種なの」
 ギクリと身を強張らせ、即座に彼が手を引いた後、言い添えた。
「冗談よ」
 頬にかかる髪を指ですくうことで、さりげなく視線を逸らした。感情の制御が覚束ないのは、まだ大人になりきれていないからだろうか。エドワードの持て余している葛藤が、セシリーの心にも波紋のように伝わり、暗い影を落としている。
「書類、受け取るわ。ありがとう」
「あいつも帰って来ているのか?」
 突然そう問われ、セシリーは眉をひそめた。
「ここから先は私有地よ。勝手なことはしないでちょうだい」
 不法侵入を咎める言葉に、どこか嘲笑とも取れる笑みを浮かべたエドワードが反論する。
「海の方から灯りが見えたんだ。船の上でのことにまでいちいち許可を求めるつもりか? 百年前ならいざ知らず、今のグリースフィールドでお前たちランスワースの発言にどれほどの影響力があると言うんだ」
 かつての繁栄はいずこ。寂れた城にかろうじて面影が残るばかり。長きに渡り支配者として君臨したグリースフィールド。しかし、その地位も既にランスワースの手から離れて久しい。
「あやまらないぞ。事実だからな。そうだろう?」
 エドワードの声が低く詰め寄る。ランスワースの衰退を経て、替わってその地位を得るに至ったのは、クリストファー・リード、エドワードの父親である。
「お前にはランスワースを立て直すという責務があるはずだろう。違うか? それなのに自ら災いを抱え込むような真似をして、いったいどういうつもりなんだ」
「災いって……何を言っているの、あなたは」
 真意を確かめるように問う。
「何って、あの男のことに決まっているだろう」
 セシリーは鉄柵の淵をきつく掴み、エドワードをじっと見据えた。その容姿から一見軟派な印象を受けがちな彼だが、決して侮っていい相手でないことは重々承知している。
「彼は大切なお客様よ。あなたにどうこう言われる筋合いなんてないわ」
「その昔、親父が見たという男と、俺が見たことのあるあの男とは同じか?」
「馬鹿なことを言わないでちょうだい。身内に似たような顔が出る家系なんてめずらしくないでしょう? 私だって、瞳の色が違うだけで母様の若い頃とよく似ているもの」
 このあたりで切り上げるのが得策かと、踵を返しかけたセシリーをエドワードの声が追いかけてくる。
「いつまでそんな子供騙しが通用すると思っているんだ。お前もお前の母親のように悪魔に魅入られたまま一生を過ごすというのか」




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