Chapter.2-4
 暗い。かといって灯りを求めようとは思わない。慣れているというほどではないが、これまでに幾度か通った道でもある。余程感が鈍るでもしなければ迷うことはないだろう。まばらに見え隠れする家々の明かりだけを頼りに、入り組んだ裏路地を行く。
 時既に夜半。他所なら寝静まっている街も、表が夜を売るところとあっては、いささか様相が違った。不夜城である街の裏の裏。猥雑な通りが幾筋も重なり、混沌の根城とはさもあらんという有様を作り出している。
「おや、誰かと思えばコンラードじゃないか」
 するりと伸びて来た腕に袖をつかまれ、外套の奥に隠しこんだ顔を下から覗き込まれた。不躾に寄せられるカンテラを腕で払い、不快をあらわにして体を引く。
「こんなところで顔を会わせようとはね。めずらしい……お姫様の命でお忍びかい?」
「お前こそ何をしている。女のなりなどしているから誰かわからなかったぞ」
 剣を滲ませて言い、今一度確かめるかにして、目の前に立つそれ見つめなおした。
「その頭、ズラか」
 腰まで伸ばされた髪は、細やかなウェーブを描き夜気に波打っている。
「そうだよ。あのお方は鬘を好まれないからね。普段は短く切り揃えているだろう? おかげで女に戻る時にはちょっとした細工が必要になるのさ」
 クッと喉を鳴らして笑い、女は、その細い指で自らが作り物と揶揄した長い髪を弄ぶかにして見せた。
「だからね、“僕”は長い髪の女が嫌い」
「知るか」
 短く言い捨て、コンラードは歩き出した。女もまた身を翻し、その後を追う。
「ねえ、何をしに来たのさ?」
「言うと思うのか、馬鹿者」
「そうだよねぇ。こんなところに用があるなんて、たたけば埃が出るって言っているようなものだものねぇ」
 思わせぶりな響きと共に傍らに寄ると、少々強引にコンラードの腕を取った。振り払われるのを承知で、なおもそれにしがみつくと、女はやおら顔を上げて言う。
「薬のにおいがする」
 不敵な笑みが、その腕の感触とともにコンラードに絡みついた。


 エミーリオの退室を見送ったコンラードは、腕組みのまま壁に背を預け、今耳にしたばかりの話を思い返していた。
「気のせいかもしれないのですが   
 そう言って童顔の部下が語ったのは、先日デブレティスとハーゲンの間で交されていたという会話。
   コンラードは特別であろう、あの者は……
   今更気にはしておらんよ
「何となくひっかかったのですが、その時には何にひっかかっているのかよくわかっていなくて」
 すっきりとしない気持ちが残ったので、折に触れて思い出すことがあったという。
「最初はハーゲンの失言かと思っていたのですが、あれは咄嗟にデブレティスが自身への言葉に摩り替えることで誤魔化されたんじゃないでしょうかね? デブレティス大臣の言葉なら私にも意味がわかりますし、それを知る者も少なからずいるでしょうから……」
 けれど、ハーゲンが言わんとしていたことの意味は……
「残念ながらそれは私にもわかりかねます。何かお心当たりはございませんか? コンラード様」
「いや……母のことでないのなら、特には」
「あちらの方々は相変わらず何かを企んでいる様子。くれぐれもお気をつけ下さい」
   気付かれたのだろう……
 そもそも隠し通せるものではないことぐらいわかっていた。ただ、今しばらくはこのままでいてもらわなくてはならない。まだ、屈するわけにはいかないのだ。やらなければならないことが残されているというのに……。
 軽い動悸に変調を察し、懐に備え持っていた薬を含むと、やがて何事も無かったのかのように平常が戻った。
 まだいくらかは誤魔化せるだろうが……
    薬のにおいがする……    
 艶めいた女の声が脳内に響く。
 シアメーセ。あれはミニチアーニが飼っている密偵の一人だ。
「潮時ということか」
 わずかに瞑目した後、コンラードはひとり部屋を後にした。


 シルヴィオが楽士さながらの腕で竪琴を奏でる。バルダサーレがヴァレンティーナのチェスの相手を務め、サミュエルはその横でオオララフンダラバモドキ(蝶)のスケッチをしている。
 それを遠巻きにながめながら、茶菓子代わりに話の種としているのは、既にヴァレンティーナと婿候補の観察が日課となりつつある、この国の法務大臣と財務大臣と外務大臣。
「いっそのこと三人まとめて婿にもらえばいいのではないか? あのヴァレンティーナのことだ、余裕でさばききるだろうよ」
「意外に子供が健闘しておりますな。父一人子一人。それにコンラードですから、てっきり年上を好むものとばかり思うておりましたが」
「ワシらの思惑、その斜め上を行くのがヴァレンティーナだからして。さて、誰が選ばれますかな」
 聖騎士ルッジェーロは、力及ばずと自らの不足を詫び、今朝早くに帰国の途へと着いた。
 一人脱落して残るは四人。目の前の三人は何やら良い雰囲気を醸しているが、最後のひとり、ハーゲン法務大臣お気に入りのマウリシオは……やはり今日も物陰からハンカチを口にくわえ、キィイイッ、と見ている。
   が、ガンバレっ。
「私が推すとすれば、シルヴィオ殿でしょうかね」
 おもむろに言ったデブレティスの言葉に、ミニチアーニが意外そうな顔をする。
「ほお、バルダサーレ殿ではなくてか?」
「バルダサーレ殿は行動派。何かあって夫婦共々暴走された場合、我らでは押さえ切れませぬぞ」
「それは、まあ……」
 恐ろしいことになるのが目に見えている。やるとなれば中央に戦でも仕掛けかねない女大公とその夫君が出来上がりそうな雰囲気は、既にそこはかとなく感じられるものがあった。
「そうなると、シルヴィオ殿か、サミュエル殿……」
「わ、ワシはマウリシオ殿を推すぞ!」
「私情はいけませんな、ハーゲン」
「デブに味方したい気持ちはわかるが、あのような体たらくではとてもとても」
 デブによるデブの優遇。その道のりは思いのほか厳しそうな気配を見せていた。


「そろそろ決めなければならぬのだろうな」
 呟きにも似たヴァレンティーナの言葉にコンラードが顔を上げる。共に書類に筆を走らせたまま、その手を休めることなく続ける。
「一生のことだ、心行くまで選べ   そう言いたいのは山々だが、もうこれ以上は難しいだろうな」
「お前ならどうする。あの四人の中で誰を選ぶか」
「俺に聞いてどうする。お前が選び、決めなければならないことだろうが」
「それは……そうなのだが……」
 わかってはいるのだが、いまひとつ踏ん切りがつかないでいる。ペンを持つ手を頬杖に変え、ヴァレンティーナはひとつ吐息した。
 急ぎ婿を取らなくてはならない理由は二つある。
ひとつは爵位を継ぐにあたり、宗主であるパルバルディア王からの要求がそれであったということ。仕方ないだろう。未だ十代の域を出ず、父と共に共同統治の経験があるでもない、そんな小娘が大公位を継ぐというのだ、ならばきちんとした後ろ盾ぐらい持てと言いたくもなる。
 そしてもうひとつはというと、金   
 金がいるのだ。しかもかなりの大金。それも早急に   
 国がひとつ買えるくらいの大金。それをぽーんと出すことが出来るくらいの存在。ヴァレンティーナが求めている婿は、そのくらいの財力を持つ者でなければならなかった。
 隣国コーラールとの問題もある。数年後、このロレンシアがどのような立場に立たされているかは、ヴァレンティーナがいかに読み取ろうとしても見定めることができない状態にあった。
 爵位を返上し後の采配を中央に委ねるという手もあったが、如何せん現パルバルディア王の評判は低い。歴代でどん底を競うほどに低い。
   あのような者に任せていては先が知れている……
「だから……やはりこの際は金か。統治能力があるに越したことはないが、お前もいてくれることだし、どうにかできよう」
 そうなると自ずと候補者たちにも順位がついてくる。ヴァレンティーナがその並びを頭に思い描いていると、コンラードが声を発した。
「そのことについてだが……」
 一度口ごもり、手にしていた筆を机の上に置く。
「お願いしたきことがございます」
 いつもと違うものを察し、わずかに表情を曇らせたヴァレンティーナに、コンラードの穏やかな声が告げる。
「私、コンラード=フリーゼリ、宰相補及び姫君付き武官の役を返上し、お暇をいただきたく思います。何卒、お聞き届け下さいますよう……」

   お願い、申し上げます   



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