Chapter.3-3
 コンラードは怪訝そうな顔でミニチアーニを見据える。けれど、相手はそれにかまうことなく続けた。
「この杯は我ら三人と言葉を交した時にも手にしておられたものだ。無論、何事も無くお別れしたがな。その後マウリシオ殿はそなたと共に在ったという。このように人目のつかぬところで二人。充分に毒を入れる隙があったと思われるが、どうだ、違うか?」
「憶測に過ぎん。その程度の根拠で人を疑うとは、ミニチアーニの名に傷がつくのではないか?」
「ふん」
 意味深な笑みが口元に浮ぶ。その真意を汲めないでいるコンラードは、更に表情を曇らせるしかなかった。
「ワシもつい先刻耳にしたばかりで、この夜会が終わった後にでも問い詰めようと思っていたところだ」
 もったいぶるかにして間を置き、優越にひたりながら相手の焦燥を煽る。いつものミニチアーニだ。変わらずのやり口とわかっていながら、何故か苛立ちを覚えるらしい自分が不思議に思える。
「そなたが夜な夜な城を抜け出し、街で人を喰ろうておるのを見たという申し出があった」
「笑止。どこの誰がそのような戯言を」
 身に覚えの無いこと、そう言ってコンラードは立ち上がる。長身な彼に逆に見下ろされる形となったミニチアーニだったが、浮べた余裕はそのままに、一度手を打つと年若の従者になにものかを持って来させた。
「証拠を消されてはと思い、先手を打っておいてよかった。これがそなたの部屋から出てきたと言えば、どう言い逃れする? フリーゼリよ」
 赤黒く血に染まった衣が一枚、目の前に差し出された。
「……」
 確かに。同じもの   もしくは非常に似通ったもの   はコンラードの所有にもあった。だがしかし、それが濡れ衣でしかないことは、他でもない己自身が誰よりもよく知っている。ましてやこのタイミングである。いったい何を目論んでの企てであろうか。ジリ、と手のひらに汗が滲むのがわかった。
「そなたが魔物の血を受けし者であることはずっと先より承知していた。その身の内に飼う野獣の血、隠し通すことができなくなっていたか」
”魔物”
 ミニチアーニの言葉に場内がざわめく。
「魔物……」
 女のものらしい細い声が、確かめるかにして今一度言った。
 とはいえ、魔物との混血は、それ自体全く例の無い話ではなかった。無論、めずらしくはあったが、混血が良く作用すれば、人は人としてそれ以上の力を持つことができる。かつて名を成した者の中には、少なからずそういった者たちが含まれていたとされている。
 けれど、混血が許されるのは、異種の血をしかと人の器に押し止めている場合に限ってである。外見に異種の血が表れている者は人として認められない。何故ならば、そこが人としての心を保つ境界線だと言われているからだ。
「薬で誤魔化しておるのか。姑息な」
 ミニチアーニが吐き捨てるかにして言う。
「だがしかし、それも香の効き目を前にしてはどうか。己が真の姿、皆の前で晒すとよいぞ、フリーゼリ」
 先から空気に混じっていたそれ。嫌なにおいだ。手のひらほどの香炉からだくだくと煙が毀れ出ている。ミニチアーニに突きつけられ、コンラードは短く息を詰めると、自らを抱きしめるようにして体を折り曲げた。
 迂闊だ。今の今まで気付かないでいるとは……きっと、思考を定められないでいたのもこれが原因。
 苦悶に歪む表情。血が滾るような感覚は押さえようとして収まるものではなく、徐々にその体の中から強引にねじ伏せてきたものを引きずり出そうとする。
 子供の頃は一切その兆候が見られることは無かったというのに……
 無論、長じてから血の濃淡が変ることも皆無では無いと聞くから、不運にも自分がその例に当てはまってしまっただけのことだ。もっと時を重ねて、立場的にも難しくなった頃のことでなくて良かったのだと思い、事が大きくならぬうちにこの身を隠さなければならないと考えていた。
 内側で蠢く衝動に、自身の形が少しずつ変っていくのを感じた。見る間に尖る鋭い爪。あとは以前に確認した通り、耳が尖り犬歯がやや発達した顔立ちに変異しているのだろう。
 そして瞳。これは人より魔物の血が濃いとされた者には誰にも等しくあらわれる変化だった。日のあるうちはわからないのだが、夜の帳と共に、闇の眷属である彼らをあざやかに浮かび上がらせる。
 この目は今、どのような光を放ち、人々の目に映っているのだろうか   ?
 コンラードが顔を上げると、蝋燭で照らし出された仄暗い室内に、猫科の獣が持つかのような艶やかに光る硝子玉の瞳が浮んだ。普段ならやわらかな琥珀色であるそれは、まるで内側に光源を持つかのように輝き、彼が人外の者であることを容赦なく教える。
「しかし、何故マウリシオ殿を?」
 デブレティスの問いにミニチアーニが答える。
「知らぬわ。だが邪推するなら、己が手より零れ落ちていった大公が配偶者としての立場、その候補者であるマウリシオ殿に嫉妬心を覚えるなどしたか。何にしても浅ましきことよ」
 向けられた嘲笑を透かして、
 シアメーセ 
    妖しく笑う女の声を聞いたような気がした。そうだ、先刻の茶番はここに繋がっている。
   ああ、ごめん。苦手だった?   
   確かめに来たのだ、彼女は。薬師が口を割ったのかもしれないし、そうでないのかもしれない。けれど、コンラードの異変は解き明かされ、敵は巧妙にその弱点を突いてきた。ならば、マウリシオの命は、この一幕のために利用されたのだろうか。事を強引に成すためには目くらましが必要。煙幕として、贄として、摘まれたと考えるのが妥当か   
(無茶をする)
 けれど、こうまでしたからには、もう後には引けまい。コンラードを異形の食人鬼に仕立て、有無を言わさぬうちに仕留めてしまう必要がある。死者はものを語らぬ。人々の記憶には、悪鬼とその所業のみがあざやかに残る。そう、そのように仕向けなくてはならない。
(やるか、ミニチアーニ。失敗は許されんぞ)
 コンラードはミニチアーニを見、そしてその斜め後ろに立つヴァレンティーナを見た。金色の瞳が、矢車草の青と謳われるあざやかな青色をとらえ、二人の視線はほんのわずかの間だが確かに絡んだ。
 絡んだのだが……
 ヴァレンティーナは彼女を守るために半歩前に身を挺するようにして立つバルダサーレの横をすり抜け、壁際にある装飾用の甲冑に歩み寄ると、それから勢いよく槍をもぎ取る。
 周囲から上がるどよめきの声は槍を手にしたことに対してなのか、はたまたそれが片手で行われたことについてなのか。槍は間髪いれずコンラードへと向け打ち込まれた。
「恥をかかせおってからに。この一件の対価、その命で購うがいい!」
 寸前のところでかわし、何かを問うようにヴァレンティーナを見たコンラードだったが、けれどすぐさま体勢を立て直し、突かれたかにして走り出した。壁に刺さった槍を引き抜き、ヴァレンティーナが後を追う。甲冑自体が装飾品だったこともあり槍の長さは彼女の身の丈の倍近くもある。それを無造作に振り回すのだから城の内壁はあちこちが毀れ、壁に飾られていた絵画や壷などは見るも無残な姿を晒すことになった。
「姫よ、もう少し女らしく振舞っていただかなければ、花婿候補たちがドン引きしておるではないか」
 慣れている自分たちはいいが、少なくとも"姫君の婿"になろうとしている者たちにこの現状を見せてしまうのはいかがなものかと思われる。唖然として立ち尽くすシルヴィオとサミュエルを横目に、デブレティスが深い溜息を漏らした。
「ほう、流石は魔法剣士殿、この程度では動じぬか。姫に従ったようだぞ。どれ、我らも行ってみるとするか」
 未だ煙を上げる香炉を従者の手に戻すと、ミニチアーニはまるで他国の兵士に蹂躙でもされたかのような廊下を、その暴風が走り去った先へと向けゆっくりと歩いていった。


  逃げるコンラードと追うヴァレンティーナ。二人はいつしか城の屋上に出ていた。ふくらみを帯びた月がはるか頭上から舞台となったあたり一帯を照らしている。
 燃えさかる篝火と、それによく似た色の瞳がふたつ、ヴァレンティーナの視界には映っていた。
「どうする、コンラード。もう逃げ場が無いようだが」
 男の背後には夜の闇が広がっている。
「このような場所に逃げおってからに、馬鹿が。それとも死に場所には相応しいということで選んだのか?」
 後ろ側に人の気配を感じる。少し遅れてバルダサーレが追い着いて来たらしい。
 ヴァレンティーナが槍を構え、勢いのままに衝く。それと時を同じくして、バルダサーレの放った魔法が、光の礫となりコンラードを襲った。
 宙を舞う体。黒い影がひとつ、城の裏手に広がる湖の水面へと、吸い込まれるようにして落ちてゆく。
「仕損じましたか」
「わからぬ。確かに手ごたえはあったが」
 水音も聞こえた。たとえ絶命していなかったとしても、その後どれだけ生きながらえることができるだろうか。 「夜が明けたら湖を浚わせよう。遺体ぐらい差し出さなければジベッリの者共も溜飲が下りぬであろうからな」
「怖いお方ですね。姫君」
「恐れをなしたか?」
 薄闇の中、ヴァレンティーナが笑う。
「いえ、これほどの方であったとはね。ますますあなたに選んでいただきたくなりましたよ」
 苦笑こそ浮べてはいたが、バルダサーレの声に淀みはない。
 遅れて来た一団が階下から姿を現す。顛末を知らず、ただ呆然と立ち尽くすしかない彼らへと向け、ヴァレンティーナは槍を放った。
 起る、どよめき。それには目もくれず、彼女はひとり城の中へと姿を消した。


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